見出し画像

死にたいという思いは間違いではない

 皆さんは本気で死にたいと考えたことはあるだろうか。わたしには、明確にある。3回目の休職の折、本当に自分の命を絶つため、数時間かけ確実に死ねる方法を調べ、実行に移した。しかし、わたしは今一歩勇気がなく、死の恐怖を乗り越えることは出来なかった。本気で命を絶とうと行動に移した結果、わたしには自分で命を絶つ勇気はないことがわかった。それから、そういった行動は取らなくなったのだが、死にたいという思いは変わらなかった。
「誰か自分を殺してくれないか」
「突然事故に遭い、死ねないだろうか」
 ニュースで毎日人が亡くなる報道が流れる。
それを見るたび「ああ、うらやましいなあ」と、、
 今のわたしから考えると本当に異常だったと思える。
 このわたしの死にたいという思いは、リワークに出会い、再就職に至ってもなお、消えることはなかった。当時は自分がなぜそう思うのか気付いていなかった。しかし、今なら明確にわかる。なにが違うのか。わたしは自分が嫌いだったのだ。認められなかった。愛せなかったのだ。
 今回はこれらの自身への感情について少し語っていきたいと思う。


 なぜ、死にたいと思うのか。皆さんは皆さんなりの結論を持っているだろうか。
 わたしが思うに、理由は単純に、現実がつらいから、だろうと思う。
 では、なぜつらいのか。
 ひどいことを言われ続ける?
 暴力を振るわれる?
 毎日いじめられる?
 これらは自分以外の人間から自分を否定されるため、現実にいたくなくなるのだと考えている。
 
 では、わたしが苦しんでいたような精神障害を患っている人たちは、なぜつらいのか。先のように、周囲に否定されてきた結果、症状に苦しむようになった人もいるだろう。しかし、否定され続けられる環境から離れ、もう周囲に自身を否定する存在がいないにも関わらず、なぜ死にたいという感情は自分から離れようとしないのか。

 まだ、いるのだ。自分を否定し続けている存在が。
 そう、自分自身だ。
 
 今までかけられてきた様々な否定の言葉。
 それらの言葉を裏付けるような事実を探し出し、自分を追い立てる。
 ほら、自分にはこんなにも価値がないんだ。
 頑張っても、またつらい思いをするだけだ。
 死んでしまいたい。
 皆はなんであんなにも楽しそうなんだろう。
 自分はなんでああなれないんだろう。
 楽しく生きたい。
 死にたいなんて思いたくない。
 どうすれば抜け出せるの、、、、
 普通に生きたいだけなのに。
 どうして?
 こんな自分なんかいらない。
 生まれ変わりたい。

 今、当時の思いを少し並べてみた。きっと死にたいという感情を抱えている方たちは共感するところが多いのではないだろうか。
 この感情すべてに共通点がある。なんだと思うだろうか。
 わたしはこう思う。
 今のままでは駄目だという「今の自身の否定」だ。

 ここで、タイトルの「死にたいという思いは間違いではない」この意味について述べていきたい。
 皆さんは「死にたい」という思いは間違っていると思うだろうか。恐らく、多くの人は間違っていると答えるとわたしは考えている。これを間違っていると言わないと、死んでもいいという意味に捉える人が多いと考えているためだ。
 だが、わたしは「死にたい」という感情が間違っているとは、どうしても思えない。
 なぜ死にたいのか。

 現実と向き合えないくらいつらいから。
 現実から逃げ出したくなるくらいつらいから。
 
 で、あれば、死にたいと思うのは当然ではないだろうか?

 先に、死にたいという感情は、自身を周囲であれ、自分自身であれ、否定されることが原因だとわたしは述べた。これが、的を得ている前提で話をするが、否定されることに最も苦しんでいる人に、「死ぬなんて考えることは間違っている」など、否定の言葉を浴びせるなど無責任極まりないとわたしは思うのだ。
 その人は、死にたいくらいつらいのだ。
 どうしようもなく逃げ出したくなるくらいつらいのだ。
 そう思うことが悪いことなのか?

 ここまでで、わたしがなにを言いたいかお分かりだろうか。
 一つ勘違いをしないで欲しいのは、死にたいという感情を抱えている人に、わたしはどうぞ死んでくださいと言いたいわけではない。もし、そう捉えている方がいるのであれば、明確に違うと言っておく。

 わたしが声を大にして言いたいのは、死にたいと思ってしまうあなた自身を許してあげて欲しいのだ。
 あなたは今つらいのだ。
 死にたいと考えてしまう。
 それはつらいのだから当然なんだ。
 だから、自分を責めずに許してあげて。


 今のままの自分で良いのだと、本気で思えたとき、希死念慮(死にたいという気持ち)は、初めて自分から離れていきます。
 わたしは、自分自身がそう思えたときのことを一生忘れないでしょう。今では、些細なことに感謝を感じられるようになりました。
 
 あなたはどんなあなたなら愛せるようになると思いますか?
 重要なのは、他人に愛されるあなたではなく、あなたから愛されるあなたになること。他人は誤魔化せても、あなた自身は誤魔化せない。希死念慮からサヨナラするためにとても大事なことです。
 苦労の後には幸せが待っていると言いますが、これは本当のことだと思います。今、死にたいと考えている多くの方々にはただのキレイごとに聞こえるでしょう。わたしもそう思っていたからです。たまたま報われた人間たちの戯言だと。つらい期間は永遠には続かない。だから、自分を許して受け入れることを心がけてみてください。少しずつ、見える世界が変わっていきますよ。

では、また
皆さんの行き先に明るい未来がありますように

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?