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#エッセイ
【戦国イクメン】立花宗茂を日本無双に育てた二人の父親
立花道雪と高橋紹運の厳しい教育方針が、立花宗茂を日本無双とした戦国時代の終わりごろに、豊後の大友宗麟の元に、立花道雪と高橋紹運という名将がおりました。
立花道雪は、大友家の庶流という家柄の良さもありながら、その戦闘指揮能力の高さが群を抜いていました。
道雪が存命したころは、戦では負けなしと言われ、遠く離れた武田信玄がその噂を聞きつけて、対面を希望したとも言われています。
また、家臣を大切にし
【戦国でSWOT】関ケ原で負けても61万石の価値があると思わせた島津家のマーケティング手法とは?
敗れた西軍の中で、本領安堵を獲得した島津家の巧みさ西郷隆盛や大久保利通など明治維新で多くの人材を輩出した島津家は、戦国時代には、島津義久という名将の元で、九州全土を、あと一歩で制覇するところまで行きました。
しかし、豊臣秀吉が西日本の大名を総動員した九州征伐により、薩摩と大隅、日向の一部に押し戻される事になりました。
豊臣政権のM&A戦略というか、全国統一を優先した大名の温存戦略の影響もあり、