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「紙の動物園」ケン・リュウ〜異邦人の母

ケン・リュウの短編集を読んだ。

表題作「紙の動物園」の登場人物である中国人の母親と、アメリカ人の父親との間に生まれた息子との関係が、まるで近い将来の自分と息子の光景のような気がして居たたまれず、胸が詰まった。

幼い息子のために、とっておいたクリスマス・ギフトの包装紙で、母は折り紙を折る。
中国の折り紙で有名な村の出身だった母の折り紙は特別で、母の手で命を吹き込まれた紙の動物たちは、息子の傍らを生き生きと飛び跳ね動き回り、特に紙の虎 老虎ラオフーは相棒として長い間共に過ごした。
しかし息子が10歳になった頃、家に遊びに来た友達は紙の動物たちを"ゴミだ"と言い放ち、喧嘩になり、老虎ラオフーは半分に引きちぎられてしまう。
”ぼくは本当のおもちゃがほしいんだ”
この出来事をきっかけに、息子は母親の話す中国語に答えなくなり、紙の動物たちも屋根裏部屋へと追いやり、ほとんど英語が話せない母親にも英語のみで話す事を要求するようになる。
やがて母と息子は、ほとんど会話を交わさなくなってゆく。

母親と息子ふたりだけの、安らかな想像の世界は終わりを告げたのだ。

私がこの国の言葉で話す時、発音がおかしかったり、単語を間違えていたりすると、息子や夫に笑われる。
二人に悪気はないとわかっていても、内心私は軽く傷ついている。
そんな時は、家族の中で自分だけが異邦人なのだ、と気づかされる。

息子が日本語補習校を辞めてから、9ヶ月が過ぎた。
今では日本語の本を開くこともなくなり、私と日本語で話す時間も1日のうち10分もない。
そのうち息子は、全く日本語で話さなくなってしまうのではないかと、私は恐れている。



文化大革命によって孤児となり過酷な人生を送っていた中国人の母親は、父親にカタログで花嫁として選ばれアメリカへ渡ってきた。
やがて子供が生まれると、亡き両親の面影が残る息子は自分の理解者になってくれると思い、母親はいつも中国語で話しかけていた。
しかし成長した息子は、アメリカのコミュニティに溶け込んでゆくにしたがい、他の家の母親とは違う自分の母に反発するようになり、親子の溝は深まってゆく。

私にはこの時の母親の気持ちが、痛いほどわかる気がした。

母親は亡くなる間際、紙の動物たちを取り出して自分を思い出してほしい、と息子に言い残す。
2年後、死者が家族の元へ帰るのを許される清明節チンミンの日に、ガールフレンドと暮らす家で、息子は懐かしい紙の動物たちを見つける。
かつてよく遊び、母が何度もテープを貼り修理したボロボロの老虎ラオフーに再会した息子は、その折り紙の裏に中国語で書かれた母から自分への手紙に気づく。
そこには、母が息子へ語って聞かせたかった自身の生い立ちと、息子への想いが綴られていた。
中国人観光客の助けを借りながら手紙を読んだ息子は、母の心情、苦しさ、悲しみをはじめて理解する。
そして、母の手紙の下に「」の漢字を何度もなぞり書きするのだった。

この場面を読みながら、胸が締め付けられ涙が止まらなくなってしまった。
異国で暮らす自分の気持ちや愛情を母語で子供へ伝えたい、この母親と自分が重なってしまう。
かつて中国人の母は、英語で「Love」と言うと唇で感じるだけで、中国語で「」と言うと心で感じるのだ、と息子へ語っていた。


たとえ同じ言語を話していたとしても、成長した子供はやがて、親の目の届かぬ外の世界へ飛び出してゆくのが常だ。
子供には子供の行く道があり、生き方がある。

だけれど、この中国人の母は、アメリカへ渡ったことを後悔してはいないだろう、と思った。

私も、この国へ移住し、恐らく此処で人生を終えることになるだろうことを、後悔してはいないのだ。




作家ケン・リュウは、幼少期に両親と共にアメリカへ移住した中国系アメリカ人であり、執筆は英語で行っているが、中国語から英語への翻訳者として働いていた経験もあるという。
「紙の動物園」で、ネビュラ賞、ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞の史上初の三冠を受賞。

ジャンル的にはSF作家となっているけれど、移民、異文化、多言語、祖国への郷愁、マイノリティの人々の心情を、淡々としならがも、そこはかとなくアジア的な情感漂う作風で描いている点に、共感を覚えた。


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