マガジンのカバー画像

日本の公鋳貨幣

47
日本が発行した「貨幣」の解説や、流通していた「貨幣」の歴史などをまとめた記事です。1から順に時系列順に解説しています。
運営しているクリエイター

#貨幣

日本の公鋳貨幣47『銅(棹銅/長崎貿易銭)』

日本の公鋳貨幣47『銅(棹銅/長崎貿易銭)』

17世紀の世界経済を動かした日本の輸出品公鋳貨幣とタイトルに銘打っている以上、次は「元禄の改鋳」の話をする予定でした。が、ふと、江戸幕府が正式に発行し、貨幣として流通し、世界経済にめちゃくちゃな影響を与えたにもかかわらず、余り日本の貨幣史の本には載らないお金があることに思い至りました。載ったとしても日本側の視点からの紹介ばかりです。僕も、これまで作ってきた出版物でこの貨幣について触れる場合は、日本

もっとみる
日本の公鋳造貨幣46「慶長大判」

日本の公鋳造貨幣46「慶長大判」


流通しないことを前提に作られた貨幣江戸時代初期の貨幣を順々に紹介していきましたが、あえて一枚だけメジャーどころを外しておりました。それがこちら、

みんな大好き「慶長大判」です。公式に徳川幕府の貨幣制度に組み込まれた公鋳の貨幣ではあるのですが、そもそも市中での売買で用いることを想定しておりませんでした。ある意味、私鋳銭などよりも、貨幣らしくない貨幣であったと言えるでしょう。

10両=100万円

もっとみる
日本の公鋳貨幣42『慶長通宝』

日本の公鋳貨幣42『慶長通宝』

終戦記念日も近いということで、クライアントより依頼を受けてまた歴史系の動画をしこしこと作っておりました。

皇居のすぐ東に、模擬原爆が落とされていたという事件についての動画です。動画ではクライアントさんと直接関係がないのでカットしてしまったのですが、この模擬原爆は元々皇居を狙って落としたが狙いが外れたことや、落としたB-29のパイロットのその後など調べれば調べるほど衝撃的な事件でした。

最近は所

もっとみる
日本の公鋳貨幣39『慶長一分金』

日本の公鋳貨幣39『慶長一分金』

日本銀行が公開している資料や論文ですと、江戸時代初期の慶長小判1枚(1両)は、現在の貨幣価値でおよそ10万円であったとしています。これは、当時の米価を基準とした計算だと思われ、金1両を米1石(約180kg)として取引していたという、日本の商慣習をベースに導き出した値でしょう。現在の米1kgは、ブランド米で700円程、そんなに知られていない米で400円ほどですので、12万6,000円~7万2000円

もっとみる
日本の公鋳貨幣37『三貨制度』

日本の公鋳貨幣37『三貨制度』

江戸時代の貨幣制度を一言で表すとなると「三貨制度」に尽きると思います。制度じたいは江戸時代初期から完成していましたが、実際に「三貨」という名称が使用されたのは、文化12(1815)年に出版された『三貨図彙』です。執筆したのは両替屋兼貨幣収集家であった草間直方でした。

三貨制度を簡単に説明しますと、日本国内で全く価値体系の異なる3種類の貨幣を流通させたということです。現在、日本では「円」という単位

もっとみる
日本の公鋳貨幣30「室町幕府の撰銭令」

日本の公鋳貨幣30「室町幕府の撰銭令」

前回はコチラ

自らの首を占める撰銭令を出した室町幕府

なんだかんだでこの記事も30本を超えてきました。今回から、16世紀の話へと本格的に移っていきます。

16世紀は、本格的な戦国時代に入った時代です。日本全土が一度バラバラとなり、そして新たな権力の誕生によって再統一されるまでの100年間と考えてよいでしょう。それまで東アジア間のみで行われていた日本の貿易のプレイヤーにヨーロッパ勢が加わってき

もっとみる
日本の公鋳貨幣36『武蔵墨書小判』

日本の公鋳貨幣36『武蔵墨書小判』

徳川家康の貨幣制度……と前回のラストに宣言をしたわけですが、せっかくですから徳川家康がオリジナルの(まあ、多分に武田家の甲州金制度のパクリではあるのですが)貨幣制度を作る前にどのような動きをしていたかについて、解説を行っておきたいと思います。

前回に引き続き、また一般的な歴史の本には掲載されない貨幣の紹介となります。何故わざわざそんな貨幣を、紹介するのかと思われるかもしれませんが、これらの貨幣に

もっとみる
日本の公鋳貨幣34「天正大判」

日本の公鋳貨幣34「天正大判」

来年の大河ドラマ「どうする家康」にて、徳川家康の側室、お万の方の登場が確実になりました。

実は、今年最後の仕事の納品物が、まさにそのお万の方を紹介する動画のシナリオとディレクションでした。監修の原島広至先生にも、大変良くしていただき……。2022年は編集・ライター一本で生活してきた自分に、動画のシナリオという新しい仕事の形を紹介していただきました。今後の人生の選択肢が大きく広がったと感じており、

もっとみる
日本の公鋳貨幣33「金の貨幣利用の開始」

日本の公鋳貨幣33「金の貨幣利用の開始」

前回はコチラ

まずは、長らく執筆をサボってしまい申し訳ありません!!

いや、まさか……。出版社さんからのお仕事をお断りし続けていた僕が、8月~11月にかけて、3冊も書店売りの書籍を編集することになるとは思っておりませんでした。なんか2022年後半はずっと原稿とにらめっこしていた気がします。内容は、もう一つの趣味であるPC関係の本ですので、こちらでは宣伝しません。

それ以外ですと、今年は動画の

もっとみる
日本の公鋳貨幣32「ヨーロッパ人による日本銀の発見」

日本の公鋳貨幣32「ヨーロッパ人による日本銀の発見」

全回はコチラ

めちゃくちゃ忙しかった書籍が無事校了しました6月13日に書店に並ぶ予定です。パソコン初心者向けのレクチャー本です……。僕は、noteで書いているような話を本にして生活したいのに……。まあ、ぼちぼちこちらの続きも書き始めます。

撰銭が浸透し各地で撰銭令が出されたことで、日本の経済状況は混乱した……わけでもなく。世界的にも希有な8世紀ごろから紙幣による信用取引のようなものが行われてい

もっとみる
日本の公鋳貨幣31「銭の広域売買」

日本の公鋳貨幣31「銭の広域売買」

民間による撰銭令への対抗

あけましておめでとうございます(⁉︎)。2022年ものんびりとこちらの記事は更新していければなと考えております。

という序文を書いてからもう2ヶ月が経とうとしております。

いや、ちょっと5月に本業の方で書籍を出さなければならなくなったり、8月に新規媒体を立ち上げたりと、仕事に追われておりまして……。しかも、長らく放置していたのに、読者の方が増えていたようで申し訳ない

もっとみる
日本の公鋳貨幣29「銭の購買力を保証するための撰銭」

日本の公鋳貨幣29「銭の購買力を保証するための撰銭」

前回はコチラ

帰国できない大内義興の苦難

前回、大内氏が応仁の乱による外圧から撰銭令を出した実例を紹介しました。大内氏としては、応仁の乱の軍事物資の調達や、領内の貨幣不足の解消が目的です。戦時措置として出された緊急例なので、この撰銭令、応仁の乱が終結してしまうと何かしら問題が起こります。

延徳4(1492)年、大内家領内の豊前国で、突如大内氏は悪銭の通用を停止します。悪銭がどの種類の非基準銭

もっとみる
日本の公鋳貨幣28「戦に左右される撰銭」

日本の公鋳貨幣28「戦に左右される撰銭」

前回はコチラ
https://note.com/money_of_japan/n/n063772a52e7b

はじめに
領民の都合により、地域ごとに異なる基準で始まった「撰銭」。その撰銭の基準を領主が定めなおす撰銭令は、領民の貨幣使用実態とかけ離れないように、社会慣行をベースにして、細則を追加していくという形をとっていました。つまり、本来なら撰銭令など定めなくても、領民が勝手に行う撰銭で経済は回

もっとみる
日本の公鋳貨幣27「悪銭の利用開始」

日本の公鋳貨幣27「悪銭の利用開始」

前回はこちら

唯一の基準となった1枚=1文の価格設定第25回と第26回はどちらも15世紀の中期から後期にかけての話をしました。明国内の事情により銭の輸入量が減少したことと、幕府の弱体化で地方ごとに経済圏が誕生し、中央政府の統率を離れ地域の実情に応じた貨幣使用が必要となったことを描き来ました。

この2要素が重なったことにより、15世紀後半に「撰銭」が全国的に広まっていったわけですが、再三note

もっとみる