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エッセイ「今を生きる -by INFJ-」

2024年4月2日、午前

 なんと、気づけば4月である。先月の暮れには率先して新年度に向けた準備をしたはずだが、それでも「えぇっ!?4月なんですか!?」と驚いてしまうのは相変わらず「今」に疎いせいだろうか。それなりに「やるべき事」を重視しているため、手足をせっせと動かして社会について行こうとする。しかし頭の中は納得しておらず、言行不一致になることがしばしば。周りから「自分がカレンダーめくってたじゃん…?」「自分で新年度用の資料作ってたじゃん…?」などお声が聞こえる気がする。そんなことを言われても、私はまだ納得していないのだから仕方ない。

 「気がつけば あなた」という曲がある。歌っているのは「あやや」こと松浦亜弥。私は春になると彼女の歌声を聞きたくなる。暖かな日差しのように優しく可憐で、オレンジ色を連想する声。人の声にはそれぞれ色がある。もちろん私が勝手に抱いたイメージにすぎないのだが、意外とその人の本質を掴んでいる気がしてならない。だからたまに声だけの印象と実際の人物像が一致しない人に出会うと一瞬、面食らう。そして直ちにズレの修正作業を行う。「この人の感情は声の色としては出にくいが、間に出ている…」のように。もちろん、わざわざ言葉になどしておらず感覚だけの話だが。

 気がつけば 4月。私はきっとこの先も毎月、毎年同じように驚くことだろう。「え!?もう5月ですか!?」「えぇ!?もう12月ですか!?」やがて死ぬ直前にも「えぇ!?もう寿命ですか!?」と聞くに違いない。誰に?分からないが、たぶんこの世の者ともあの世の者とも言えぬ何者かに。
 自分が死んだことに気づいていない幽霊の話を聞いたことがあるが、確かに私もそうなるかもしれない。「えぇ!?私、死んだんですか!?」と言いながら、ばっちり白いワンピースを着て黒髪ロングのウィッグをかぶっているだろう。幽霊として「やるべき事」はきちんとやる。死してなお、この身は社会のために(身は火葬済みである)。

 春── 一般に始まりの季節と言われるこの時期に終わりの話をしてしまった。とは言え私は終わりで終わると思っていない。またしても納得していない私。命の始まりや終わりという点は、それぞれ1つずつしかないと思うのだ。始まりの点は約40億年前の生命誕生か、あるいはもっと昔の宇宙の誕生、そのどちらか。そして終わりの点はまだ打たれていない。地球から生命と呼べるものが消えた時か、もっと未来の宇宙が消える時にようやく終わりはやって来るだろう(しかし宇宙に終わりがあるとは思えない)。
 この身ひとつの始まりや終わりなど、大した話ではないのだ。と言うと命を軽視していると誤解されそうだが。こんなところも私が「今」を見ていないせいだろうか。しかし私に言わせれば何十億年前も、この文字を書く瞬間も、誰かがこれを読む未来も、そして数百億年後もすべて「今」である。むしろ私こそが「今」を生きていると言っても過言ではないかもしれないのだが、社会は認めてはくれないだろう。「今」は2024年4月2日、午前10時49分である。

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