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みかんを食べているときの人間、いちばんいとおしいかもしれない。
ゴールデンウィーク。あらゆる「正しさ」が街を行き交う。
いつ死んでもいいようにと決意しながらいまを生きているひとがいる。そのひとはーーその輪郭がはっきりとしていなくともーー死を予め視野に入れており、死を先取りして生きていて、こういってよければ予めの死を生きている。そしてこの「予め」は、卑俗な計算によって得られるものでは決して無い。
手近になにもないとき、それによってなにもすることがないときに、自分がただ存在しているということの重みを実感することがあります。それは例えば、パーティー(たこパ的な)が終わって友人がみな帰ったあとの部屋で現実に引き戻されるあの瞬間に似ています。最近はそれを入眠時に感じます。
うすうす気づいていたけど、日が長くなった(暖かくもなってきたね)。外が暗くなってきたのを見計らって買い物に出ることが多いのだが、最近その時刻が18時をまわっていることに気づいて驚いた。もう20年以上も四季をめぐっているのに。今日も生きることを続けるための買い物に行く。
生活、違和感、「自分」――2022年と2023年のあわいで
2022年もまもなく終わり。年末になると、新年の目標を立てる人は多い。一年というひとつの時間を区切りにして、これから迎える新年を心機一転違ったものにしたいという気持ちなのだろう。今回は2022年最後のnote記事として、新年に向けてのささやかな目標と言うか、2023年の自分の心の持ちようをつらつらと書いていこうと思う。
さて、これから新年を向かえるというのに、私は来たる新年に、そして少し先の未来
めちゃめちゃ有名なのに味の感想を見聞きしたことがない店。
【読書雑記】川野芽生「最果ての実り」
※本稿は、川野芽生『無垢なる花たちのためのユートピア』(東京創元社、2022年)所収の「最果ての実り」ついて気ままに書いた雑記です。以下、多少のネタバレを伴いますので、表題の作品をご覧になっておらず、これから読むつもりの方にあってはご注意ください。
また、以下の文章は当然のことながら私個人の読み方、解釈によるものであって、それが作品世界をすべて汲み尽くすものではないことをご理解ください。本稿を読
拾われ、運ばれる者としての子供
「○○は橋の下で拾ってきた子供なんだよ」と、幼い頃親に言われたことはないでしょうか。
先日、韓国の某アイドルグループが出演している動画を見ていたときのこと。メンバーがそれぞれ幼少期の写真を持ち寄り、写真にうつる当時の自分に寄せた格好をし、同じようなシチュエーションで大人になった現在の自分の姿を撮影するというのが動画の趣旨だったのですが、その動画のなかで、橋の上で撮られた写真を見せるメンバーに、他