映画『青天の霹靂』を観た話。
自分が生まれてきた意味を問うときがある。
勉強がうまくいかない時。
友人関係にヒビが入った時。
就職活動で望んだような結果が出ない時。
仕事で大きなミスを出した時。
大切な人を失った時。
死ぬ間際。
もしかしたら、あの世でも。
でも、いま私があなたに「あなたがこの世に生を授かった意味はなんですか?」と尋ねたら、あなたは即答できるだろうか?私は、まだできない。何の使命を持って生まれたのかまだ分からない。でも、それでも、寝て起きたらいつも人生で一番新しい時間がやってくる。生きなきゃいけない。だから、意味を作るために、というか意味を見出すために、必死に仕事して飯を食って文章を書いている。
人生の意味とは、何だろうか。
映画「青天の霹靂」。
2014年公開の映画。お笑い芸人の劇団ひとりが脚本・監督・助演を務め、主演には北海道が産んだ大スター・大泉洋、助演には柴咲コウという豪華キャストで話題となった作品である。
主人公は、マジックバーで働く冴えないマジシャン・轟晴夫(演・大泉洋)。バーではテレビで売れた後輩マジシャンに舐められ、食い物は割引の総菜とレトルト、住処は水漏れするボロアパート。心も体も貧しい生活を送っていた。ある日、晴夫の元に警察から電話がかかる。それは、ホームレスになっていた父親が河川敷で亡くなったという連絡だった。父の亡くなったバラックの前で茫然とする晴夫。「何で俺なんか産んだんだよ」。その一言の後、突如晴夫に雷が落ちる。そして目が覚めるとそこは、昭和48年の東京だった・・・。
瑞野は原作を以前に珍しく読んでいた(原作ものは基本作品を読まずに映画を見る派)ので、おおよその展開や結末は知っていた。
が、やはり知っていてもわかっていても泣いてしまう。「陰日向に咲く」などで鍛え上げられた劇団監督の安定感あるストーリー運びに、不安なく鑑賞することができた。それを「安定感がある物語」と評価するか「ご都合主義の安い話」と見るかは皆さんに任せる。事実、ネット上のレビューでも感動要素が多い分「お涙頂戴」などの見方がなされ賛否が分かれやすい作品なのだが、私の中では好きな部類に入る映画だった。
ただ、「青天の霹靂」に共感したミュージシャンが書き下ろしの主題歌を提供してくれていることが、この作品がただのお涙頂戴ではないということを証明してくれていると思う。主題歌は、Mr.Children「放たれる」。
やはり強烈な見どころとしては、
大泉洋本人がスタント無しで挑戦したマジックシーン。
その中でもとりわけ、作品冒頭のトランプマジックは非常に軽妙で、しかしどこか長年のマジシャン生活で染みついた熟練の技を感じる、素晴らしいものだった。大泉洋ファンはもちろんのこと、そこまで知らないという洋ちゃんビギナーでも、このマジックは必見の価値はあると思う。
タイムスリップした晴夫がインド人・ペペとして浅草の舞台に立ち、やがて同じマジシャンの正太郎(演・劇団ひとり)がコンビを組み、ペペ・チンとして新鮮などつきあいマジックで売れていく姿は非常に爽快感があった。漫才ブームもユリ・ゲラーも上陸していない昭和の日本に彼らが起こした小さな旋風。見ていて感情移入を誘われる、シンデレラストーリーだった。
晴夫は、自らの不遇な人生に悩み苦しみ続け、しかしどうすることもできずただ日々をダラダラと過ごしてきた。しかし、過去に戻り、自らの人生を見つめ直した時、「ダメならダメなりに生きてやろう」という決意を固め、大舞台へと向かった。その胸元には、紙ナプキンで出来たペーパーローズが飾られていた。それは、相方の正太郎が作っていたものと瓜二つだった。
確かに、今生きている自分の人生がどうしようもなくみじめで、とても本番の、本物の人生だとは思えないかもしれない。でも、そんな幻想を抱いても人生は容赦なく進んでいく。
ダメならダメなりに、生きてみる。
それが、授かった生に対する恩返しであり
このどうしようもない今を乗り切るための
魔法の言葉なのかもしれない。
では最後に、もう一度訪ねる。
「あなたがこの世に生を授かった意味はなんですか?」
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というわけで、今回は映画「青天の霹靂」のレビューでした。
引き続き、読者の皆様から映画レビューのリクエストを受け付けております。この作品をレビューしてほしいというリクエストがありましたら、下のURLから「募集のお知らせ」に飛んでいただき、コメント欄の方に投稿をお願いいたします。瑞野が責任を持って、レビューさせていただきます。
おしまい。