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①100周年に巡るライト建築・関東大震災にも動じなかった帝国ホテル

建築ど素人の私も夢中になるライト建築。

アメリカの建築家、近代建築の三大巨匠の一人、フランク・ロイド・ライトが設計した建築物のことです。

ライトの名前が日本に、世界に轟き渡ったのは、帝国ホテル(東京)の2代目の本館、通称「ライト館」の建設時でした。

「ライト館」完成のグランドオープンの日のこと。

1923年(大正12年)9月1日 12:00 グランドオープン予定日時
1923年(大正12年)9月1日 11時58分32秒 関東大震災

なんと、グランドオープンのわずか1分28秒前に関東大震災が発生!

日比谷公園付近も、瓦礫の山となった中、ライトが作った帝国ホテルはほぼ無傷。
この出来事が、世界中にライト建築の素晴らしさを伝えることとなったのです。

そして今年2023年は、ライト館100周年!
つまり、関東大震災から100年。

コンプリート大好きな私は、国内にあるライト建築を全て巡って来ました。


⭐日本建築をリスペクトするライト建築


建築を学んだことがない私が、何故、ライト建築を知っていたのか?

それは、私の出身校、兵庫県の武庫川女子大学のキャンパスの一つ、「甲子園会館」が、まさにそのライト建築だったから!

厳密には、ライト建築を継承する建物、というのが正確でしょう。

実は、元々、甲子園ホテルとして建てられたもので、設計したのは、ライトの愛弟子、遠藤新(あらた)。

でも、3つのライト建築を巡ってみて、いかに遠藤新が師であるライトをリスペクトしていたか?が分かるものでした。

日本国内のライト建築
▪️帝国ホテル東京「ライト館」(明治村)
▪️自由学園明日館(池袋)
▪️ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸、芦屋)

ライトは浮世絵の収集家でもあり、リスペクトしていたのが、日本建築。

お寺や五重塔、日本家屋に魅了され、当時のアメリカでは珍しかった、庇(ひさし)を取り入れたり、部屋をドアで区切らない形式を採用。

また、建物の高さを抑え、水平線を強調した佇まいの建築様式はプレイリースタイル(草原様式)と呼ばれます。

そんなライトが施主の奥さんをめとって駆け落ちしてしまい、名声を失っていた時期の帝国ホテル設計だったことなどは、以前、noteの記事にも書きました。

⭐渋沢栄一のミッション「迎賓館となるホテルを建設せよ!」


今年1番感動した本が「帝国ホテル建築物語」。

明治村に移築された帝国ホテル「ライト館」を見に行く旅行の前に読んでしまおうと、車で行ける近隣のマクドナルドにこの本を持って行きました。

読み進めると、感動して涙、涙!
マクドナルドで泣きながら本を読む人はあまりいないでしょうね(笑)。

登場人物のミッションコンプリートの物語がすごい!

🔶渋沢栄一のミッション「迎賓館となるホテルを建設せよ!」

文明開化が進む明治時代。
明治政府から渋沢栄一氏に課されたミッションが帝国ホテル建設でした。

「海外賓客をもてなす迎賓館となる西洋式ホテルを建設せよ」

和室、布団、和式トイレの日本旅館が当たり前だった中、海外からのお客様を迎えるには、西洋式のホテルが必要。
さらに賓客をもてなすとなると、美しいホテルでなければならない。

1890年 (明治23年) 帝国ホテル開業
渋沢栄一 帝国ホテルの初代会長就任

次に、本館建て替えの時に、渋沢栄一が支配人にふさわしい人物として選んだのが、林愛作(はやしあいさく)。

林愛作は、群馬から丁稚奉公に出て以来、その勤勉さが買われて海外へ行くチャンスを得て、ニューヨークにある日本の美術商社「山中商会」に勤務。
この頃にフランク・ロイド・ライトに出会っていたのです。

本の中で、渋沢栄一、大倉喜八郎の説得により、林愛作が美術商の仕事を辞め、帝国ホテルの支配人の役を請け負うことを決意するくだり、その背中を押す山中商会社長。

まずここで号泣!

🔶林愛作のミッション「”僕のホテル”を造る!」

林愛作が、支配人となる条件として提示したのは、
「帝国ホテルは”僕のホテル”として全て僕の思うままにする」
ということでした。

後に「東洋の宝石」と呼ばれたライト館。

日本人から見るととても西洋的、でも、外国人から見るととても日本的

そんな建物を設計出来るのは、ライトしかいないと、最初から設計者はフランク・ロイド・ライト、と決めていたのです。

名声を失っていたライトの採用は、大きな反対を受けたものの、押し切る!

元々海だった場所故の地盤環境の悪さ、度重なる設計変更、ライトのがんこさなどが原因で伸びる工期、とんでもなく跳ね上がる予算。

そんなライトを擁護し続けて完成させ、林愛作はライト館支配人に就任。

そして建築を学ぶ学生だった遠藤新との出会い、ライト来日の時に助手として遠藤新を起用したくだりにも号泣!

🔶遠藤新のミッション「帝国ホテルを完成させよ!」

がんこで、設計のディテールにこだわるライトは、何度もやり直しを命じ、ことごとく職人達とバチバチ。

ライトのこだわりや思いを、間に入って伝えたのが遠藤新でした。

最終的には、ライトは「ライト館」の完成を見ずしてアメリカに追い返されることとなり、弟子の遠藤新が最後まで完成させたのです。

1923年(大正12年) 帝国ホテル「ライト館」開業

左から遠藤新、フランクロイドライト、林愛作

⭐明治村で生き続けるライト館


帝国ホテル「ライト館」の中央玄関は、愛知県犬山市にある野外博物館「明治村」に移築・展示されています。

「ライト館」は大正期に造られたもの。
それが、主に明治期の建築物を保存展示する明治村に展示されているのは何故か?

「ライト館」の老朽化を理由に建て替えが決まった時、その解体に多くの反対があり、保存を望む声が多く上がったのです。

そして、アメリカからも圧力がかかり、時の首相、佐藤栄作が、思わず、
「明治村に移築して保存する!」
と言ってしまったという!

さらに、なんと、それが明治村を運営する名鉄の社長も、明治村の館長も知らぬうちに決まってしまったというから驚き!

今年9月、見て来ました!ライト館!
なんて美しい!

実は、平等院をモチーフとしていて、左右対称。
確かに、中央玄関前に配置した池に映りこむ様子も似ています。

実はこの池、当初、渋沢栄一や大倉喜八郎など多くの人が、「池など要らない、駐車場にすべき」と、反対をしていました。

が、関東大震災の時、この池の水を使って周辺の多くの家屋を延焼から守ることが出来たのです。

震災後の写真には、帝国ホテルとその周辺だけが焼け落ちることなく残っていることが写っていたそうです。

⭐ライト館のここを見るべし!

ライト建築の特徴は「自然と建築との融合」。

「ライト館」で注目すべきはここ!

✅黄色いスダレ煉瓦
✅テラコッタ
✅大谷石
✅幾何学模様

🔶黄色いスダレ煉瓦(スクラッチブリック)

東京駅にも使われた赤煉瓦を使うかと思いきや、ライトは黄色くて、縦に引っ搔いた模様のあるスダレ煉瓦を使うという。

が、それを作れるのは日本でただ一人!
愛知県常滑(とこなめ)の焼物師、久田吉之助。
ただしこの久田吉之助がくせ者。
すったもんだ、色々あった末にその作り方が伝授されたのです。

2019年、NHKで、安田顕氏主演で、久田吉之助を描いたドラマがあったそう。
「黄色い煉瓦~フランク・ロイド・ライトを騙した男」
見たかった!

そして、現物は確かに黄色でした!
さらに、至るところに庇(ひさし)があり、太陽光が差し込む仕掛けが!

🔶日本の行燈(あんどん)をイメージしたテラコッタ

最近、ファッション業界では、「テラコッタ」カラーのお洋服が人気だそうですね?
元々はイタリア語の「焼いた 土」という意味で、赤みがかった茶色。

「ライト館」で使われた焼き物の数は400万個以上で、ここでいうテラコッタとは、装飾性に富んだ焼き物のこと。

テラコッタがはめ込まれた柱は、日本の行燈(あんどん)をイメージして作られ、とても細かい造作。

ライトが気に入るクオリティのものを作るために、多くの職人を悩ませたのがこれ。
細かい!

🔶職人の技あり!大谷石(おおやいし)

ライトが一目見て気に入り、「ライト館」に使われたのが大谷石。

当時は川の護岸工事などに使われる安価な石で、てっきり大理石など、高級感のある石を使うと思っていた渋沢栄一もびっくり!

軽くて建物の重量をおさえることが出来、柔らかくて加工しやすい石。
それにしても、石をこんなに細かい模様に削れるのか!と思うほどで、石工の職人さん技がすごい!

この大谷石の採石場跡「大谷石資料館」へも行きましたが、まるでピラミッドの中のようですごいところでした!

「ライト館」の中に入ると、テラコッタからもれる灯り、差し込む自然光と、間仕切りのない解放感あるロビー!

🔶幾何学模様で彩る

ライトのデザインで多く使われるのが幾何学模様。
白い天井にも退屈させないデザインが。

窓ガラスは高価なステンドグラスは使用せず、木製の窓枠や桟を幾何学的に組み合わせて作られています。

明治村の講堂では、特別展「帝国ホテル・ライト館100周年記念 東洋の宝石」が開催中(12/17まで)。
ライトデザインの机や椅子、渋沢栄一米寿のパーティメニューなど展示してありました。

明治村には、明治期の建造物が60以上、保存・展示されています。
「ライト館」をじっくり見てたのもあるけど、広くて数時間では見切れない!

帝国ホテルだけでも、これだけのドラマがあることを知ると、きっとそれぞれに建設秘話があり、取り壊されずに明治村に来たストーリーがあるのだと想像すると、またゆっくり行きたいですね。
ここでは写真だけ紹介。

⭐帝国ホテル東京【ライト館開業100周年記念企画展】

マリリンモンロー、チャップリン、ヘレンケラー、ベーブルースも訪れた帝国ホテル東京。
現在の建物は3代目。

2024年〜2036年の期間で営業を継続しながら建て替え工事が行われるそうです。
新タワー館は2030年完成予定、築50年経過した本館建て替えは2036年。

4代目設計を手掛ける田根剛氏はその「東洋の宝石」の記憶を継承し、石材を多く使う予定だそうで、楽しみだな〜!
こ~んな感じになるそうです。

現在、帝国ホテル東京、本館1階特設スペースにて
【ライト館開業100周年記念企画展】(無料)
が開催中とのことで行ってきました!

ロビーはいつも華やかな装花が飾られ、368枚のガラス板で作られたシャンデリア「ゴールデンローズ」がゴージャス!

フロントにほど近いところにはライト館に使われた大谷石のレリーフ、当時の椅子なども常設展示されています。

エントランス部分も、よく見たら幾何学模様に組まれたガラス!

ロビーには、ライトがデザインした照明「タリアセン」がいくつも!
カーペットのデザインもライトのデザインが残ってますね!

実は我が家にもあるんです。
大塚家具で購入した、高さ180cmの「タリアセン」が!


【ライト館開業100周年記念企画展】
企画展では、当時使われていたホテル備品なども展示されていて、無料なのに見応えある~!

ちなみに、帝国ホテルは「ホテルウェディング」の生みの親。
当時は自宅や神社での婚礼が主流。
が、関東大震災で多くの神社仏閣が焼失したため、ホテル内に神社を設置し、挙式と披露宴を1つのホテルで行うスタイルを誕生させたのです。

設計図や残された写真を基に作られた映像が上映されていて、当時の帝国ホテルを見ることが出来ました。
写真もOK、いいんですか~!

ダイニングや宴会場。
す、す、す、すごい!

こちらはFrank Lloyd Wright trustという非営利団体のYouTube動画。
あまりの美しさに、私は口をポカーンと開けたまま見入りました。

⭐「グランシェフスヌーピー」の宿泊プラン


見付けたんです。
「フランク・ロイド・ライト®スイート」というお部屋があるのを。
140万円!た、高い!

【料金】1室 1,400,000円(4名様まで 1泊朝食付)
【期間】2024年3月31日(日)のご宿泊まで

帝国ホテルHPより

でも、宿泊したのはスヌーピーのお部屋(笑)!
以前にも一度泊まったことがあるけど、また行っちゃった!

食器やラグマット、バスタオル、バスローブ、クッションもスヌーピー!

巨大なスヌーピーはコック帽にコック服のシェフ。

お部屋で頂く朝食はピクニックスタイル♪

スヌーピーのパン、ウッドストックのデニッシュ。
食器も全部、スヌーピー!
朝からテンションMAX!

サンドイッチは赤い屋根の犬小屋に、スヌーピーの形をしたハムとチーズ!
ヨーグルトに乗ったジャムは肉球~☆
超可愛い~!

帝国ホテルでは、「ライト館100周年アニバーサリークッキー缶」
明治村では、「帝国ホテルの黄色いレンガクッキー」
を買って帰りました。

国内にあり、見学可能なライト建築はあと2つ。

ライトは林愛作の邸宅も設計していて一部現存するも、現在、電通の厚生施設になっているそうで、見学は不可能。

🔶自由学園明日館(池袋)
🔶ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸、芦屋)

こちらの2つの訪問記は次週に続く・・・

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