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④「そういうものには意味がないんだ」
記事・写真 三浦順子
はじめに
杵築市山香町にあるカテリーナの舞台で「表現する人たち」が語り合うこの連載。前回3は、年齢も生まれた場所も違う3人が子どもの頃に経験した共通の経験について伺いました。それは木村さんが中学生、安藤さんと未來さんが小学校4年生のときの出来事だったのですが…内容が気になる方はよかったら、さかのぼって読んでみてください(笑)。筆者は木村さんが語る彫刻の本質についてのお話を聞いたことで、もっと彫刻を知りたいなぁと思うようになりました。さて、第4回となる今回は、言葉にならない世界の話や、表現のバックグラウンドにあるものについて。相当中身の濃い激論が始まります。表現の世界に触れている人にとって必読の回ですよー!
内容Ep.1. Ep.2 Ep.3 は ↓から
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大切なのは感覚刺激のほうだった
編集長:内側の感覚というお話が出たんですけど、身体で感じる感覚と、それとはまた別段階のものを私たちは持っていると感じています。それは見えないもの…心というか、魂というか。さっきの木村さんのお話(※連載③中盤・大学受験の話)で、実技試験のときにすごく感情が…
木村:そうそうそう。だからいい絵だったと思うんですよ?笑
(一同笑う)
安藤:今はないんですか
木村:ないですね。もう見たくないね。そう、苦しいばっかり。
編集長:苦しいとかいうのも、ちょっと離れると美しいじゃないですか。困って悩んでる人とかもすごいきれい、ということがあると思うんですけど。そういうものを表現したりとかもありますか。
木村:自閉症の人たちの彫刻の表現でいうと…めぶき園に、ずっと風船玉を丸めていて、丸めたものを手離すことができない人がいて。最初はそれが問題行動になった。風船玉を丸めたものを置いて違う作業をしようって言ってもできないんですよ。それがなくなるとパニックになるから。彼は風船を引き裂いてそれを練りに練ってボール状にして、延々と持ってる。こうやって(指先で)練って、部屋の棚の上に並べてる。お母さんに言わせると、それこそこんな小さなカスみたいなところから始まるんだけど、パラパラになってることが大事なんですと。
未來:そっから育ててくんだ
木村:それが部屋にあると、あまりにも印象が強い。だから美術以前に「とにかくこれ何とかならない?」っていう話をしていた。その人は別にそれを人に見せる表現としてやってない。なんでやってるかもわかんない。あるときは姫島の海岸かどこかでそれを落としたらしくて、これがないから帰れないっていうんでさあ探せって。どこを探すんだって笑。それで、風船玉の代わりにアルミホイルを丸める作業をしてくれるようになった。
-ああー、アトリエMOE展(2016 大分県立美術館)のときに見ました!
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木村:ここ(板状のもの)に接着剤を着けて、丸めたアルミホイルを置いたら?って言ったけど、彼は接着剤をつける作業はしないっていうんです。だから職員が横について「どこに置く?」って。彼が「ペター!」って言ったらそこに職員が接着剤を差してあげる。そうすると彼が丸めたアルミホイルを置く。また丸めて「ペター!」。…延々とそれをやってたんですね。そうやって付き合ってるうちに見えてきたのは、作っていく間隔はその人の呼吸がまず出てくるって思ったのね。僕らだったら、並んだものを星座にし始めるじゃない?。ここに動物がいるとか人間がいるとか、形を読み取り始めるでしょう。でも、彼はそっちにはいかず、ただひたすら並べてる。そして、どうやら視覚的な印象よりも、アルミホイルを丸めているときの感覚刺激がすごく大事なんだっていう当たり前のことに気がついたんですね。さっき話した僕の身体感覚と同じで、自閉症の人たちには固有覚があまり働いていない人がいる。彼の場合は結局これ(指先で丸めたものと感覚刺激)が迷子札だった。迷子札がなくなると、(心が)身体から離れてどっか行っちゃうんですよ。で、ここ(いま自分がいるところ)へ戻ってくるために(指先で丸めたものが)必要だったんだと、いま僕は思っているんですよね。(精神的に)ワーッとどっかいっちゃう。それはものすごい濃い体験。でも、そこへ人間を放してしまうと帰って来れない。見てる側からすると、訳のわからない人になってしまうんだけど…。表現にならないところで、すごく大事な領域に触れている。そして、彼はまだこれをやってくれるけど、表現までいかない連中が相当濃い世界に触れてるんだっていうことがだんだん見えてきたんです。そもそも(幼少期に)みんなそこを通ってくる。だからそれは、障害と呼ぶことはできないんじゃないかって。
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それって欲じゃないですか
木村:感覚刺激が大事で、刺激を送ることで自分の中の固有覚を通す働きをしているとする。そうすると、なぜ人間が彫刻を始めたかということが見えてくる。どうして彫刻という表現に至ったのか…。でもそれは、言葉という表現に向かうベクトルの中の一つのステージなんですよ。ただ意味を伝えるだけの情報的な言語ではなくて、この感覚の世界とのあわい(間)に表れていること。そして方向性としては言葉の方へ向かっている。小さな子どもたちにしても自閉症の彼らにしても、人として地上で生きていくために身体を備えて、その中で機能して、人とコミュニケーションして、という方向へ向かっていく。それが、言葉の世界に入ったところで(感覚の世界と)切れちゃうわけですよ。
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木村:だから「目に見えないけどあると思うんです」としか言えないでしょう。確かにあるんだっていうところで話ができない。いまの時代は「目に見えないからないでしょう、ありはしないじゃないですか。そこのことは切り捨てて、言葉の世界で構築したものの中で生きていきましょう」という方向へどんどん向かってますよね。もちろん絵が好きで絵を描いてるとか、音楽が好きで音楽をやっているっていうのは、本当にそれが喜びであるならすればいいと思うんですけど、表現され得ないものに触れるということが、人間にとってものすごく大きなこと。それは特別何かをする人じゃなくても、誰にとっても大きな仕事だと思っています。
編集長:人間の役割って何なんだろうと思います。誰かと会って話をするとか、言葉で形どるとか、もしくは手で何かを作る作業はしているけれども、そぎ落としていくと、もう最後は祈ることになっていくのかなって思うんですよ。思念の世界みたいな。人間はそういったものを、実は向かうべきこととして与えられているのかなと思うんですけど…。表現活動をするときに、最終的な目的地みたいなものって設けていますか。
未來:目的地かー。
編集長:きっと高みへ…というふうにね、向かうと思うんですけどー。
木村:そうなんですかね。
編集長:あ、そうでもないですか?
木村:ものすごく卑近な話をすれば、僕なんか若い頃は自分で作品を作って、それがある種の高みに達して、って思っていた。それって欲じゃないですか。自己実現。それはあんまり意味がないんじゃないですかね。松本さん(コウハクさん)はそういうことをわかっていた人だと思いますね。
音楽というものを特化して、ブラッシュアップして、それである種の理想みたいなものを実現しようっていうことに投影されている自己の欲望っていうか。金を儲けようっていうのとあまり変わらない。そういうものには意味がないんだ。(大切なことは)もっとトータルで、目に見えない、形も構わないもの…。松本さんと最初に会った頃、いろいろなことを話しました。例えば木工で素晴らしい作品を作りましたと。その素材を取ってくるために、山をズタズタに切り崩しました。そしてこっちは非常に素晴らしい作品ができましたと。一方、こっち(環境)はめちゃくちゃですと。それってどうなのっていう。
未來:そうそう、確かに
木村:もちろん高度なものを作りたい。人間としてそこに打ち込んでいるんだから。けど、ここに特化して、ひたすら突き詰めて「あとはもうどうでもいい」って言うんじゃなくて「まず麦を蒔くところから」。もう1回グワーッと回り道して、ここちょっともう少し、って(バランスをとる)。そうやって(カテリーナは)すごく根気のいる作業をずっとされてきたと思います。
ーなるほど
木村:ええ。まあでもね、俺が言うなって話ですけどね
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ちっちゃな単位でできることがある
安藤:まあみんな、…たぶん木村さんも未來さんも僕も、目的っていうか、到達したいっていうか、(そこは)あると思う。
編集長:うん。うん。
安藤:理想って言ってもいいし、テーマ。自分でわかんないけど、わかりたいとか作りたいとかいうのは、あると思いますよ。ただ、言葉でぱっと出ないかもしれない。でもそれはあると思いますね。
未來:木村さんが言ったことを分かりやすく言うと、例えば木材っていうことなんですけど。いい楽器を作るためにいい素材を手に入れないといけないわけですよね。それが長年に渡って続いて、いい楽器とされる定義が1個できて、それを作るための素材はこういうものが良いとされたときに、まずそれを採ることから始まるわけです。材料も数百年かかってできるものだったりする。それが長年に渡って採られ続ける。製作者はそういった「いい素材」と向き合うわけなんですけど…。だけど、その結果どうなりましたか?っていう話ですよね。父はそこに違和感を感じていた。古楽器を復元するとか、忠実に研究するってことであればヨーロッパから素材を採ってきて作るっていうのが、基本的には必要なことだと思う。けど、木材としての可能性とか、日本の中で使われていないものなどが持っている可能性だってもちろんある。自然環境とも仲良くやっていけるもの作りが必要なんじゃないでしょうか。最高級を目指す作り方があってもいい。けど、根底に人として自然の中、地球の中で生きてるっていう感覚がないといけないのかなというのは、作る上ですごく思ってる。なぜ田舎に住んで、草刈りをしながら、米を作ったりしながら楽器を作るのか。楽器だけ作っている方が圧倒的に時間も取れる、音楽だけを表現する方が、より多くのリリースができるし、収益化もできる。でも(自分たちは)それ(生活の選択肢)をわざわざ広げてる。それは、一つで特化して生きていこうと思ってないというところが一番あるのかな。なんなら、そういう生き方が全体に浸透していってもいいんじゃないかなと思ってる。(松本家が)ここに引っ越してきたのが90年代、バブルの最後ぐらいですけど、時代に逆行しながら生きてきた。もの作りを残していきたいっていうのもあるし…。本当ならナイフ1本あれば、だいたい身の回りの物で暮らせる能力を人間は持ってる。そこまでになれとは言わないけど、そういう感覚を残していく必要があるんじゃないかな。そういうことを、楽器作りや音楽とともにある生き方をとおして、自分がやっていくっていうのがまず一つ…
木村:そうですね、そうですね
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未來:それをした後に、なにかしらリンクできる人がいるのであれば…。だけど、音楽にしても美術にしても、商業的なものになりがち。有名になりたいとか。音楽の目的として、そういう(方向性で)表現する(人がいる)。だけど、本質的にはそこ(商業性)じゃない気がする。
安藤:「食べていくため」っていう前提の人って、いるっちゃいるね。
未來:それを職業にしようと思ったときに、収益を上げていかないといけないっていうのはもちろんあると思うんです。けど、それにすがらない生き方はできる。(社会の形に)無理が出てくるというか。アート産業とか、楽器産業とか、そういう形になっていっちゃうんですけど…。大きなものじゃなくて小さなものを、みんながやっていく社会になったらいいなと思う。エネルギーにしても電気にしてもそう。本来はもっとちっちゃな単位でできることがいっぱいある。そこがふつふつと、もっと出てくればいいなって。でも(自分は)活動家ではない。だからすごく遠巻きに抽象的に作る。表現したものを通して、うっすらと感じてもらえたらいいのかなと思ってはいます。
安藤:もうそれしかないんですよね。あんまりこっちから「こうです」とか、自分が作ったものに対してアピールとかしないですもんね。ね。
木村:もっとした方がいいですよ安藤さん笑
(一同笑う)
安藤:もっとしない方がいいと思う。なんなら僕、出ない方がいいなって。絵だけ出ればいい。絵っていうか、作ったもんだけ。理想は、笑
(5へつづく)
次回予告
7/26(金) 19時頃 予定!
次回⑤は…本来の自分ってどこにいる?。
・言葉以前の領域に触れることが大事。でも、どうやって
・シンプルだけど効き目がある!?松本コウハクさんの子育て
らせん階段を降りるように、対話はどこまでも深まっていきます。
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お知らせ&大募集
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プロフィール
安藤 誠人(あんどう まさと)
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1972年 大分県別府市生まれ
2000年(専)仙台 College of design入学
2002年 鯨井久樹 造形美術教室 入門
2003年 安藤誠人個展
以降個展、グループ展多数
2011年 大分県宇佐市に移住
2021年 カテリーナ古楽器研究所大分移住30周年記念公演に絵画で参加
2023年 カテリーナ古楽器研究所開設50周年記念公演に絵画で参加
現在、一色による色調と技法と物質を内なる必然性と関連した絵画表現を探究。
木村 秀和(きむら ひでかず)
![](https://assets.st-note.com/img/1721449791146-J9bm6kk6An.png)
1961年兵庫県生まれ
東京造形大学で彫刻を学ぶ。
大分移住後別杵速見森林組合で林業に携わる。
2000年作業中の事故で脊椎を損傷し以後車椅子生活となる。
現在豊後大野市犬飼町 社会福祉法人萌葱の郷の施設で自閉症の人達の美術制作をサポートしている。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100055164999837
松本 未來(まつもと みらい)
![](https://assets.st-note.com/img/1721449800038-AYcaBlb8L9.png)
1982年東京生まれ
ヨーロッパ、中世・ルネサンス期の古楽器を復元・制作する工房を遊び場に、数多くの古楽器に囲まれ、制作の現場で育つ。調律師でもあった父のチェンバロ調律は子守唄。音楽は家族の楽しみ、コミュニケーションの一つとして日常にあった。旅をすれば歌が生まれ、楽しくなれば太鼓を鳴らし体が動く。生活は作ることを基本として、楽器に限らず道具やものは自らが作る。そんな生活の場が現在の生きる道を形づけてきた。baobabと同時に古楽器演奏ではシトール、ギターン、ハーディー・ガーディー等を担当する。作ることと音を奏でることは、互いに大きなインスピレーションを与え合うものとして存在している。音楽よりも長い経歴を持つ楽器制作では、現在、カテリーナ古楽器研究所を主宰する。
未來さんの活動拠点。カテリーナ古楽器研究所のあるカテリーナの森では現在劇場化計画が進んでいます。計画にかける思いや、進捗状況などは「カテリーナの森の劇場化」のインスタグラムよりご確認ください。
Magazine Crew
文・写真
三浦順子(あのね文書室)
ライター/インタビュアー。 大分県の片隅でドタバタと4人の子育て中。猫3匹と6人家族で暮らしています。元地方紙記者(見出しとレイアウト担当)。2019年、インタビュー記事を書きはじめました。2022年からは地方紙と専門紙の契約ライターもやってます。
↑ MJおすすめ万願寺レシピ。まもなくカボスもお目見えする季節に(編集長)
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