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エッセイ「苦楽の終わりは突然に」

2024年5月7日、夕

 嵐は過ぎ去った──。
 数週間前、私は孤独に安心感を覚えるようになった。次第に私はカタツムリと化した。孤独という殻を作り、いつでも逃げ込めるように背負って歩いた。
 数日前、私ことカタツムリは悟った。孤独をシェルターとして背負う限り、一生 孤独から逃れられないことを。カタツムリは何もかも嫌になった。しかし、運良く世間は大型連休の真っ只中。カタツムリは「これ幸い」とばかりに一人の時間を謳歌した。

 楽しい時間の終わりは突然やって来るものだが、実は苦しみも同じだ。ある朝、カタツムリは自分の頭と体が軽くなっていることに気付いた。何があったわけでもなく、ただ、晴れ晴れとしている。カタツムリは考えた。何もなくても苦しくなるのだから、その逆も起こり得るのだ──。
 背中を見ると孤独の殻がなくなっている。こうなってしまっては、私はもうカタツムリではない。ナメクジか?いや、それはごめんだ。差別をするつもりはないが、ナメクジは遠慮したい。

 きっとまた知らぬ間にカタツムリになっている日が来るだろう。憂鬱に落ちる周期的な波を持つ私がカタツムリ化を完全に避けるのは難しい。ほとんどの場合、私には原因が分からないのだから。
 それでも終わりは突然やって来る。永遠に続く苦しみはきっと存在しない。きっと。たぶん。少なくともこれまではそうだったのだから、この先もそうかもしれない。可能性に賭けて時間が過ぎるのを待つ。私には今のところ、この戦略が合っている。

 精神的に不調な時期はSNSを断つ方が良いとされているが、個人的には必ずしもそうではないと思う。カタツムリ化した私が人々との交流を断ち切ってしまったら、状況はかえって悪くなるだろう。今回想定より早く回復できたのは、ネット上に思いを吐き出せる場があったからかもしれない。
 SNSは毒にもなるし薬にもなることを肝に銘じたい。ところでカタツムリに肝はあるのだろうか。気になる答えはWebで──。

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