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鞭打たれるものたち

 彼の以前の所有者は一風変わった人間だったので、彼に読み書きを教えていたのだが、それは幸福なことであったのだろうか、不幸なことであっただろうか。その読み書きの能力は、彼の即席の仲間たちは持たなかったものであるのだが、なまじ文字が読めるものだから、その手配書を見た時に彼は真っ青になった。
「なんて書いてあるんだ?」と彼のうしろで彼の仲間は言った。黒い額には大粒の汗が玉になって浮かんでいる。
「俺たちに」と彼は答えた。唾を飲み込もうとするがうまくできない。「賞金が懸けられた」
 彼らは夜中に小屋を抜け出したのだ。その五人はたまたま近くに寝床が据えられていただけで、仲が良かったわけでもなく、仲間意識があったわけでもない。生まれも育ちもてんでバラバラ、たまたま同じ人間に買われたという共通点以外、五人を繋ぐものは無かった。彼らの足に繋がれた鎖の先を持つ人物が同じという以外。彼らの寝床ともいえない寝床。重労働。酷使され鞭打たれた身体。理不尽な死。誰が言いだすでもなく、脱走は決行された。それは五人に言葉を超えた絆のあることを意味しない。それは動物としての本能に等しい。その環境、酷使され、鞭打たれる境遇からの、本能的な逃走。仲間を作ったのは、その方が自分にとって都合がいいからに他ならない。 あるいは、自分が助かるためなら、他の四人を見捨てることなど造作もないことだろう。
 その脱走の時に、見張りを殴った。彼らの前に立ちふさがったのだ。その男が死んだらしい。
「俺たちは人殺しだ」彼は顔を覆った。しかし、彼以外の男たちは、そんな素振りを見せなかった。
「やつらは」とその一人は言った。「死んで当然だ」
「お前は何もわかっていない」と彼は力なく言った。「俺たちは殺される。この手配書は俺たちの生死は問うていない。俺たちの死体を持っていくだけで金がもらえるんだ。やつらは俺たちを決して許さないつもりだ」
「はは」と文字の読めない男が乾いた笑いを上げた。「生死を問わず、か。俺たちは生きていても死んでいても、金でやり取りされるんだな」
 一同黙り込んだ。この状況は致命的である。結局、彼らは殺される運命にある。それが緩慢にかどうかということが問題なのだ。黒い背中には、鞭打ちでついた無数の傷が刻みつけられている。そうして鞭打たれ、こき使われ、死ぬのか、それとも一発の銃弾で死ぬかどうかなのだ。
「俺は」と、ひとりが言った。「闘う。やつらを殺してやる。やつらがしたことに比べて、俺たちのしたことがなんだ?たったひとりを殺しただけだ。やつらは俺たちを何人殺した?俺たちがやつらの故郷を奪ったか?家族を引き裂いたか?鞭打って働かせようとしたか?俺たちはそんなことはしなかった。俺たちがやつらみたいな力を持っていたとしても、そんなことしなかっただろうさ。俺は、俺たちは、ただ放っておいてもらいたかっただけだ。生まれた土地で、家族とともに、のんびりと働く。そりゃあ、食い物に困ることもあるかもしれない。だけど、家族が、仲間がすぐそばにいれば、どうにか乗り越えられるだろう。望んだのは、たったそれだけだ」
 誰も口を開かなかった。それは、その場にいる人間みなが思っていたことの、場合によっては漠然とした思いだったかもしれないが、それの代弁に他ならなかったからだ。それに何か補うことも、反論することもない。
 風が吹いた。梢が鳴った。彼らは振り返った。



No.205



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