おかし

おかしなことを書くかもしれません。大目に見てください。

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最近の記事

みかんを食べているときの人間、いちばんいとおしいかもしれない。

    • ふだんの生きること

      ¥100
      • ゴールデンウィーク。あらゆる「正しさ」が街を行き交う。

        • いつ死んでもいいようにと決意しながらいまを生きているひとがいる。そのひとはーーその輪郭がはっきりとしていなくともーー死を予め視野に入れており、死を先取りして生きていて、こういってよければ予めの死を生きている。そしてこの「予め」は、卑俗な計算によって得られるものでは決して無い。

        みかんを食べているときの人間、いちばんいとおしいかもしれない。

        • ふだんの生きること

          ¥100
        • ゴールデンウィーク。あらゆる「正しさ」が街を行き交う。

        • いつ死んでもいいようにと決意しながらいまを生きているひとがいる。そのひとはーーその輪郭がはっきりとしていなくともーー死を予め視野に入れており、死を先取りして生きていて、こういってよければ予めの死を生きている。そしてこの「予め」は、卑俗な計算によって得られるものでは決して無い。

          手近になにもないとき、それによってなにもすることがないときに、自分がただ存在しているということの重みを実感することがあります。それは例えば、パーティー(たこパ的な)が終わって友人がみな帰ったあとの部屋で現実に引き戻されるあの瞬間に似ています。最近はそれを入眠時に感じます。

          手近になにもないとき、それによってなにもすることがないときに、自分がただ存在しているということの重みを実感することがあります。それは例えば、パーティー(たこパ的な)が終わって友人がみな帰ったあとの部屋で現実に引き戻されるあの瞬間に似ています。最近はそれを入眠時に感じます。

          うすうす気づいていたけど、日が長くなった(暖かくもなってきたね)。外が暗くなってきたのを見計らって買い物に出ることが多いのだが、最近その時刻が18時をまわっていることに気づいて驚いた。もう20年以上も四季をめぐっているのに。今日も生きることを続けるための買い物に行く。

          うすうす気づいていたけど、日が長くなった(暖かくもなってきたね)。外が暗くなってきたのを見計らって買い物に出ることが多いのだが、最近その時刻が18時をまわっていることに気づいて驚いた。もう20年以上も四季をめぐっているのに。今日も生きることを続けるための買い物に行く。

          生活、違和感、「自分」――2022年と2023年のあわいで

          2022年もまもなく終わり。年末になると、新年の目標を立てる人は多い。一年というひとつの時間を区切りにして、これから迎える新年を心機一転違ったものにしたいという気持ちなのだろう。今回は2022年最後のnote記事として、新年に向けてのささやかな目標と言うか、2023年の自分の心の持ちようをつらつらと書いていこうと思う。 さて、これから新年を向かえるというのに、私は来たる新年に、そして少し先の未来に、若干の不安を抱いている。SNS疲れ、というのだろうか。いや別に「疲れ」ではな

          生活、違和感、「自分」――2022年と2023年のあわいで

          「恋愛禁止ルール」について

          ここ最近、アイドルの「恋愛禁止ルール」がSNS上で話題になっています。例によって(?)、某有名女性アイドルグループのメンバーが熱愛(ってなに)をスクープされたことに端を発しているそうなのですが、さらにその報道への反応を受けて他のメンバーがアイドルの「恋愛禁止ルール」について発言したことで大きな反響を呼んでいるようです。せっかくなので、この件に触発されるかたちで個人的に気になっていたことを思いつくままに書いてみようと思います。 「恋愛禁止ルール」は存在しない? いきなり前提

          「恋愛禁止ルール」について

          めちゃめちゃ有名なのに味の感想を見聞きしたことがない店。

          めちゃめちゃ有名なのに味の感想を見聞きしたことがない店。

          【読書雑記】川野芽生「最果ての実り」

          ※本稿は、川野芽生『無垢なる花たちのためのユートピア』(東京創元社、2022年)所収の「最果ての実り」ついて気ままに書いた雑記です。以下、多少のネタバレを伴いますので、表題の作品をご覧になっておらず、これから読むつもりの方にあってはご注意ください。 また、以下の文章は当然のことながら私個人の読み方、解釈によるものであって、それが作品世界をすべて汲み尽くすものではないことをご理解ください。本稿を読んで、面白そうだと思ってくださり、実際に作品を手にとって読んでみようとしてくださ

          【読書雑記】川野芽生「最果ての実り」

          「敢えて」楽しむということ

          ディベートというのをやったことがある。ディベートとは、簡単に言えば(単に日本語に訳せば)討論のことだ。私がやっていた(やらされていた)ディベートは、広い意味での討論ではなく(テレビで放送されてる討論番組のようなものではなく)競技化されたもので、ある論題(大抵は社会問題など)が与えられ、それについて肯定・否定の立場から議論を戦わせるというもの。そして最終的にそれらの議論を聞いていた審判が、公正な判断のもとでどちらの立場の意見がもっともであるかを判断し、勝敗がつく。この手のディベ

          「敢えて」楽しむということ

          空虚ではない空虚

          ・記憶の奥底に埋もれていたものが、ひょんなことから急に意識にのぼってくることがある。 ・それはオモコロの原宿さんのこちらの記事を読んだときのこと…。 ・原宿さんのこの記事の元になっている谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』。記事の冒頭で引用されているその本の中の一節がこれ。 私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥へ沁むようにジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとを聴きつゝこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境に惹き入れられるのを覚える。 ・懐かし

          空虚ではない空虚

          拾われ、運ばれる者としての子供

          「○○は橋の下で拾ってきた子供なんだよ」と、幼い頃親に言われたことはないでしょうか。 先日、韓国の某アイドルグループが出演している動画を見ていたときのこと。メンバーがそれぞれ幼少期の写真を持ち寄り、写真にうつる当時の自分に寄せた格好をし、同じようなシチュエーションで大人になった現在の自分の姿を撮影するというのが動画の趣旨だったのですが、その動画のなかで、橋の上で撮られた写真を見せるメンバーに、他のメンバーが「橋で撮ったということは拾ってきた子かも(ニュアンス)」と冗談を言っ

          拾われ、運ばれる者としての子供

          【読書雑記】年森瑛『N/A』

          ※本稿は、『文學界5月号』掲載の年森瑛『N/A』についての読書メモ、感想を書いたものです。表題の作品をご覧になっておらず、これから読むつもりの方にとってはネタバレになってしまうことと思われますので、ご注意ください。                          これは、この身体は、「わたし」のものだから。「わたし」じゃないものは何もいらない。  女子校に通うまどかがこのように強く思っているのは、「わたし」の身体を「わたし」じゃなくさせる何かが押し付けられていると感じて

          【読書雑記】年森瑛『N/A』

          サイゼと世界一周と

          サイゼリヤに行ってきました。(サイゼリヤってサイゼリ「ヤ」だったかサイゼリ「ア」だったかいつも忘れてしまいませんか) サイゼ、最高ですよね。(略せば「ヤ」か「ア」か忘れてしまっても大丈夫だということを発見しました) リーズナブルな価格で、質が高く、しかも毎日食べても飽きないような親しみやすさを持ったイタリア料理を食べられるのは、ここを差し置いて他にないのでは。いやもうサイゼリヤの魅力って、テレビだのウェブ記事だのSNSだの、いろいろな媒体で散々語られてきていると思うので、

          サイゼと世界一周と

          もう3月が終わるってマジですか

          年始に密かに立てていた「月1ペースで何かしら書いたものをnoteに上げる」という目標がすでに達成できそうになく危ういところまで来てしまった。あと数時間で4月になってしまう。私は別に締め切りに追われる作家でも漫画家でもないし、追ってくる人もいないのだが、間に合わせでもいいから何か書いてしまおう、書き始めさえすれば、自ずと手が動いてくれるだろうと考え、こうして書いている。 そもそも「何かを書く」ということを、厳格にではなくとも目標に据えたのは、私が全然「読む」ことを出来ていない

          もう3月が終わるってマジですか