淡島ヒルコ

社家の生まれでもなく、神職の妻でもない、田舎の女子神職です。 國學院大學を卒業後、東京…

淡島ヒルコ

社家の生まれでもなく、神職の妻でもない、田舎の女子神職です。 國學院大學を卒業後、東京の神社で巫女として奉仕し、ご縁あって日本のすみっこでご奉仕させていただいています。神社や日本文化に関する講話をアップしていきたいと思います。

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祭祀のこころ

先日、お茶の先生がひなまつり茶会を催され、初めて茶事に参加しました。 いつものお稽古では「おもてなしの仕方」を学ぶので、お客様としてもてなされるのは初めてでしたが、先生のこまやかな心遣いにもてなされて初めて気づくことも多く、大変勉強になりました。 私が神様の気持ちを申し上げるのは烏滸がましいですが、神社や斎場にいらっしゃる神様も、こういう気持ちで私たちのことを見ているのかしら、と思うと、茶道と神道のこころは共通すると改めて感じました。 茶事のあとに落語があり、そこで大いに

    • 独坐大雄峯

      先日、禅の本を読んでいたら今の自分にピッタリの公案が紹介されていました。 「如何なるか是れ奇特の事(=何か変わったことはありませんか)」 という問いに対し、百丈和尚(約1300年前の福建省にいた禅宗の僧)は「独坐大雄峯」と答えました。 これは「わしはここで座っている。これくらい変わったことはないだろう」という意味です。 禅の神髄は、この身体、この心、日常の生活、そこにあると言われています。有名な「平常心是道」ですね。 私は禅のこの考え方が、「神道は日用にあり」と通じるとこ

      • 月と女

        昨晩はオンラインイベントで月をテーマに講話させて頂きました。 月の神様といえば、ツクヨミ。 ですが・・・・とても謎が多く、講話が難しかったので、「お月さまいくつ」という子守唄から昔の月信仰についてお話しました。 *以下、性的表現、血の話がありますので苦手な方はスルーしてください。 皆さん、「お月さまいくつ」という子守唄は御存じですか?この子守唄は関東地方を中心に全国に色んなバリエーションがある様なのですが、今日は、備後地方(広島県東部から岡山県西部の地域)で歌われていた歌

        • 折り紙

          うちの子供たちは今折り紙に夢中です。 とくに6歳の息子は、自分で折り方を考えてオリジナルのものを作ったり、折り紙を切ったり破ったりして、段ボールに貼って作品をつくったり、多種多様な使い方をしていて観察していて面白いです。 4歳の娘は、折り紙で野菜や果物を折って神棚にお供えしていて、感動しました・・・✨折り紙以外にもお菓子やジュースをお供えしてることがよくあるのですが、見ていないうちに片付けると、「神様が食べた!」と本気で信じていて可愛いな😆と思います。 先日、お花のお稽古で

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        • 神様について
          3本
        • 女性のいろいろ
          13本
        • 神社のあれこれ
          6本
        • その他
          5本
        • 神様の言葉
          0本

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          六根清浄大祓

          節分が過ぎてから、お参りも少なくなり時間が出来たので、大祓詞を浄書しました。御朱印を受けにきてくださる方のお陰で、だいぶ字が上達しました😆 さて、今日は私の好きな祝詞を紹介します。 自宅の神棚で奏上しているのが「六根清浄大祓」です。 六根とは「目、耳、鼻、口、心、身」のことで、どちらかと言うと仏教要素の強い祝詞です。なので、普通の神社で奏上することはなく、教派神道や山岳系の宗教で用いられることが多いようです。 ↓どんな祝詞かは以下をご覧ください。↓ 天照皇太神(あまてら

          六根清浄大祓

          インド

          8年前の2月、単身でインド旅行をしました。 偶々その年はヒンドゥー教の100年に一回の祭り?の年でした。 4日間という短い休みだったので、世界遺産になっているタージマハルではなく、ガンジス川で有名なバラナシへ。 そこで、ガンジス川の神に捧げる火の踊りなど、ヒンドゥー教の祭儀を目の当たりにして、強烈な、原色の信仰がインドの人々の原動力になっていることを肌で感じました。 「人間の基本は信仰心」だということを、見せつけられた瞬間です。 翌朝、舟に乗ってガンジス川の沖で日の出を拝

          茶道お稽古雑感

          先日は今年初めての茶道のお稽古でした。 久しぶりでもなぁんとなく手が動いて、細くとも続けることが大事なのだな、と思いました😅 今回のお稽古のお軸は「紅炉一点雪」 意味は、真っ赤に燃え盛った炉の上に一片の雪がひらひら舞い落ちてくる。雪は一瞬のうちに溶け、その風情がはかなく感じられる。私たちの命もまたこの雪のように、永遠に続く時間の中では一瞬でしかなく、はかないものだということだそうです。 溶ける雪を見てここまで深く考えられる昔の人ってスゴイ! ここ100年で急激に文明は進み

          茶道お稽古雑感

          イケてる?

          明治時代頃、瀬戸内の若い娘は、結婚前に地元を離れて旅をしたり、他所に奉公に行ったりして、地元とは違う方言が喋れる女の子が「イケてる」子だったようです。 「あの子、伊予の言葉を喋ってて素敵!」みたいな感じだったんだろうか・・・ さて、易経に松竹梅の話が出てきます。 当たり前のことですが、松は梅に、竹は松に、梅は竹になれません。しかし、松は見事な枝ぶりになるように、竹は真っすぐしなやかに、梅はうつくしく艶やかに咲くように努力することで、それぞれに与えられた命をよりよく生かすこと

          イケてる?

          登山

          登山を始めたのは3年前。 夫に子供を連れ去られ別居する羽目になり、ポカンと空いた休日の過ごし方を考えていた時のこと。 「お金がかからず、時間がつぶせて且つ健康的な趣味」 という理由で登山を始めました。 今住んでる所、山ばっかりだし。。。😆 その時は本当に気持ちが臥せっていて、涙、涙、の毎日でした。 神道の神は人を救わない! と怒りさえ持っていたっけ(笑) けれど、登山を始めてその気持ちが変わりました。 登るときは、いつも「悲しかったこと」「悔しかったこと」「反省したいこと

          着物

          私は1年365日のうち300日くらい着物で過ごしています。 初対面の人には、ほぼ100%「なぜ着物を着てるのか?」と聞かれます。 なぜって・・・・?🤔 一言で言えないくらい色々な理由があるのですが・・・・ しいて言うなら、「着物が好き」 あと、神社に携わってるのに、自国の民族衣装を自分で着れないって恥ずかしいなと思いまして・・・・ 着物を着てると、なぜか着物の方から私の所にやってくるんです!この現象に名前つけたい(笑) 今、呉服屋には10年分、たんすには100年分の着物の在

          神道と茶道

          私の講話のネタ帳にしている「神道百言」という本に、利休の「茶の湯とは只、湯をわかし、茶をたてて飲むばかりなることと知るべし」という言葉が紹介されていました。 この言葉に対し著者は、 ”茶道は人間の在り方を教へる道として、一生のたのしみとして工夫を重ねるものが多い。神道と茶道を同一観して、語るのは避けるべきであらう。然しその勉強の過程に於いては、お互ひに見習ふべきことが少なくない。 茶道では、湯をわかすのは、古来は早朝6時から、風炉に火を入れ、終日湯をわかしたものである。神職

          神道と茶道

          忘れられた日本人

          つい100年位前の日本はまだ識字率も低く、庶民や農民の生活はあまり記録されていません。そこで「民俗学」という学問が誕生したんですけどね。 「忘れられた日本人」は昭和14年当時の、農村の人々を中心としたたわいのない話や聞き取りが収められています。 中でも私が面白かったのは「女の世間」で、大島の田植えの時期に女の人たちがするおしゃべりが収められているのですが、 「わしゃあ、足が大けえてのう・・・」 「足の大けえもんは、穴も大けえちうが」 「ありゃ、あがいなことを」 「穴が大

          忘れられた日本人

          風姿花伝

          お花の先生に勧められて読んでみました。 風姿花伝って能の本だと思っていたのですが、読んでみると深い!面白い! 作者の世阿弥は、能の演じ方だけでなく、普段のふるまいや生き方、芸事のあらゆる事を花に例えて書かれています。 例えば「時分の花」と「真の花」について。 「時分の花」とは若い時の、若さを売りにした芸。 「真の花」は人が生来持っている才能に加えて、努力によって生み出される能力、年をとっても衰えない魅力をいいます。 人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立、これ花なり この言葉

          ミテグラ

          神社の神前には御幣というギザギザの紙に串がついたのものが置いてあります。 御幣は元々神様への捧げものでした。後世になると御神体や祓の道具として扱われるようになりましたが、古くは「ミテグラ」と言いました。 柳田国男説を要約するとミテグラ=手にとって移動できる神の座(=クラ/神の降りる所)であり、神に捧げる財貨の意味はない。とのこと。 この説に加えて、吉野裕子先生は、クラ=すぐに座=神の降りる所とするのは間違いだと「クラ考」では指摘しています。 例えは万葉集から「クラ」のつく

          ガガイモと少彦名命

          *今日の記事は真面目系下ネタです。苦手な人はスルーしてくださいw ある本にガガイモの名の由来が書かれていました。その本の著者は、この植物の種子が名前の由来だろうと書いてありましたが、そういえば吉野裕子先生の「蛇」にもガガイモのことが書いてあったな~と思い読み返してみました。 神話では、少彦名命はカガミの舟に乗ってやってきます。 古事記では「羅摩の舟」と記述されていますが、羅摩とはガガイモを指すようです。 少彦名命は、国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)

          ガガイモと少彦名命

          辛丑(かのとうし)ってどんな年?

          今年は、元号だと令和2年、西暦だと2021年、皇紀だと2680年で、干支は辛丑(かのとうし)です。 一般的にその年の干支を挙げる時は、十二支を言うことが多いですが、正しくは十干十二支(じゅっかんじゅうにし)で、略して干支(えと)と言います。 干支について申し上げると長くなりますので簡単に説明しますが、十干は幹、十二支は枝で兄弟(えと)の関係にあります。 もともと干支は、この世の生命やエネルギーの成長や発展、収縮する変化の過程を分類したり説明したりするものです。 したがって、十

          辛丑(かのとうし)ってどんな年?