革命の「イメージキャラ」としてのマリアンヌ
1830年、ロマン主義の画家ウジェーヌ・ドラクロワによって描かれた「民衆を導く自由の女神」はフランス革命を描いたものと見られがちだが実はそうではなく、その41年後、シャルル10世の復古王政を打倒した「七月革命」を描いた作品になる。そしてこのよく見る乳を出してトリコロール旗を持ってる女性は実在の人物ではなく「女神マリアンヌ」で、フランスが寄贈したニューヨークの自由の女神像と同じ神でもある。
戦場で乳を丸出しにしてるのはどう考えても危険極まりないが、そもそもこの絵のマリアンヌは乳を出しているのか。それまで主流だった古典主義においては実在の女性の裸を描くのは卑猥とされていたが、神話の女神とか、実在しない架空の女性の裸ならなぜか許されていた。つまりここに乳を出した女性が描かれているというのは、この女性は実在の人物ではない、神である!というのを明確に示している。要するにマリアンヌは革命の「イメージキャラ」だった。
ドラクロワがこの絵で成功した事によって、それまで古代ギリシャとか古代ローマとか、昔の出来事を描くのが主流だった古典主義(歴史画)から、現在進行系の出来事を描くロマン主義(現代画)が台頭し、革命というのが美術史にも大きく影響してきたことがよくわかる。
ただ不可解なのは、彼らは女神を革命の象徴としていながらも「人権」のルーツとされるフランス人権宣言には女性の権利が謳われることがなかった。それどころかそれに異を唱えた女性活動家オランプ・ド・グージュは革命派にギロチン処刑された。革命の発端であるバスチーユ襲撃には女性の労働者も多く参加したにも関わらず。そして革命の象徴となった労働者のスタイルであるサン・キュロット(長ズボン)を女性が履くことは許されず、パリ市街で女性が長ズボンを履いてはいけない、という法律は何と2013年まで存在していた。
一般的にはフランス革命が近代における「民主主義」と「平等」の原点という事になってるものの、その内実は女性差別とギロチンの恐怖政治(テロール)であり、革命期は血みどろの大虐殺が行われた時代でもあった。民主主義の正体とその出自を知らせたくないためか、そういう事は学校の教科書にはほとんど書いてない。そしてその大虐殺の歴史を当のフランスは今でも誇りに思っていて、それを世界に晒したのがパリ五輪開会式におけるマリー・アントワネットの斬首パフォーマンスでもあった。
尚、絵の中でマリアンヌの左にいるライフルを持ってるのはこれを描いたドラクロワ本人で、その下にはよく見ると下半身裸で陰毛を露わにした民衆が斃れている。
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