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日本の公鋳貨幣

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日本が発行した「貨幣」の解説や、流通していた「貨幣」の歴史などをまとめた記事です。1から順に時系列順に解説しています。
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#経済

日本の公鋳貨幣42『慶長通宝』

日本の公鋳貨幣42『慶長通宝』

終戦記念日も近いということで、クライアントより依頼を受けてまた歴史系の動画をしこしこと作っておりました。

皇居のすぐ東に、模擬原爆が落とされていたという事件についての動画です。動画ではクライアントさんと直接関係がないのでカットしてしまったのですが、この模擬原爆は元々皇居を狙って落としたが狙いが外れたことや、落としたB-29のパイロットのその後など調べれば調べるほど衝撃的な事件でした。

最近は所

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日本の公鋳貨幣30「室町幕府の撰銭令」

日本の公鋳貨幣30「室町幕府の撰銭令」

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自らの首を占める撰銭令を出した室町幕府

なんだかんだでこの記事も30本を超えてきました。今回から、16世紀の話へと本格的に移っていきます。

16世紀は、本格的な戦国時代に入った時代です。日本全土が一度バラバラとなり、そして新たな権力の誕生によって再統一されるまでの100年間と考えてよいでしょう。それまで東アジア間のみで行われていた日本の貿易のプレイヤーにヨーロッパ勢が加わってき

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日本の公鋳貨幣32「ヨーロッパ人による日本銀の発見」

日本の公鋳貨幣32「ヨーロッパ人による日本銀の発見」

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めちゃくちゃ忙しかった書籍が無事校了しました6月13日に書店に並ぶ予定です。パソコン初心者向けのレクチャー本です……。僕は、noteで書いているような話を本にして生活したいのに……。まあ、ぼちぼちこちらの続きも書き始めます。

撰銭が浸透し各地で撰銭令が出されたことで、日本の経済状況は混乱した……わけでもなく。世界的にも希有な8世紀ごろから紙幣による信用取引のようなものが行われてい

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日本の公鋳貨幣31「銭の広域売買」

日本の公鋳貨幣31「銭の広域売買」

民間による撰銭令への対抗

あけましておめでとうございます(⁉︎)。2022年ものんびりとこちらの記事は更新していければなと考えております。

という序文を書いてからもう2ヶ月が経とうとしております。

いや、ちょっと5月に本業の方で書籍を出さなければならなくなったり、8月に新規媒体を立ち上げたりと、仕事に追われておりまして……。しかも、長らく放置していたのに、読者の方が増えていたようで申し訳ない

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日本の公鋳貨幣29「銭の購買力を保証するための撰銭」

日本の公鋳貨幣29「銭の購買力を保証するための撰銭」

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帰国できない大内義興の苦難

前回、大内氏が応仁の乱による外圧から撰銭令を出した実例を紹介しました。大内氏としては、応仁の乱の軍事物資の調達や、領内の貨幣不足の解消が目的です。戦時措置として出された緊急例なので、この撰銭令、応仁の乱が終結してしまうと何かしら問題が起こります。

延徳4(1492)年、大内家領内の豊前国で、突如大内氏は悪銭の通用を停止します。悪銭がどの種類の非基準銭

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日本の公鋳貨幣28「戦に左右される撰銭」

日本の公鋳貨幣28「戦に左右される撰銭」

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https://note.com/money_of_japan/n/n063772a52e7b

はじめに
領民の都合により、地域ごとに異なる基準で始まった「撰銭」。その撰銭の基準を領主が定めなおす撰銭令は、領民の貨幣使用実態とかけ離れないように、社会慣行をベースにして、細則を追加していくという形をとっていました。つまり、本来なら撰銭令など定めなくても、領民が勝手に行う撰銭で経済は回

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日本の公鋳貨幣27「悪銭の利用開始」

日本の公鋳貨幣27「悪銭の利用開始」

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唯一の基準となった1枚=1文の価格設定第25回と第26回はどちらも15世紀の中期から後期にかけての話をしました。明国内の事情により銭の輸入量が減少したことと、幕府の弱体化で地方ごとに経済圏が誕生し、中央政府の統率を離れ地域の実情に応じた貨幣使用が必要となったことを描き来ました。

この2要素が重なったことにより、15世紀後半に「撰銭」が全国的に広まっていったわけですが、再三note

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日本の公鋳貨幣26「京経済の崩壊」

日本の公鋳貨幣26「京経済の崩壊」

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「嘉吉の乱」により守護が将軍に疑問を抱く「撰銭」文化の解説のため、中国の状況に多く紙幅を割いてしまいました。
話は一度日本に戻ります。日本で撰銭が始まる15世紀後半というと、第23回で解説した、徳政令を求める徳政一揆が頻発するようになった時代です。為政者である幕府にとって徳政の実施は、自らの権威のアピールと、一揆鎮圧軍の出動費倹約という一石二鳥の政策でした。このことは裏を返すと、軍

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日本の公鋳貨幣18『銭不足と信用創造と元寇と』

日本の公鋳貨幣18『銭不足と信用創造と元寇と』

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元の成立と銭不足の始まり平安末期から国外に銭貨需要を依存した日本の政府は、自国で金融調整を行う必要がありませんでした。なので、1221年の承久の乱に勝利し日本全国を支配することになった鎌倉幕府も、本来金融政策を行うべき政治リソースを削減し、荘園の整理や分割など国内整備に割くことができました。承久の乱の敗北により権威を失った朝廷はというと、国政の中心業務には携われなくなりますが、主に

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日本の公鋳貨幣17『輸入銭解禁』

日本の公鋳貨幣17『輸入銭解禁』

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成立直後から大混乱だった鎌倉幕府鎌倉幕府の成立時期については、どの出来事をきっかけと考えるかで様々な学者が自説を発表しております。最近の教科書では『文治の勅許』、すなわち、頼朝に守護・地頭の任命権が与えられた文治元(1185)年を成立年とする説が掲載されているそうです。しかし、幕府というのは将軍がいる陣幕を表す単語であることを考えるとかつての征夷大将軍に任命された建久3(1192)

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日本の公鋳貨幣16『宋銭使用禁止令』

日本の公鋳貨幣16『宋銭使用禁止令』

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日本社会に銭を定着させた平家の滅亡平家政権が盤石の態勢を整えた治承3(1179)年、平清盛はクーデターを起こし後白河法皇を幽閉。関白・松殿基房を追放し完全に政治の実権を握ることに成功します。武家の時代の始まりです。

↑清盛に幽閉された後白河法王。ヘッダーの三十三間堂を作った人です。

同年日本全土ではしかが大流行していますが、全身に丸く赤い発疹ができるこの病は「銭病」と命名されま

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日本の公鋳貨幣15「渡来銭時代3」

日本の公鋳貨幣15「渡来銭時代3」

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今回は、説明することが多すぎて、いつもの倍の文量になってしまいました。久々にいろいろな本を読みましたねえ。その読書のなかで、実家の地名が平安時代からある由緒正しい名称だったということがわかったり……(原稿には使えないネタでしたが)。ということで、ちょっと苦労したため2週間ぶりの更新となってしまったことをお詫びしつつスタートです。

大量輸入により貨幣として使用されはじめた宋銭末法思

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日本の公鋳貨幣14「渡来銭時代2」

日本の公鋳貨幣14「渡来銭時代2」

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しれっとnoteも本名で始めましたので、いくつか仕事を宣伝しておこうと思います。こちらの漫画サイト「lomico」。ライター陣が数名集まって、昔の名作から最近の話題作まで手広く漫画を紹介するサイトなのですが、ここの編集をお手伝いしております。

時々サイトの色を増やすため他のライター陣と違う形で、少し古めの漫画の真面目な読み解き方をアップさせてもらっています。今回はセーラームーンネ

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日本の公鋳貨幣 13 「渡来銭時代1」

日本の公鋳貨幣 13 「渡来銭時代1」

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日本で貨幣がつくられなくなった時代の中国大陸タイトルを何も考えずに「公鋳貨幣」と付けてしまった事について、非常に後悔をしております。というのも、本邦の政府が次に貨幣をつくるのは安土桃山時代のことであり、実に600年以上にわたり公の貨幣がない時代が続くからです。

が、この公の貨幣がなかった時代のことも書いておかないと、安土桃山時代の貨幣登場の経緯についてよくわからなくなってしまうの

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