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神道と茶道

私の講話のネタ帳にしている「神道百言」という本に、利休の「茶の湯とは只、湯をわかし、茶をたてて飲むばかりなることと知るべし」という言葉が紹介されていました。


この言葉に対し著者は、
”茶道は人間の在り方を教へる道として、一生のたのしみとして工夫を重ねるものが多い。神道と茶道を同一観して、語るのは避けるべきであらう。然しその勉強の過程に於いては、お互ひに見習ふべきことが少なくない。
茶道では、湯をわかすのは、古来は早朝6時から、風炉に火を入れ、終日湯をわかしたものである。神職が早朝に禊して、身も心も清めておくのと、どこに差があらうか。(略)
茶をたてるが、濃茶にするか、薄茶にするか、時処位によって異なる。清浄正直の工夫が、自身の神棚、床の間の掛け軸の文字によって、自然に表現される。(略)
神道と茶道とが、お互いにお互いを生かしてくれるのである。”


茶道は日本文化の総合芸術と言われていますし、神道も茶道も「道」がつきます。
正直、私は茶道が苦手なのですが😱、お道具の扱いはそのまま神具の扱いに通じますし、流麗な所作は祭式に通じます。
利休の言う通り、基本的にはお茶を点てて飲むだけなのですが、季節によってお道具や取り合わせが変わり、確かに神道と通じるところがあるなと思います。神職としては茶道の心得がある方が、より深く神道を理解できるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

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