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月と女

昨晩はオンラインイベントで月をテーマに講話させて頂きました。
月の神様といえば、ツクヨミ。
ですが・・・・とても謎が多く、講話が難しかったので、「お月さまいくつ」という子守唄から昔の月信仰についてお話しました。


*以下、性的表現、血の話がありますので苦手な方はスルーしてください。



皆さん、「お月さまいくつ」という子守唄は御存じですか?この子守唄は関東地方を中心に全国に色んなバリエーションがある様なのですが、今日は、備後地方(広島県東部から岡山県西部の地域)で歌われていた歌詞を紹介します。


お月さまなんぼ
十三九つ
そりゃまだ若いぞ
紺屋の薬
薬くすりくすぼった
薬屋の前で
赤子を拾うて
お萬に抱かしょ
お萬はどこいった
油買いに
酢買いに
油屋の前で
滑って転げて
血を出して泣いた
その血をどうした
犬が舐めてしもうた


この歌を要約すると「13歳のおまんが血をだした」という話です。
つまり、初潮の歌です。
今、初潮を迎えるのは大体小学校高学年くらいの歳が平均と聞きますが、戦前までは13歳~15歳くらいが普通でした。生理現象を月経とも言うように、周期が月と海の潮に対応していることは、古代から知識化されていたようです。
例えば、江戸時代の文献によると生理は月の水と書いてげっすいといいました。さらに古い言葉ですと「さわり」と申したようです。経血は月と海の潮に対応しており、大体14歳で始まり49歳で絶えるとあります。
別の文献ですと、女性は7年を一つの周期として血の循環があるとみていまして、7歳で血気さだまり、14歳にて径水にいたり、五七三十五にて血気満つ、その後はそれより漸漸におとろへ七七四十九に血気尽き経水絶えて懐胎なし、とあります。
もう一つ、紹介したい文献がありまして、そちらには「月経は体液ではあるけれど、血そのものとは違う。この体液は子供を産むために必要な水分だ」とあります。
神道や仏教では血は穢れとして忌み慎むものとされていますが、一方で西洋医学と似たような考えがあったことに私は驚きました。
また、生理だけではなく満月の日に出産が多かったり、西洋では狼男が変身したり、東洋西洋問わず、月の光は人の心を惑わしたり、人体に影響が大きいものとされてきました。最近の研究によると、その理由は人間の体液と海水の成分が似ているからだと言われていますが、それだけが理由なのでしょうか?
「お月さまいくつ」の子守唄からは、子供から大人になる過程が、子供仲間の共通意識が前提となって月への呼びかけのなかに、初潮や月経の意味を分からせようとしているのではないかと思います。
なので、この歌に出てくる「おまん」という名の女性は、子守女の名称であるか、もしくは女性器を指しているのかも知れません。
最後に「油屋のまえで、滑って転げて」の箇所は、私の持っている史料では謎とされていますが、最後の「犬がなめてしもうた」とあるので、出産と何か関係のある歌詞かのかな?と思います。犬は一度の出産で沢山の子供を産むことから、昔から安産の象徴とされ、犬の日に安産祈願するのが良いとされています。
今は生理現象については、学校で習ったり、本で知ったりしますが、昔は「お月さまなんぼ」のように歌にして母から子供に伝えていました。生理が恥ずかしいことという感覚は戦後になってからのようで、昔は大人の女になるのに当然のことで、初潮を迎えたら赤飯でお祝いしていました。ちなみに生理中は忌小屋と言って、家族とは離れた空間で生理中を過ごしたそうです。その理由やどのように過ごしていたかを話すとまた本題からそれますので、ここはまた月の話に戻ります。


さて、月は満ち欠けし、常に形が変わることから死と再生を象徴すると言われています。例えば、昔話の「かぐや姫」は最後に不老不死の薬を置き土産に月に帰っていきます。ここ最近、大きな地震が続いていますが、月齢と地震も関係があるようで、陰陽師で有名な安倍晴明も月を見て天変地異を予測していたと言われています。


江戸時代頃「月待ち」という習慣が流行りました。
月待ちは13日、17日、23日など、特定の月齢の日に集まり、飲食をともにしながら月の出るのを待って、月を拝む行事です。
とくに19日~23日は女性が多く、安産や子育ての無事を祈願したそうです。具体的には水垢離をしたり、風呂に入ったり、清潔な着物を着ることから精進潔斎に基づく忌籠りと考えられています。
月がとくに女性の信仰を集めたのは、「お月さまなんぼ」の子守唄で歌われているように、生理現象と対応するだけでなく、陰陽五行説という中国の道教からくる考えが影響しているのではないかと思います。陰陽五行説とは、仏教よりも早く日本に導入され、古事記にもすでに道教の影響がみられます。その考えは、この世は陰と陽の和合から成り立っており、森羅万象は木、土、火、水、金(=金属)の5つの物質が作用しているというものです。
この考えに照らし合わせると、男は陽、女は陰となり、太陽は陽、月は陰となります。今のイメージだと陰の方が下にある印象を受けますが、陰陽、月日のように言葉でも陰の方が最初にくるので上位になります。
つまり、月と女性は陰の象徴であり、月の満ち欠けが死と再生を表すことから、出産をイメージするので女性が信仰の中心になったのだと思います。
とすると、月=女だとすると、神話で月の神様であるツクヨミが男神であるのはおかしいじゃないか、ということになります。
逆に、太陽の神はアマテラスで女神というのも、陰陽五行の考えからするとおかしいですよね。そこで私は、アマテラス、ツクヨミは太陽や月そのものではなく、太陽、月の神に仕えていた、祭祀者だと思います。陰陽五行に倣うと、男神である太陽神に仕えるのは女性、女神である月の神に仕えるのは男性となるからです。(これはあくまでも陰陽五行説をベースにした考えです。)


「月待ち」というのは月と仏様を結び付けた信仰で、観音様を中心に拝まれていたようですが、仏教が日本に伝来する以前から月への信仰は確実にあったと思うのですが、なぜ神話にほとんど記述がないのでしょうか?
日本人は四方が海に囲まれている海洋民族であるので、むしろ太陽よりも月の方が重視されてきたのではないでしょうか。
神話に記述がほとんどないのは、当時の政争も絡んでいるとは思うのですが、なんせ文献がほとんどありませんから、想像の域を出ません。
文献だけでなく、月に対する信仰も月待ちに関するもの以外は乏しく、例えば月の神を祀る神社は説末社含めて全国で700社ほどです。
ツクヨミと同時に誕生したアマテラスやスサノオを祀る神社はそれぞれ全国で13500社ほどあるのに対して少なすぎると思いませんか?
しかも、それぞれの神社を調べてみると、信仰が局所的なんですね。
例えば、アマテラスだと伊勢の神宮、八幡様なら宇佐八幡宮と、勧請の元になる神社があるのに、ツクヨミの場合はありません。
日本で一番ツクヨミが祀られているのは山形県です。山形県には出羽三山神社という神社があり、名前の通り、3つの山が信仰の対象になっているのですが、その中に月の山と書いて月山という山があります。今、月山の頂上にある月山神社のご祭神はツクヨミとなっていますが、元々は山の神信仰の場所なので、月への信仰ではないのです。おそらく「がっさん」という名前から後付けでツクヨミを祭神にしたのだろうと思いますので、そこを除くと伊勢の別宮にある月讀宮や壱岐にある月読神社の系統しか今はありません。
さらに、伊勢の神宮でいうと、ツクヨミはアマテラスの弟でスサノオと共に三貴子と呼ばれる尊い神様であるのに、内宮に対して外宮の祭神は豊受大神で、ツクヨミが別宮という形で豊受大神より格下の扱いになっているのも不思議ではありませんか?


だからこそ、昔も今も月の神はファンタジーや物語で様々な姿で、私たちのロマンをかきたてるのかも知れません。
今後の研究に期待します!

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