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『沖晴くんの涙を殺して』 (額賀澪 作) 1 #読書 #感想文

あらすじ Amazonより

北の大津波で家族を喪った沖晴は死神と取引をした。
悲しみ、怒り、嫌悪、恐怖を差し出して独り生還したという。残された感情は喜びだけ。
笑うだけの不思議な高校生は、余命わずかの音楽教師・京香と出会い、心を通わせていく――。
ありふれた日常と感情が愛おしくなる喪失と成長の物語。

喪失と成長の物語というよりかは、生と死の物語の呼ぶべきだろうか。
額賀さんの作品は私は好きだが、この「綺麗にまとまっている、物語の中が美しい世界である」という部分が賛否両論あるようだ。
美しすぎる、綺麗な世界の物語かもしれないとはいえ決して軽い話ではない。最後は笑顔で読了できるけれど、涙したくなる場面もある。
そんな本の感想を、これから書いていく。





第一話 死神は呪いをかける。志津川沖晴は笑う。

主人公1人目は踊場京香。乳がんで余命1年と宣告されたものの、積極的な治療は受けないと決めた。生きる長さじゃなくて、生きる質を高めると決めた。
そんな彼女が、もう1人の主人公である高校生の志津川沖晴くんに抱いた最初の印象はこれだ。
31ページより

まるで、笑顔でいることが平常状態みたいに。(略)強いて言うなら、神様が彼に《笑え》と命令を出し続けていて、それに喜んで従っているだけ、みたいな顔なのだ。

そんな彼が死神とした取引については、あらすじの通りだ。あの『花は咲く』を歌いながら、彼はこう言う。
46ページより

「でも、俺には《悲しみ》も《怒り》も《嫌悪》も《怖れ》もないんで、思い出しても特に何も感じないんです。だから、結構楽しく生きてるんですよ」


第二話 死神は嵐を呼ぶ。志津川沖晴は嫌悪する。

彼は時々、自分に「怖れ」の感情がないことを確認していた。ホラー映像を見て。あの日全てを奪い去った海を見て。
彼は語る。あの日の海はもはや海でもなくて、一瞬んで全てを飲み込んでしまったということを。
私自身は東日本大震災を目の当たりにしたわけではない。でも、TVで流れる津波の映像でさえ、直視できないくらいだった。そこから私は、目をそらしてはいけなかったはずだけれど。

感情が欠けていることによって、すーっと胸に風が吹く感じ。自分には欠如しているものを他者との関係からありありと実感して、孤独になる感じ。

死神にそんな感情を奪われたことがない私でも、その気持ちが少し分かる。


"一度見たものを忘れない。運動神経が良くなる。怪我をしてもすぐ治る。死期が近い人のことがわかる。"
彼は失った感情を1つ取り戻すごとに、これらの能力を1つずつ失っていく。

そして彼は知ってしまう。ないはずだった感情の存在を知ってしまう。それに苦しむことになる。
でももっと苦しまなければならないことを、想像できるだろうか。

「踊場京香に死が近いことが、わかってしまうこと」

この事実に初めて気づいた時のシーンが、実は(あえて)一番泣けたような気がしている。



ネタバレを最初にしてしまうと、彼女は亡くなる。徐々に徐々に、衰弱していく。
沖晴は再び「死」と向き合う。
そして「悲しい」の感情を知る。

それならばこの本における「生」とは何なのか。

最後までページをめくってみてほしい。

321ページより

ああ、愛している。あの人がいなくても、どれだけのものを失っても、これから失っていくとしても。この世界を自分はとても愛している。


家族の「死」、そして京香の「死」を通して成長していく沖晴の背中を、
これを読んでいるあなたにもそっと見守っていてほしい。




つづく。





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