有馬真一@編集者

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有馬真一@編集者

編集プロダクション勤務を経て、さまざまな書籍や雑誌の制作に携わる中で、『貨幣史』という一風変わったジャンルにのめり込み、それについて個人で研究を始める。気がつけば、貨幣についての原稿を書いて暮らす変な編集者になっております。お仕事の依頼はarima@advns.co.jpまで

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  • 日本の公鋳貨幣

    日本が発行した「貨幣」の解説や、流通していた「貨幣」の歴史などをまとめた記事です。1から順に時系列順に解説しています。

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日本の公鋳貨幣1『富本銭』

日曜の麒麟がくる、まさかの録画ミスにより撮れていなかったため、来週の再放送まで更新は先延ばしにせざるを得なくなりました。だから別の話題を。 そもそも貨幣史と大きくタイトルをつけていましたが、多くの人が日本の貨幣の歴史なんか知らないのではないでしょうか。我々の業界では「皇朝銭」「島銭」「旧金貨」などとさも当然のように使うのですが、よくよく考えるとこうした分類は、教科書では習わない……。ということで、順番に、日本という国家で発行された歴代の貨幣を紹介していってみようかなと思いま

    • 日本の公鋳貨幣47『銅(棹銅/長崎貿易銭)』

      17世紀の世界経済を動かした日本の輸出品公鋳貨幣とタイトルに銘打っている以上、次は「元禄の改鋳」の話をする予定でした。が、ふと、江戸幕府が正式に発行し、貨幣として流通し、世界経済にめちゃくちゃな影響を与えたにもかかわらず、余り日本の貨幣史の本には載らないお金があることに思い至りました。載ったとしても日本側の視点からの紹介ばかりです。僕も、これまで作ってきた出版物でこの貨幣について触れる場合は、日本側の視点でのみの解説しか書いたことがない気がします。 ということで、今回のテー

      • 日本の公鋳造貨幣46「慶長大判」

        流通しないことを前提に作られた貨幣江戸時代初期の貨幣を順々に紹介していきましたが、あえて一枚だけメジャーどころを外しておりました。それがこちら、 みんな大好き「慶長大判」です。公式に徳川幕府の貨幣制度に組み込まれた公鋳の貨幣ではあるのですが、そもそも市中での売買で用いることを想定しておりませんでした。ある意味、私鋳銭などよりも、貨幣らしくない貨幣であったと言えるでしょう。 10両=100万円超の超高額貨幣慶長大判は1枚10両。すなわち小判10枚分の価値をもつと設定された

        • 会社のHP用に港区の坂について調べたら、なかなか興味深い事実に突き当たった件。 https://toshin.advns.co.jp/azabu-roppongi/324/

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        日本の公鋳貨幣1『富本銭』

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          会社のブログをちゃんと運営しろと言われたものの、内容までは指定されていないのを逆手に取り、会社のある港区の歴史スポット紹介記事へ勝手に改変中w 統一表記徹底してない……。 https://toshin.advns.co.jp/

          会社のブログをちゃんと運営しろと言われたものの、内容までは指定されていないのを逆手に取り、会社のある港区の歴史スポット紹介記事へ勝手に改変中w 統一表記徹底してない……。 https://toshin.advns.co.jp/

          日本の公鋳貨幣45「寛永通宝」

          銭づくりを目指し重い腰を上げた幕府前回紹介した、「寛永通宝 二水永」を筆頭に、1630年台にかけて、各地に質の高い私鋳銭が登場しました。このことは、それまでぼろぼろになった鐚銭をなんとか使いまわそうとばかり考えていた幕府にまったく異なる考え方を呼び起こしました。 「オリジナルの銭を、新たに作ればいいんじゃね?」 幕府にこの決断をさせた背景には、国内の採掘技術向上により、銅の増産が起きていたことがあります。 慶長15(1610)年、現在の栃木県日光市にて、2人の百姓が山

          日本の公鋳貨幣45「寛永通宝」

          あの名著の文庫版を古本屋で発見した!!

          あの名著の文庫版を古本屋で発見した!!

          日本の公鋳貨幣44「寛永通宝 二水永」

          はじめに……『寛永通宝』はややこしい……さて、ついに手を出してしまいます「寛永通宝」です。 新たに古銭に目覚めた新人が最初に手にした1枚であるとともに、もはや老境に達した古銭仙人たちが、最後に集めている貨幣かと思います。寛永通宝をまともに調べている在野の方々には頭が下がる思いです。 当然私などはまともに分類もできないレベルです。が、幸いこのnoteでは、お金の分類法よりは、鋳造された歴史的背景や経済動向などに注力しておりましたので、寛永通宝もその視点で解説していきたいと

          日本の公鋳貨幣44「寛永通宝 二水永」

          日本の公鋳貨幣43『元和通宝』

          前回ご紹介した慶長通宝は、私鋳銭が多いとはいえ、数がそれなりに発見されていることや、中国大陸からの発見例もある(貿易支払いに使われた可能性が高い)ことから、幕府発行の可能性が高い&少なくとも、通貨として使用されていたことは間違いなさそうです。 実は近い時期に、もう一点江戸幕府が発行を試みたとされる銅銭があります。それが「元和通宝」です。 加速する幕府の撰銭取り締まり徳川幕府は永楽通宝の優遇を禁止しすべての銭を鐚銭として扱うことにしたものの、納税時の永楽通宝は、通常の4倍

          日本の公鋳貨幣43『元和通宝』

          日本の公鋳貨幣42『慶長通宝』

          終戦記念日も近いということで、クライアントより依頼を受けてまた歴史系の動画をしこしこと作っておりました。 皇居のすぐ東に、模擬原爆が落とされていたという事件についての動画です。動画ではクライアントさんと直接関係がないのでカットしてしまったのですが、この模擬原爆は元々皇居を狙って落としたが狙いが外れたことや、落としたB-29のパイロットのその後など調べれば調べるほど衝撃的な事件でした。 最近は所属する会社のHPも勝手に改造して、歴史ものの記事を上げまくるという暴挙に出ており

          日本の公鋳貨幣42『慶長通宝』

          日本の公鋳貨幣41『慶長豆板銀』

          端数調整に用いられた銀貨 関西地方を中心に、貨幣として流通した銀貨は、秤量貨幣(銀の重さによって価値が定められる貨幣)でした。そのため、取引の度に重さを図ったり、銀貨を切断して重量を調整していました。 ですが、常に商人が正確な重さに切断できるとは限りませんし、140gの銀塊と200gの銀塊しか持っていないときに、143gの支払いのためわざわざ3gだけ追加で削り出すのも大変です。 このような端数が生じた時の調整のために生み出された銀貨が、『慶長豆板銀』です。 形状は不

          日本の公鋳貨幣41『慶長豆板銀』

          日本の公鋳貨幣40『慶長丁銀』

          徳川家康による大黒常是のスカウト 徳川家康が構想した貨幣制度である三貨制度は、金貨、銀貨、銅貨の三種類の貨幣を、それぞれ変動相場制(幕府としては固定相場にしたかったようだが)で取引させるという試みです。 前回までは、その中核を担っていた金貨を紹介していきましたが、今回は、銀貨です。江戸幕府の銀貨は、銀座という役所で鋳造されていました。東京都銀座の地名の由来になった役所です。 すべての銀貨の製造を任されていた銀座役所の長は、大黒常是という名の男でした。大国常是と名乗る前

          日本の公鋳貨幣40『慶長丁銀』

          日本の公鋳貨幣39『慶長一分金』

          日本銀行が公開している資料や論文ですと、江戸時代初期の慶長小判1枚(1両)は、現在の貨幣価値でおよそ10万円であったとしています。これは、当時の米価を基準とした計算だと思われ、金1両を米1石(約180kg)として取引していたという、日本の商慣習をベースに導き出した値でしょう。現在の米1kgは、ブランド米で700円程、そんなに知られていない米で400円ほどですので、12万6,000円~7万2000円の間となり、大体このくらいの値段に落ち着きます。 余談ですが、近年は金需要の高

          日本の公鋳貨幣39『慶長一分金』

          日本の公鋳貨幣38『慶長小判』

          江戸時代に入ってから長らく更新が止まっていました。 とある企業さんの歴史ビデオの制作を行ったり、 編集を手伝っていた本が書店に並んだりと、色々忙しくしておりましたが、ようやく一息つけそうです。 しかし、最近は、書店売りの本をあまり編集しなくなってきたので、年に3冊くらいはやっておかないと感覚が鈍りますな……。 江戸幕府の貨幣基準となった『慶長小判』 今回は、徳川幕府すべての金貨の基準となった『慶長小判』についてです。 発行開始は慶長6(1601)年。関ヶ原の合戦で

          日本の公鋳貨幣38『慶長小判』

          日本の公鋳貨幣37『三貨制度』

          江戸時代の貨幣制度を一言で表すとなると「三貨制度」に尽きると思います。制度じたいは江戸時代初期から完成していましたが、実際に「三貨」という名称が使用されたのは、文化12(1815)年に出版された『三貨図彙』です。執筆したのは両替屋兼貨幣収集家であった草間直方でした。 三貨制度を簡単に説明しますと、日本国内で全く価値体系の異なる3種類の貨幣を流通させたということです。現在、日本では「円」という単位の貨幣体系を用いていますが、江戸時代は「円」のほか、「$」と「元」も日本国内で使

          日本の公鋳貨幣37『三貨制度』

          日本の公鋳貨幣36『武蔵墨書小判』

          徳川家康の貨幣制度……と前回のラストに宣言をしたわけですが、せっかくですから徳川家康がオリジナルの(まあ、多分に武田家の甲州金制度のパクリではあるのですが)貨幣制度を作る前にどのような動きをしていたかについて、解説を行っておきたいと思います。 前回に引き続き、また一般的な歴史の本には掲載されない貨幣の紹介となります。何故わざわざそんな貨幣を、紹介するのかと思われるかもしれませんが、これらの貨幣にこそ、家康の貨幣制度の成功の理由がはっきりと表れているのです。 江戸という土地

          日本の公鋳貨幣36『武蔵墨書小判』