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エネルギー消費を嫌がるエコ人間

自分の守るべき所は守って、他を尊重する生き方をと鈴木大拙は言う。

今の私たちは、自分の守るべき所だけを守って、他は尊重しない生き方、これをしている様に思う。

いつの時代もそうなのだが、私たち人間の考え方というものは、本当にバランスが悪い。私たちは中庸、そのものの真ん中で考えるという事がなかなか出来ない。いつも、右か左、どちらかに傾きすぎる所がある。

相手を尊重してと言えば、私たちは、その相手を尊重しすぎてしまい、逆に自分を主張しろ!と言えば、それを私たちは他に押し付けてしまっていたりする。いつ何をするにもこうして私たちはバランスが悪い。必ず、どちらかに傾いてしまう。そのど真ん中で中庸を保つという事が私たち人間には難しい。

もっと言えば、この中庸を保つという事よりも、どちらかの極に傾いているほうが、私たちは意外に楽なのかも知れない。右も、左もどちらも同じくらいの分量で、バランスを取るという事は意外に一番難しいことなのかも知れない。だから、私たちは、この中庸であることを避けるのかも知れない。どちらかに傾いているほうが、私たち人間にとっては生きやすいのかも知れない。

どちらかの極に比重を置き、そして、その逆の方には、価値を置かずに、それを潰そうとすれば、この両者を理解しなくていい。一方だけ、理解すればそれでいい。右と左、このどちらも同じバランスで理解するという事は意外にとても難しい。このどちらもを理解し、そして受け入れようとすれば、これほどに難しい事はない。

どちらか一方に傾いていれば、私たちは、その一方だけを理解していればいい訳だから、それは楽に決まっている。右も左もなんていうと、それを理解し、受け入れるには膨大なエネルギーと時間がかかる。私たち人間というのは、こうした事にあまり無駄なエネルギーを使いたくないのかも知れない。

右か左という様に、善と悪という様に、何もかも二分化してしまえば、一方を理解するだけで良いから、それだけで自分のエネルギー消費は少なくて済む。でも、この両者を理解しようと思えば、そこには多量のエネルギーが必要になる。人間というのは、自分の持っているエネルギーを無駄に削ってまで、何かを受容しようとはしないのだと思う。

あれもこれも、理解するより、あれもこれも否定したり、排除してしまった方が、生きていくには、エネルギーの消費は少なくて済む。誰かを理解しようと思えば、それだけ、私たちは自分の持っているエネルギーを消費する事になる。

他を理解し、そして受け入れるという事は、こう考えていくと本当に多量のエネルギーを必要とするという事になる。

皆、自分の持っているエネルギーはなるべくなら自分の為に使いたい。そのエネルギーを誰かを理解したり、受け入れたりするためになど使いたくないというのが多くの人の本音だったりするのではないだろうか?

私たちは自分というものに、いつも余力を残しておきたい。自分の為にエネルギーを蓄えておきたい。だから、そう簡単に自分の保有するエネルギーを使いたがらない。皆、自分の持つエネルギーは自分の為に使いたいのだ。

私たちは自分が消費しない様に、いつもそのエネルギーをなるべく使わないエコなる生活をしている。誰かを、そして何かを理解し、そして受容するには、それ相当なエネルギーが必要になる。私たちはこれを意識的にではなくても、無意識的には心の何処かで感じている。だから、なるべくエネルギーのかからない事に重きを置いている。

人を理解し受け入れる力。これを発揮するには相当なエネルギーが必要になる。でも、このエネルギーを使うと、もちろん自分もある程度はダメージを受ける。消費してしまう。私たち人間というのは、いつもエネルギーに満ちていたい。十分なエネルギーを自分に供給していたい。だから、自分の持つそのエネルギーはなるべく人には、回したくないというのが、私たち人間。だから、あまりエネルギーを必要としない否定や、批判をするのかも知れない。

私たちは自分を削らずに、でもその中で何か快感となることを探している。本当であれば、他を理解し、そして受け入れ、共に生きる事により人間はそこからたくさんの快感を得る事が出来るが、そうした生き方を私たちは選択していないので、他を理解し、そして受容する事で得られる人間としての快感を得る事は出来ない。でも、人間は生きていく上で、この快感というものがなければ生きてはいけない。と、そこで代わりに考え出されたのが、否定や、批判から得られる快感であったのかも知れない。こうした快感により、私たち人間は、最もエネルギー消費の少ないエコ的な生き方を今手にしているのかも知れない。

他を理解し、そして受け入れる事にエネルギーを使う事では無く、他を否定し、批判し、排除する事により、最低限のエネルギーを消費し、そのあり余ったエネルギーで自分を過剰満たしている。これが今のこの世界に生きる私たちのリアルな姿なのではないだろうか?

今この世界に生きる私たちは、この過剰なエネルギーを自分に回しすぎて、この体も、そして心も意外に腐りきってしまっているのかもしれない。

エネルギーというものは、貯めるものではなく、ある程度回していかなければいけないものなのかも知れない。今の私たちは保身の為に、このエネルギーをためすぎて、そのせいでこの身も、心も腐らせてしまったのかも知れない。




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