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エッセイ「回送列車の行き先」

2024年3月8日、夕

 まだまだ北風は冷たいが、すっかり日が長くなった。どちらかと言うと暑さより寒さを好む私には冬も悪くない。それでも労働後に晴れた世界を歩いて帰る喜びは春への期待を膨らませてくれる。
 今日は目に見えるものすべてに挨拶をしながら帰ろうと決めていた。自分だけの世界に閉じこもるのは精神的に良くない。言葉の通り「すべて」に話しかけられるわけはないが、気持ちがなるべく外を向くように意識した。薄汚れた看板、規則破りのゴミ捨て場、傾いた三角コーン——あらゆるものが私と重なる気がして、ひとつひとつ丁寧に「また明日」と声をかける。その中でもひときわ強く共鳴したのは踏切を通過して行く回送列車だった。
 回送列車がどこへ向かうのか、子供の頃から気になっていた。たしか大人は「列車の寝床」のように教えてくれたと思う。でも私が聞きたいのはそんなことではなかったし、もちろん何が聞きたいのか自分でも分かっていなかった。先が見えない不安を感じたのかもしれない。回送列車は行き先に「回送」と示すが、「回送」という目的地はどこにもないのだから。
 行き先なしに真っ直ぐ走る列車を目で追いながら、私も一緒に飛んで行けたら良いのにと思った。ほんの一瞬前にくたびれて見えた列車が光を放ちふわりと浮かんだ気がする。これは良い。なんだか楽しくなってきた。星座の点と点を結んでレールを敷き、星には巨大な宇宙駅を作ろう。宇宙ステーションとは違う、本物の駅。ニコニコ笑う猫を駅長に任命して、今夜にでも開通パレードを開きたい——。
 とっくに誰もいない線路に沿って歩きながら、うっかり自分だけの世界にこもっていたことに気付く。と同時に道端に咲くデイジーが視界に入ってきた。どうしてそんなに遠慮がちに咲くのだろう。またしても私はシンクロしたいようだ。期日が迫る敷設工事を先延ばしにし、私の意識は俯いたデイジーへと吸い込まれて行った。

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