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風姿花伝

お花の先生に勧められて読んでみました。
風姿花伝って能の本だと思っていたのですが、読んでみると深い!面白い!
作者の世阿弥は、能の演じ方だけでなく、普段のふるまいや生き方、芸事のあらゆる事を花に例えて書かれています。


例えば「時分の花」と「真の花」について。
「時分の花」とは若い時の、若さを売りにした芸。
「真の花」は人が生来持っている才能に加えて、努力によって生み出される能力、年をとっても衰えない魅力をいいます。


人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立、これ花なり


この言葉、刺さります!
皆さん、なぜ花に惹かれると思いますか?
世阿弥は「珍しさ」にあると言います。
季節になると花は誰に命令されるのでもなく咲き、あっという間に散ってしまいます。
森羅万象は序・破・急のリズムから成り立っており、咲く時も枯れる時も「珍しさ」を感じることで人は感動するというのです。
これって、能だけじゃなくて芸事全般に通じることですよね。


自分自身を振り返ると、巫女の舞というのは「時分の花」だと思っています。
神様事というのは芸事ではありませんので、世阿弥が述べていることとはズレてしまうかも知れませんが、神職が目指す「真の花」って何だろうと考えた時、参列した方に神様を感じて頂けるような奉仕が「真の花」なのかな?と思います。
そのために、祭式や楽もきちんと出来るようになりたいですね。


そして、能と言えば”幽玄”。
今、私たちが思い浮かべる幽玄というのは、谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」で「闇を条件とし、闇の中から必然的に生まれた」と述べているように、深い、暗い、静かな印象ですが、世阿弥が活躍していた室町時代の”幽玄”は”何ともみるも花やかなる為手、これ幽玄なり”と、女性的、貴族的、優雅な美しさを幽玄と言ったことに驚きました。
時代によって言葉の解釈が違うんですね!
現代の”幽玄”の印象はどちらかと言うと、平安中期の解釈に近く、「ただ詞にあらはれぬ余情、姿に見えぬ景気(かすかな情趣)なるべし」が幽玄とされていたそうです。
↑私が和歌で目指している表現ってこれ!!!


正直、能のこと全然わからないから読んでもしゃーないかな~と思ったのですが、お稽古事だけでなく、仕事や生き方にも通じる世阿弥の教えにただただ感服するばかりでした。
先生、おすすめして下さってありがとうございます😆✨

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