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戦国SWOT

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#エッセイ

信長のパーパス|天下布武 信長が掲げた「天下布武」の成功

信長のパーパス|天下布武 信長が掲げた「天下布武」の成功

信長が掲げたパーパス「天下布武」昨今、海外及び日本においても、グローバルな活動をしている企業が「パーパス」を制定する事例が増えてきています。

企業は今まで生活を物質の面で満足をさせる事で社員のモチベーションアップを図っていましたが、社会全体の意識の変革によって金銭や待遇以外でのモチベーションアップが必要となってきました。

特に、1980~1995年に生まれたミレニアル世代や、それに続く1996

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関ヶ原編【小早川家臣】アルコール依存症の秀秋を支えた家臣たち

関ヶ原編【小早川家臣】アルコール依存症の秀秋を支えた家臣たち

天下分け目の戦いの中での部下たちの決断小早川秀秋というと、天下分け目の関ヶ原の戦いで、西軍から東軍に寝返り、徳川家康による権力掌握を決定づけた張本人として有名だと思います。

関ヶ原の戦いでの貢献度から、備前51万石の大領を得たものの、1602年に21歳で急死してしまい、無嗣断絶となり、小早川家は取り潰しとなりました。

アルコールによる内臓疾患、肝硬変が原因だと言われていますが、死因ははっきりと

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戦国武将は、戦国時代の経営者。

戦国武将は、戦国時代の経営者。

若いころ、「戦国武将は英雄やヒーロー」だと思っていました。

正義のために悪を討つ姿を求めて、潔いか卑怯かの二元論で、戦国武将を色分けしていました。

しかし、中小企業診断士として、企業の経営支援したり、家族や社員の生活を守るために日々戦う経営者の悩みに触れるうちに、戦国武将たちも、現代の企業経営者と同じように、一族郎党を守るために、必死に生き残りを懸けて戦っていたのだと気づきました。

正義がど

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【黒田官兵衛の野望】秀吉死後の生存戦略の成功と失敗

【黒田官兵衛の野望】秀吉死後の生存戦略の成功と失敗

豊臣政権という市場での優位性確保を目指す黒田官兵衛豊臣政権の樹立における初期段階において、諸大名との取次を行う秀吉の側近集団がいました。

豊臣秀長や千利休、杉原家次、蜂須賀正勝、浅野長政たちの中に、黒田孝高こと官兵衛も属して、豊臣家の譜代大名として政権運営を援けていました。

官兵衛は、毛利家との外交交渉に、蜂須賀正勝とともにあたったことで、その後、毛利家中の小早川隆景や吉川広家とのネットワーク

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【諏訪頼忠】一所懸命をイノベーティブな決断で捨てる

【諏訪頼忠】一所懸命をイノベーティブな決断で捨てる

諏訪頼忠のイノベーティブな決断で新時代の大名となる一所懸命とは「自分の名字の由来する土地に命を懸ける」という意味・語源の四字熟語です。

戦国時代の武士たちにとって、先祖代々の土地は、自分の命以上に大事で、生死を懸けて守るものでした。

諏訪家と言うとかなりマイナーな信濃の戦国大名家ですが、2021に週刊少年ジャンプで北条時行を主人公にした「逃げ上手の若君」という漫画が始まった事で、広くその名前を

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【今川氏真】公家文化などの無形資産で事業を再構築

【今川氏真】公家文化などの無形資産で事業を再構築

父義元から受け継いだ公家文化で事業を再構築した今川氏真今川家といえば、戦国時代に当主の義元が、織田信長に敗れた桶狭間の戦いが有名です。

後を継いだ今川氏真が、武に疎く、和歌や蹴鞠など公家文化を愛するあまりに、統治が疎かになって滅亡したと思われています。

父の義元も、お歯黒で輿に乗るなど、公家の風習に被れてひ弱だったため、信長に敗れたと考えられがちです。

実際は、武田家や北条家と渡り合いながら

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【大友宗麟】キリスト教国建設の野望による組織の崩壊

【大友宗麟】キリスト教国建設の野望による組織の崩壊

宗麟の壮大な野望によって大友家の崩壊を招く

大友宗麟の大友家は、九州の名門の家柄です。

鎌倉幕府の設立ごろの1196年に、大友家初代の大友能直が豊前・豊後両国守護兼鎮西奉行に任じられています。

他の戦国大名と同様に、家督相続にあたってトラブルがありました。

宗麟は、父と異母弟とその支持派を粛正して大友家中の一本化を図りました。

この時の家督争いのトラウマが後々に影響を与えます。

宗麟は

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【京極高次】転落した守護大名が家名と親族の力で戦国大名に復帰

【京極高次】転落した守護大名が家名と親族の力で戦国大名に復帰

家名と親族の力で大名に復帰し幕末まで存続した京極家
京極高次の京極家は、室町将軍家の足利家と同じ源氏の家系であり、室町幕府で四織を務めるほどの名門の家柄でした。

四織は、室町幕府の軍事指揮権を持つ四家の守護大名を指します。

赤松家、一色家、山名家、そして京極家の四家です。ここに土岐家や今川家など数家が加わることもありました。

室町初期には、近江・飛騨・出雲・若狭・上総・摂津の6カ国の守護大名

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【戦国SWOT】豊臣秀頼-放任型リーダーシップが大阪の陣での豊臣家滅亡を招く

【戦国SWOT】豊臣秀頼-放任型リーダーシップが大阪の陣での豊臣家滅亡を招く

豊臣秀頼の放任型リーダーシップが招いた大阪の陣過酷な戦国時代において、一番重要な能力はリーダーシップであると言えます。

戦国大名たちは、大なり小なりリーダーシップを発揮し、一門衆や家臣たち数多くの仲間を率いて、死線をくぐり抜けていく事を求められています。

豊臣秀吉亡き後に、徳川家康が豊臣恩顧の武断派大名たちから強く支持を受けたのは、そのリーダーシップを期待されたからだと思います。

徳川家康の

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【戦国でSWOT】来島通総-大名になった村上海賊の男

【戦国でSWOT】来島通総-大名になった村上海賊の男

戦国時代になると、島嶼部に住む人々は、自らの航海術や操船技術などを活用して、周辺海域での略奪行為や通商などで生計を立てるよになりました。

また、近隣の戦国大名の依頼で、物資や兵員の海上輸送で間接的に協力したり、水上の兵力として軍事力を提供する事で直接的に関わる事も増えました。

戦国の頃には、纏まりを持って活動をする島嶼部の人々は、海賊や水軍と呼ばれるようになりました。

その中でも有名なのが、

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【戦国イクメン】立花宗茂を日本無双に育てた二人の父親

【戦国イクメン】立花宗茂を日本無双に育てた二人の父親

立花道雪と高橋紹運の厳しい教育方針が、立花宗茂を日本無双とした戦国時代の終わりごろに、豊後の大友宗麟の元に、立花道雪と高橋紹運という名将がおりました。

立花道雪は、大友家の庶流という家柄の良さもありながら、その戦闘指揮能力の高さが群を抜いていました。

道雪が存命したころは、戦では負けなしと言われ、遠く離れた武田信玄がその噂を聞きつけて、対面を希望したとも言われています。

また、家臣を大切にし

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【戦国でSWOT】関ケ原で負けても61万石の価値があると思わせた島津家のマーケティング手法とは?

【戦国でSWOT】関ケ原で負けても61万石の価値があると思わせた島津家のマーケティング手法とは?

敗れた西軍の中で、本領安堵を獲得した島津家の巧みさ西郷隆盛や大久保利通など明治維新で多くの人材を輩出した島津家は、戦国時代には、島津義久という名将の元で、九州全土を、あと一歩で制覇するところまで行きました。

しかし、豊臣秀吉が西日本の大名を総動員した九州征伐により、薩摩と大隅、日向の一部に押し戻される事になりました。

豊臣政権のM&A戦略というか、全国統一を優先した大名の温存戦略の影響もあり、

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【戦国でSWOT】織田信長のマズロー的報酬システムを含んだ人事制度

【戦国でSWOT】織田信長のマズロー的報酬システムを含んだ人事制度

織田信長による自己実現欲求を満たす人事制度戦国時代に、革新的な事績を残した戦国大名と言えば、織田信長を思い浮かべる方が多いと思います。

ただ、昨今の研究では、かの有名な楽市楽座を初めに導入したのは南近江の六角氏だとか、長篠の戦いで鉄砲隊の三段構えなどはしていないだとかが唱えられるようになってきてはいますが、織田信長が行っていた人事制度については、なかなか特徴的だと思います。

戦国大名も現代の企

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