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自分が傷つかないような距離を見つけること、相手を傷つけないような距離を見つけること

春休みが暇すぎる!!!と鬼のようにLINEを送ってくる友達に返信をしつつ、今はClubhouseを聴きつつ、今日は6時間のインターンシップを乗り越えた。

あまりにゆるい会社だと説明が丁寧=話が長い....ということで効率の悪いインターンのように感じてしまう。
ある意味これも1つの学びだ。







自分と他者との距離感、というものを人は「人付き合い」をしながら学んでいく。だから最初のうちはうまくいかなくて近しい人間と衝突するし、傷つくし、正直知らなくても良かったと思うような感情を抱いてしまうこともある。

でも人は「過去から何かを学び取る」ということがきちんとできる生き物だ。"きちんと"に差はあるかもしれないけれど、色々な人と関わることにより人は他者との「距離のとりかた」を身につけていく。

最初はこのくらいの距離感を保てば良い。このくらい親しいと感じれば距離を少し縮めれば良い。相手がこういう話をしてくれるようになったら距離は少し縮まったということ。距離を無理に縮めようとすると突然の別れがやってきたりする。

色々な経験を通して色々な距離を学ぶ。
だからどうしてもその過程で"傷つく"。"傷ついてしまう"、という方が正しいだろうか。自分が傷つかざるを得ない時があるし、相手を意図せず傷つけてしまうときもある。

"誰かを傷つけてはダメ"というのは ほぼ綺麗事だと思っている。自分がどんなに"もう誰も傷つけたくない"と思っていても、意図せず誰かを傷つけてしまうことがある。相手を傷つけなければ傷つけられるのは自分、という状況で相手より自分の心を守るかもしれない。
だからこそできるだけ学びたい。"傷つかず、傷つけない距離"というものを。相手との関わりの中で。


私も多くの人間に傷つけられてきた。でもその倍の数の人間を傷つけてきたかもしれない。そのときに "この発言で相手を傷つけた"と気づいていなくても、後になってわかることがある。人間関係が複雑になってきて.....、思春期に突入したりモラトリアム人間になったりして.....初めて気づくことがある。

あぁあのとき、私はあの人を傷つけてしまったのだ、と。

だからこそ思うことがある。もう人を傷つけたくない、と。そしてまた距離を測りかねて失敗する。相手に近づきすぎず遠ざかりすぎず、そんな不安定な距離感の中でまた私は傷つく。相手を傷つける。

誰とも関わらなければ誰も傷つけることはないし、自分も一切傷つくことはない。
でもそれでも、誰かとの繋がりを求めてしまうのはなぜだろう。
傷ついてでも一緒にいたいと思える人がいるのはなぜだろう。


同時に思うことがある。
私はあの日あの時あの人の言葉で、傷ついていたんだ、と。
それは記憶の彼方に眠っていたのかもしれないが、ふとしたきっかけで呼び起こされることがある。あぁあの時自分は傷ついていて、自分は悪くなかったのだ、と。

どこかで傷を抱えながらも、どこかで誰かに傷を与えた罪を背負って生きている。
傷つき傷つけながら成長していく、それは間違いないのかもしれないけれど、それはあまりに酷じゃあないか。


最初から相手との距離感は誰かによって全て定められていて、土足で踏み込まれることもなければ踏み込むこともない。ずっと保たれ続ける一定の距離。

そんなものがあれば誰も傷つかずに済んだのではないのかな、と思わずにはいられない時があるのだ。


誰かを「傷つけたくない」と思って踏み込まなかったラインが、近づき過ぎない距離が、時に相手を不安にさせていたりする。意図せず相手を余計に傷つけたりすることがある。

だから自分が嫌になる。どこかで自分が傷つくことを恐れている自分に。

"相手を傷つけた自分"に傷つき、自分勝手に醜くなっている自分に。



傷つかず傷つけず寄り添い会える相手、そんなものはもうどこにもいないのかもしれない。

だからこそわたしは、どこかで相手が傷つくくらいなら自分が傷つく方がマシだ、と思うことがあったりもするのです。


つよくなりたいなぁ。