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李家に生まれて

18
「三木才代」という人間がどんなルーツを持ち、どんなことを想い、どう生きるかを決めたか、を記憶を掘り起こして書いています。 自分の過去を大事にお伝えすることで、同じような経験や感覚…
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#アイデンティティ

李家に生まれて #12

李家に生まれて #12

本格的な中国語学習が始まった。
19から台湾に行き、語学学習から始まり
あれよあれよと約7年ほど留学していた。
この期間中、「ことば」の学習はゴールの見えない道のようだった。
語学学習は知識だけではなく自分との向き合うポイントもくれた。
「未知の言語」ではなかったので、より自分と向き合うことになったのだ。

台湾での中国語学習は私が3歳くらいまで家で学習していた
「注音記号」という発音記号を使う。

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李家に生まれて #11

李家に生まれて #11

まさに断崖絶壁。後戻りはできない。
18の私はまさにそんな気持ちで台湾へ留学することを決めた。
実際は祖母の家に居候することや、多くの親戚がいるため、
後ろ盾がとても十分にあるはずの環境だったのだが、
なぜか私は一人でいろんなことを背負いがちだった。
それはきっと、父が当初一人で日本に留学に来たり、
母が家族四人の家計を支えていたり、
これまでの生きた環境や状況を考慮しての意気込みだったと思う。

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李家に生まれて #9

李家に生まれて #9

自分の存在意義が危うくなった。
何とか大学受験へのモチベーションを取り戻そうとしても
進んでは後退するの繰り返し。
授業にほとんど身が入らなくなっていた矢先の出来事だった。

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李家に生まれて #8

李家に生まれて #8

念願の志望校合格。
私は完全に浮かれていた。
当時の内部試験は、附属の中学校4校から、
附属の高校を受験希望する者が集まる。
私たちの学校は4校の中でも比較的のんびりというか穏やかというか、
おおらかというか、あまりがつがつしていない雰囲気があった。
事前に高校はレベルが高いから、気をつけてとも言われていた。

実際、入ったのはいいものの私は自己流で勉強していたので
どう頑張っても追いつけないこと

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李家に生まれて #2

李家に生まれて #2

自分の子どもが、自分の母語を話さないと決断したら
親はどう思うのだろう?
記憶では、中国語の発音記号が書かれたカードや
「ご飯粒は農家の方が丹精込めて作ったものだから、大切に食べなさい」
といった教訓めいた絵本を
母親と一緒に読んでいた覚えがある。
しかし、一切の中国語を学ばず話さないと決断した時、
親からの無理強いはなかった。

とはいえ、実はここからがスタートであったとも言える。
親が台湾人で

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李家に生まれて #1

李家に生まれて #1

私の名前は李建瑩(り けんえい)。

もうほとんど使わなくなった戸籍上の名前以外、
私にはもう一つ、
「冠品」
という親戚で呼ばれるあだ名のようなものがある。

当時祖父が私の名前に「建」をつけ
どうもその字が男の子にしかつけない
女の子が男の子のように育ってしまうという
謎の迷信のような懸念から
私には別の名がつけられ、
周りから呼ばれるようになった。

私自身は特にそこに違和感はなく、
なぜか

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