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独坐大雄峯

先日、禅の本を読んでいたら今の自分にピッタリの公案が紹介されていました。


「如何なるか是れ奇特の事(=何か変わったことはありませんか)」
という問いに対し、百丈和尚(約1300年前の福建省にいた禅宗の僧)は「独坐大雄峯」と答えました。
これは「わしはここで座っている。これくらい変わったことはないだろう」という意味です。


禅の神髄は、この身体、この心、日常の生活、そこにあると言われています。有名な「平常心是道」ですね。
私は禅のこの考え方が、「神道は日用にあり」と通じるところがあって面白く感じます。
このやりとりは、「今、自分とあなたが会って、やりとりしているということ位変わったことはない」ということです。


人との縁って不思議なもので、都合があったり、体調が悪かったり、車が壊れたり・・・会えない時は本当に会えない。
このコロナ禍で、いつも会えていた人や場所に行けなくて、当たり前って有難いことなんだなとしみじみ感じました。
だからこそ、今この時、神道でいう「中今」を大事にしないといけないと思いました。
子供を育てて思うのは、色んな奇跡が重なって、今自分はここに居るんだな~ということ。生きてるだけで、めっちゃ運が良い!
そういう気持ちを思い出させてくれた一節でした。

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