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ポエム帳

90
酔っぱらったときに書きます。
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#詩

夕涼み

夕涼み

はめ殺しの窓には、甘いカクテル色の空が広がっている。庭のニームの木が揺れている。蝉の声は少し遠くなった。私はベッドに寝そべって、眼鏡を外す。風鈴の音が聴こえる。一昨年の夏祭りで買ったものだ。か細くて低い音が、まるであの娘の声みたいで心地よい。

いつのまにか夏がきた。夏がきたっていうのに、私はこの部屋に籠ったまま。誰とも会わずに、誰とも話さずに、時折街に出ても、幽霊のようにさまよい歩くだけ。あの頃

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永訣の午後

いつか誰かのものになると知りながら、私たちが見守ってきた白い花は、いま、誰かの手に摘まれて、遠くへ行ってしまおうとしている。せめてその人が、誰より優しい人であったなら。せめてその人が、誰より誠実な人であったなら……。

君の心は、君のものだ。私たちはこれからも、そっと見守っていてあげることしかできやしない。カラスや野良猫に咥え去られる鳥の雛に、人間が決して手を出してはならないように。

大切だから

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卒業

卒業

小さくわかれたぼくのふるさとが、いよいよこの街の片隅で灯りをともす。冷たかったこの街がなつかしいろに染め上げられて、いつか本当にぼくのふるさとみたいになるかもしれないのだ。

君はいま、もやもやとした不安の中にいるだろう。その先には、幽かに期待も見えるだろう。けれどやっぱり、不安の方が大きいはずだ。それもそのはず、トンネルの向こうがどんなに晴れわたった景色だとわかっていても、トンネルを抜けて、自分

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39.5℃のカナリア

歌うことが好きだった。次の言葉を探さなくてよいからだ。あの頃の私はいつも言葉に迷っていて、おはようの一言にさえ逡巡して、ぐずぐずと夕暮れを迎えていた。お酒が飲みたいのではなくて、酔わなくちゃ目を合わせられなかったんだ。夜が好きなのではなくて、逃げ込める場所がそこしかなかったんだ。

誰も聴いてはくれないけれど、色の変わる大きなフォントに一人で想いを託して、今日と明日との境界線上でなんとか生きていた

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公園通り

二度と戻れない夜が終わって、二人は朝焼けのレストラン。テーブルの新聞に目を落とすと、今日も世情は暗い。ウェイトレスが去ったあとには、美しい沈黙だけが残る。フォークの先でつついた目玉焼きがやぶれ、涙のように黄身がこぼれる。僕もこんな風に泣いてやろうか迷ったけれど、泣かなかった。どうしたって君は振り返らないから、せめて思い出を飾ることに決めたのだ。

初雪が舞い始めた。国道を走る車の流れは途切れること

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emotional

ぼくたちの背がすっかり伸びきって、あたたかな昼下がりより、夜をえらんで生きるようになったころ、部屋にはビールの空き缶が増え、夏もカーテンに包まれた青い部屋で四角い光に照らされる日がつづいた。過去と未来、夢と現実とが乖離してゆく道すじの中に立っていると、よけいにあの頃がまぶしくなる。

青春が今でも胸をときめかせているのではない。もうそこにぼくがいないこと、二度と戻れないこと、忘れかけていること、何

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センチメンタル・ジャーニー

いつか生み出した言葉の連なりの数々に絡めとられて、私は身動きとれなくなっていく。夜が明けて、年が明けて、いま、私は大人になったのだろうか? 夕暮れのたびに涙して、いつかの日を思い返して、窓越しに紫色の空を見る。取り込んだ洗濯物から、冬のにおい。木枯らしをまとった、かわいた都会のにおい。

たぶん、もうすぐ春が来るんです。それがわかっているから、たまらなく淋しいんです。桜の花びらひとつ、ベランダに舞

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前夜

季節がとたんに逆さに走り出した。大切な菓子箱をひっくり返して宝石が散らばった。このせわしい街に吹く木枯らしが私たちのコートを揺らして、電車は行きつ戻りつ頭上を駆けてゆく。故郷がわだかまって暖炉のように燃え上がり、都会は少しばかり淋しさという言葉を忘れかけていた。
鼻をくすぐるスパイスの香り。笑い話の交わされる広いテーブル。あっというまに回った時計の針が、私たちをせき立てた。やがて狭い部屋はハミング

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今夜でおしまい

8月31日。
こんなに淋しい数字の並びが、ほかにあるだろうか。
一日の終わりは、またあたらしい一日のはじまり。冬が終われば春がきて、夜が立ち去れば朝が駆け寄ってくる。本当は、時の流れの中に、季節のうつろいの中に、終わりなんてない。
だからこれから私が語ることは、本当ではない。真実ではないのだ。単なるひとりの少年の、何にもならないつぶやきである。どうしようもなく孤独だった思い出の切れ端である。

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グッド・バイ

 平成最後の夏、私は何を想うのだろう。夏を愛し、夏にすべてを捧げ、夏と共に生きてきた私が、一体。私は昭和の夏を知らない。だから私にとっての夏は、平成の夏がすべてということになる。
 あの頃、私は小学生だった。朝はいつもラジオ体操から始まった。私の部屋の窓からは公園が見える。みんなが集まる公園だ。少し早く集まってはしゃぎ回る低学年の男子。虫取り網を持って木を揺らす者もいる。
 時間が近づくと、三か所

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みずうみ

君がいないひとりの夜が、どんなに淋しいか、それは月の出ている宵に、みずうみを覗いてみれば判るだろう。みずうみには青い花が咲いて、清い風が吹いて、おまけに鏡のわたしが映る。だけどわたしは泣いている。かなしげに眉をひそめて、唇とがらせて、ふたつの小さな瞳からは転がるように涙が落ちる。それがみずうみにぽつんと跳ねて、ああ、六月が終わったぞ。君のいる街の灯りは一体どんな色だろう?窓の外には月が見えるだろう

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あれから

あのさわがしい幸福から
もう一週間も経つんだね
笑いつかれた週末は
眠ることさえ口惜しいような
まばたきのできないひととき
こぼれるほどのふるさとの香りは
かなしいくらい穏やかだった
ぼくが気取らずに済むように
大人にならずに済むように
あの頃で部屋じゅう埋め尽して
迷い鳥のようなか細い声は
ビルの山には響かないだろう
けれどこの夜だけは
窓ガラスの中に野はらが咲いて
ぼくだって少年でいられた

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10号線のライムライト

午前二時、彼は今夜もあのバーから出てきた。薄手のコートを月風にはためかせて、細く長い影を伸ばす。私は彼のあとをこっそりと追いながら、ひたすら国道の乾いた風を浴びた。ときどきトラックが過ぎるたび、少し煙たい。
彼の名前はわかっている。住所も、職業も、生い立ちも、とうに調査済みである。それから、今夜飲んだカクテルの名前さえ。
彼の家は坂道の途中にある。そばに小さな神社がある。耳の遠い老婆の営むクリーニ

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まぶしい夏

朝の快速電車はゆっくりと時が流れる。夜の名残りは陽射しの中に溶けてしまい、私は窓の外を見る。誰もが幸せそうな五月の街は白い息を吐きながら、盗まれた絵画のように過ぎ去ってゆく。
空は青くて、風はとまっていた。追いかけてくる太陽は探偵のようなまなざしで、レンガ通りに28℃のニスを引く。八百屋のプールに真っ赤なトマトが浮かんでは沈む。私は嬉しくなって走り出す。ティファニーの鞄が路地を切り裂き、その隙間か

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