記事一覧
エッセイ「夢への逃避行」
2024年5月15日、夜
カタツムリの旅立ちから約1週間(詳細は前回の記事)。それなりに順調に過ごしている。相変わらず頭の中には霧が立ち込めているので、周りからは四六時中 憂鬱な人に見えるかもしれないが。私にとってはこれで平常運転なのだ。
今日は久しぶりに「何か書かねば」と欲求のアラートを感知した。しかし具体的なテーマが思い浮かばない。カタツムリからニンゲンに戻ってからというもの、私の意識
エッセイ「苦楽の終わりは突然に」
2024年5月7日、夕
嵐は過ぎ去った──。
数週間前、私は孤独に安心感を覚えるようになった。次第に私はカタツムリと化した。孤独という殻を作り、いつでも逃げ込めるように背負って歩いた。
数日前、私ことカタツムリは悟った。孤独をシェルターとして背負う限り、一生 孤独から逃れられないことを。カタツムリは何もかも嫌になった。しかし、運良く世間は大型連休の真っ只中。カタツムリは「これ幸い」とばか
エッセイ「選択的欲求」
2024年4月24日、夜
帰りたい。全身に膜が張ったように不快な日、お昼休みにnoteを書いてみる。おそらく今日唯一の「良かったこと」はオフィスの人口密度が低いことだろう。人間は少ないくらいがちょうど良い。それにしても時間がない。書ききるはずはないのでいけるところまで。
とにもかくにも帰りたい。今日は蒸し暑い。こんな日は上手く呼吸ができない。もしかしたら私は皮膚呼吸動物なのかもしれない。時間
011.オリーブの木
春の終わり 庭に出て
オリーブの木をそっと撫でる
乾いた樹肌も わたしには
不思議なくらい 温かい
月が地球を頼るように
月が暗闇を照らすように
あの子とわたし そんな風に
今日も変わらず生きている
わたしよりも 臆病な
あの子が先に旅に出た
二回目の春が過ぎるけど
オリーブの木は 動かない
人が花を愛でるように
人が思い出を綴るように
あの子もきっと そんな風に
季節の香り感じてる
いつ
エッセイ「見えないモノを見落として」
2024年3月5日、午前
私の子供時代に流行った歌がある。――見えないモノを見ようとして望遠鏡を覗き込んだ――当時、私の耳は「見えないモノを見落として」と音を拾い、しばらく後に「見ようとしたのか」と気付いたのだが、大した話ではないので自分だけの記憶にしまっておいた。あれから数十年……(調べて驚いたが発売からもう20年以上経つらしい。)当たり前を見落としがちな自身についてあれこれと考えを巡らせる
エッセイ「徒然なるままに、土曜日」
2024年3月2日、午前
先月、久しぶりにTwitter(X)で呟くようになってからというもの、まとまった文章を書く時間がめっきり減ってしまった。どこからともなく訪れる「焦り」のような感覚を認めたのでパソコンを開く。さて、何を書こうか。とりあえず指を動かしてはみるものの途端に行き詰ってしまった。私はもともと「何かを書こう」と思って筆を起こすタイプではない。「書きたくてたまらない何か」が湧き出た
エッセイ「バスに揺られ考える正しさ」
2024年2月20日
田舎は良い。人でごった返すということがめったにない。都会では当たり前のぎゅうぎゅう詰めの満員電車もない。たまに通勤で利用するバスも、よほどのラッシュ時を避ければ誰かと肩が触れることはない。田舎は良い。とは言えこれじゃバスを走らせれば走らせるほど損なのではないかと心配になるのも当然だ。すでにどこの田舎もバス会社の経営は厳しいと聞く。私の住む町も例外ではない。
ある時期を境
INTPとの約束当日、浮かれINFJの頭ん中
浮かれすぎてまとまったお気持ち文章を書く時間を持てなかったのだが、数日前の記事の通りINTP氏と遊んで来た。うっひょい!文字にするだけでニヤニヤが止まらん。とりあえず会うまでの脳内を吐き出す。
もしかしたらこの記事を読んでくれている人は「INFJの目にINTPがどう映ったのか」に興味を持っているかもしれないが、具体的な会話内容については控えるつもりなので期待に応えられないと思う。というか私のお気
INTPと遊ぶ約束をしたINFJの頭ん中
ついに、この時がきた。
これまで実生活ではタイプ診断の話題を持ち出さないようにしてきたが、語れそうなお仲間が身近にいたのだ。
私のLINEに公式アカウント以外が追加されるのは一体何年ぶりだろう。
「もっと話したいけど急に連絡先聞いたり休日に遊ぼうって言うのはさすがに迷惑かな…?」とウジウジする私とは違い、
興味センサーが反応したらまるで磁石のように対象物にピタッと距離を詰めるINTP氏の素直さに
エッセイ「モーンガータを渡って」
2024年2月8日、夕
仕事帰りに笑顔になる出来事があった。横断歩道が綺麗に塗り替えられていたのだ。作業が始まったのは今から約2週間前のこと。たった1日でアスファルトが滑らかに塗り直され、その上に白い線が引かれた。しかしおかしなことに枠しかない。艶のある地面の上に額縁のような白い枠が均等に並んでいるだけである。私は困惑した。もちろんまだ作業の途中段階なのだろうと思ったが、もしもこれが完成形だとし
エッセイ「節分を考えるINFJ」
2024年2月2日、夕
「明日は節分ですよ〜」と、パートさんが子イワシのおやつをくれた。私も「パートさん」なのでこの呼び方には我ながら疑問を抱くのだが、ここで個人名を出すわけにはいかないし、「同僚」では人生の先輩に対して敬意に欠けるだろう。独身実家暮らしで未だ親の扶養から抜けられない私と違い、パートさんは子育てと仕事を両立するすごい人だ。いつもパワーに溢れ、チャキチャキしている。そんな姿を見て素