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【5分で知る不登校】不登校を経て思う、学校への想い

はじめに

今回の記事は、みつばち先生の記事を読ませていただいて、その中で得ることができた多くの学びについてお話をします。
これから入学を迎えるお子さんをお持ちの親御さん、ぜひ読んでもらえると、大切な気づきと心構えを受け取ることができると思います✨

現在の情報化社会において、学校は知識を得る場所ではない。
Youtubeを始めとしたネット上で、知識は得られるからです。

とはいえ、僕は学校はなくなってほしくないし、
これからも存在し続けると思います。

それは、学校が楽しい子どもたちや
学校にしか逃げ場がない子どもがいるからです。

前向きに学校へ行くことを選択しているお子さんがいる限り、
学校という居場所の存在は必要である、そう思います。

上記のみつばち先生の記事の中にある、
『学校に行く理由』『学校に行く目的』『時代は変わる。学校も変わる。』
にフォーカスして、僕の思いを綴りたいと思います。


1.学校に行く理由

【僕の理想】

①学校に居場所があるから
┗学校の友達がコミュニティとして大事
 家庭に居場所がなく、学校が必要
②学校が楽しいから
┗友達と遊ぶ、身体を動かすのが楽しい
 学ぶこと、それが数値化されることが楽しい
 他と比較されることで頑張れる
③学校でしかできないから
┗学校でしかできない学びがある(今はほぼなさそうだけど)
 狭い地域における仲間づくり(これは大事だと思います)

【実際の親御さんの声】

・子どもが家にいるとリモートワークができない
・子どもが学校に行くとホッとする
・子どもの仕事は勉強で、職場が学校
・学校に行くのは当たり前

【大人には『理由』が必要】

大前提として、子どもたちは『誰のために』学校に行くのでしょうか?
行きたいから、楽しいから、行けていますか?
もし、そうなのであれば、辛いから、苦しいから休めていますか?

学校に行く『理由』が必要なのは、大人たちが『行かせようとする』から。
それ以外に『理由』が必要な理由を僕は思いつきません。


2.学校に行く目的

【僕の理想】

①『同じ』を共有しに行く
同じタイミングでの学びや、同じ空間での生活
同じタイミングならではの共感による、アウトプットの共有

②『一緒』にやる
『同じ』を共有した仲間と『一緒』にやる一体感(運動会とか)
『同じ』学びの上での仲間との比較(テストとか)

③『違い』を認知・許容しにいく
同じタイミングで一緒にやっている中での『違い』を見つける
それらの『違い』を認め合う

【文科省曰く】

①国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質の育成
②国民の教育を受ける権利の最小限の社会的保障

みつばち先生も、記事の中でおっしゃってますが、
今の時代、これは『学校でしかできないこと』ではないですよね。

【今の学校にできること】

多くの知識も、幅広い交流も、インターネットの世界にはかないません。
じゃあ、今の学校にできることってなにがあるの?

1:狭い社会ならではの人間関係構築
ネットの世界は、広い代わりに関係性が希薄です。
『地域の目』『人と関わるぬくもり』
そういうものを伝えられるのは、狭い社会だからこそです。
お子さんのお友達、お友達の親御さん、
そんなつながりから生まれる『地域の目』は、
地元の安全を守るための最強の防犯対策だと思います。

2:間違いや失敗をできる
ネットの世界では、間違いや失敗は多くの人にたたかれ、
そして、データとして永久に残ります。
でも学校では、大いに間違えて失敗することができる。
これは最大のメリット。

それなのに、いじめを否定したり、自殺を隠そうとする大人がいる。
そんな『残念な大人』のいない環境にできれば、
子どもたちが自信をもって失敗できる場にできるのではないでしょうか。

3:生のやり取りができる
ネット情報やYoutubeではリアルタイムでの質問は困難。
さらに対面ではないから、会話の空気が伝わりづらい。
何より、大勢を対象とするため個別の対応がしづらい。

それを払しょくできるのは、学校ならではだと思います。
塾とは違って、毎日通うメリットもここにあると思います。

学校には『コミュニティが小さい』『地域性が高い』『(ほぼ)毎日行く』『情報が残りづらい』その他にも多くの特性があります。
それらを利用した『学校のある暮らし』を時代の変化に合わせて提供するのが、学校の目的ではないかと思います。

3.時代は変わる。学校も変わる。

【変化してほしいもの】

今現在、時代の変化は誰しもが感じていると思います。

そして、学校も10年前からは大きく変わっています。

主に、保護者からの声によって、安全至上主義みたいに。

子どもたちは学校が終わったら習い事だらけになりました。
放課後は校庭で自由に遊べなくなりました。
けがをしない様に、遊具も変わりました。
校門は閉じている時間の方が長くなりました。

色々な『ルール』ばかりが増えて、『責任』が濃縮されて。
その責任から逃れるように親と学校側での『なすり付け合い』、『隠す』や『ごまかす』が増えたと思います。

僕は今、学校と親の間に必要なのは『足し算』ではなく、
『引き算』
だと思うのです。
これ以上ルールを加えてがんじがらめにするのではなく、
お互いが責任を持ちあって、規則を減らすこと。

そして、学校だ家庭だと割り切る『割り算』ではなく、学校と家庭の力を掛け合わせる『掛け算』だと思うのです。

ルールで社会と個人の両方を守ることは難しい。
個が大切とされるこれからの時代には、規則で縛らないことが大切だと、
僕はそう思います。

【変化の方向性が変化してきている】

元記事のクリエイターである『みつばち先生』は、
さまざまな思いをもって、でも、純粋に疑問を投げかけられていました。

『どうして学校に行かないといけないの?』と息子に言われたら… と。

僕が、息子が選択した不登校を受け入れてから、多くの学校の先生とお話をしてきました。
時代の変化や現在の学校の在り方、そして『不登校』に対することなど、本当に多くの先生方が『通り過ぎている、見ないようにしている、知らない』現状を見てきました。
このnoteを始めてから、そういったことに対して向き合っている先生がいてくれることを知り、すごく嬉しく思いました。

平成の時代は社会に適応するために学校の『ルール』が変化した時代。
に対して、令和になってからは個人に対応できるように学校という『うつわ自体』が変化している時代になってきていると感じます。

学校が、先生が、なにより子どもたちの将来が、変化してきていると感じさせていただきました。



もし、不登校で悩み、壁にぶつかって苦しいという方がいらっしゃったら、不登校のカウンセリングも行っていますので、☟の『ミライラボ』のリンクからぜひ一度お話しに来てみてください。

『ミライラボ』ってナニ?
と興味を持って下さった方、こちらの記事もよろしくおねがいします♪
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