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出る釘になることを恐れない。でもちょっと待てよ、も忘れない。

私はよく先生に反抗する生徒だった。

なんかおかしい、と思ったら教師だろうと従うことができなかった。

覚えている範囲で、3人の先生に泣きながら抗議したことがあり、更に別の3人の先生には理解者である私の母が抗議してくれた。

その為転勤族ということもあるけれど、今でも会いに行きたい恩師みたいな人はほとんどいない。

きっと、小学3年生の時の本阿弥先生だけだ。
彼女は当時としては珍しい明るい髪色に、ヒョウ柄メインの派手な格好、そして香水がキツかった。
でもクラスメイトがいじめられたとき、主犯格グループを別部屋に呼び出し、その後その生徒達が全員泣きながら出てきたのを今でも覚えている。
カッコよくて明るくて、笑顔が素敵な先生だった。

反対に、大嫌いな先生がいた。
小学6年生の時の小島先生。
とにかくえこひいきがひどくて、いつも先生の周りには決まった子がいた。
それだけならいいとして、結構なおばはんが小学6年生の男子の手を取り、ニヤニヤデレデレしていたのだ。

私は本当に嫌悪感でいっぱいだった。


でもふと思い出した。

私は昔から小説を読むのが苦手だった。

しかし彼女セレクションの学級文庫の中に、
「だからあなたも生き抜いて」
というエッセイ本があった。
小学6年生の私には結構衝撃的な内容だったが、ぐいぐい読み進め、涙を流していた。

他にも「窓際のトットちゃん」を音読してくれたりして、あの黒柳徹子さんがそんな幼少時代を送っていたのか、と思った記憶がある。

「買ってはいけない」という本も衝撃的だった。

彼女は運動会の時に急に太極拳をやり始めたり、本のチョイスも行動もクセが強かったが、アンダーグラウンドな感じが実は気が合ったかもしれない。

いや、今なら合うかも、か。

そして私は今でもエッセイ本が大好きだ。


東京に地元の友達、H君が遊びに来てくれたとき、小島先生の話になった。

H君は幼少の頃に母親を亡くしているのだが、
ある日の放課後小島先生に呼び出された。

「Hくん、これ、お味噌。」

そう言って急にお味噌を渡されたらしい。

なんだかこれまたツッコミどころ満載なエピソードだが、すごく意外な一面を知った。

居酒屋で、「ええやつやん!!」と思わず叫んでしまった。


きっと全ての先生に、私の知らない一面があったはずだ。

私が気になったいろんな行動や発言には、何か理由があったのかもしれない。

私自身リスペクトが足りなかったと思う。反省。
まぁ学生の時にそんな客観性を持つことなんでできなかったけど。



最近ではTwitterなどで、怒りをあらわにしている人が多い。仕方ないと思うし、絶対に必要なことだ。

でもそれと同時に、その裏側には何があるのか、という視点も忘れないようにしたい。

もしよろしければ、よろしくお願いいたします。 めちゃくちゃ頑張れます!