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ここを通り過ぎていくあなたへ

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回復期病院で、言語聴覚士として働いています。患者さんとの日々で考えたあれこれのこと。
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だから、明日も向き合いたい

だから、明日も向き合いたい

そういえば僕、もうすぐ退職するんすよ〜と、後輩の男の子が言う。まるで明日休みなんすよ〜とでも言ったかのような、軽い口調で。

「……え、いつ?」

「実は今年中で」

「え、今年ってもうあと1ヶ月ないじゃん?!」

「そうなんすよ〜」

「え、本当に言ってる?!?!」

業務終わり、カルテを入力すべくパソコンに向かっていた時のことだ。パラパラと入力していた手が止まる。それで、なんて?退職???

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何者になりたいのかしらわたし

何者になりたいのかしらわたし

突然だが、世の中に「仕事が好きな人ピラミッド」なるものがあったとしたら、多分上から数えたほうが早い位置には属していると思う。そんなもの無いけど。
決して「上位数パーセントに入る」ほどの強いものではない。そんな人は世の中に掃いて捨てるほどいる。でも自分なりに、今の仕事が好きだと思っている。

言語聴覚士という仕事を知ってから実際にそれを生業にするまで、10年かかった。伝統工芸品の職人のように積み重ね

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患者さんの隣に、車椅子で並んでみたら。

患者さんの隣に、車椅子で並んでみたら。

「だってわたし不器用だから。」と、患者さんが笑う。わたしが手元にこっそり寄せた包帯を器用に両手で巻きながら。今のうちにもう一本、包帯の山から引っ張り出しては近付けた。

入院しているその方は、まんまるとした目が綺麗なおばあちゃまだ。頭のご病気を経て開頭手術を行ったと前院からの報告書に経過が綴られていた。その証拠に髪の毛は綺麗な丸刈りで、地肌にはまだ手術の跡がくっきりと残っている。他所で出会ったら驚

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ここが地獄でありますように

ここが地獄でありますように

わたしの大好きな方々は、お名前が言えない。

言語聴覚士というニッチな職業に就いて5回目の春が来た。ご存じない方が多いであろう我が職種。簡単に言えば、「コミュニケーションとお食事のリハビリの人」である。
一般的にリハビリと聞いて誰しもが想像するのは、平行棒にしがみつくようにして歩く姿だろう。
我々が関わるのは、老若男女問わず何らかのご病気やお身体の衰えによりコミュニケーションもしくはお食事に不自由

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まだ言葉を探す人でいたい

まだ言葉を探す人でいたい

「食事とコミュニケーションのリハビリ」というニッチにも程がある言語聴覚士という仕事に、13歳の頃から10年間憧れて就いた。
そんな念願の、かつて長年の夢だった仕事を辞めようと思ったことが今までに3回ある。

1回目は、毎日担当の患者さんから食事を拒否され続ける日々が1ヶ月ほど続いたときだった。
お年を重ねて認知機能が低下し、しかも今回のご病気で喉や口周りの筋力が落ちたことで今まで食べていたものが召

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そのやさしさはどこから

そのやさしさはどこから

最近出会ったその方は、うまく言葉が話せない。
脳梗塞の後遺症で言葉を操ることが難しいのだ。音を探しながら、言葉を探しながら、迷い、潜って、彷徨って、その方は言葉の海を泳ぐ。暗く、深い海の中を。

コミュニケーションのリハビリ職、というニッチもいいところな仕事に就いてから、同じような症状の患者さんを何人も担当してきた。こちらからは察せないほど軽微な、けれどご本人としては「話す一呼吸分の間が空く」と受

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「うめえ」が聞きたくて

「うめえ」が聞きたくて

言語聴覚士、というマイナーにもほどがある仕事に就いて、もう次で4回目の春を迎えようとしている。コミュニケーションと食事のリハビリという側面から誰かと関わるこの生活は大変だけど、うんと好きだ。

そんな中であるとき担当することになったのは、お酒とタバコとギャンブルがお好きで陽気な患者さんだった。目を開けてすぐのとき「わたしのこと、見えてますか?」と尋ねたら「見えてるよ!目の前に美人!サイコーの景色!

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愛をお金で買っていい

愛をお金で買っていい

愛かお金か選ぶとしたら断然お金だと、仕事を始めてから思うようになった。仮にも「医療従事者」なるカテゴライズをされる社会人になって数年目の感想である。

最近、見聞きすることをやめたくなるような話が後を立たない。ヤングケアラー、介護うつ、老老介護を始めとするワードや、訪問診療に来た医師を散弾銃で殺害したというふじみ野市のニュース。どうして、と言いたくなってしまうようなことばかり現実社会で起きている。

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拝啓、村上龍さま。あなたが私の人生を決めました。

拝啓、村上龍さま。あなたが私の人生を決めました。

最初の感想は、「なんで誕生日に本やねん」だった。

福岡に生まれ育って13年目のあの頃、馴染みも何もない関西弁が内心飛び出してしまうくらいには驚いた。忘れもしない、13歳の誕生日のことである。

もともと幼い頃から活字が大好きだった。
絵本、青い鳥文庫、ライトノベル、世代に合わせて好みは移り変わりながらも、読むものがなければ辞書も生徒手帳も説明書も好んで読んだ。左脳しか無いのかと思いたくなるほど数

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人生最後に口にするものは何がいいんだろう。あの方は何なら食べられるのだろう。医療者としてとはいえ、人生最後になりかねない一口をこんな赤の他人が決めていいものなのか。重すぎる。

仕事がおさまらないのでせめて

仕事がおさまらないのでせめて

なんてったって、仕事がおさまらない。
365日リハビリテーションを掲げる我が回復期リハビリテーション病院に休日なんて文字はない。それは患者さんもスタッフも同じことである。とはいえ年末年始のシフト調整担当と普段の12月/1月シフト調整担当が異なる結果、12/30〜1/4全出勤というシフトが爆誕してしまった。わたしの年末年始どこ?!?!?!
ということでせめて、書き納めくらいしておこうと思う。

とに

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わたしのことは忘れてほしい

わたしのことは忘れてほしい

だいすきだった患者さんが退院した。
燃え尽きてしまったんだろうか、とにかく何もしたくなくなってしまって今こうして文章を買いている。

仕事にこそ励めるものの、食欲が湧かない。わたしは3年付き合った彼氏と別れたときですら残業含めて9時間しっかり働いて焼肉を食べたような女なのに。とりあえず何か身体に入れなきゃと思いながらコンビニを亡霊の如く4件ハシゴして、やっとざる蕎麦を買った。ちなみに活力が消えると

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わたしはあの日を覚えているか

わたしはあの日を覚えているか

実習に来てくれていた学生さんを見届け終えた。

去年も担当の患者さんがケース( リハビリ学科の長期実習では、誰か患者さんをケースとしてお1人担当させていただいて、やれ評価だ検査だ訓練だ、とさせていただくことがとっても多いのです ) だったので学生さんとは密に関わっていたけれど、今回は更にだった。

彼女を見ながらいつも反省した。

わたしはいつの間に学生時代のときめきを忘れてしまっていたのだろう?

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だからわたしは手を握る

だからわたしは手を握る

仕事を始めて、1年半とすこし。お1人1時間のリハビリを7人分、毎日どなたかとご一緒しながら、もう数多の時間を過ごしている。けれどその中でも、いつも鮮明に思い出せる瞬間がある。まだ去年の今くらいの時期のことだ。

その方は、至らないところだらけのわたしに、沢山のことを教えてくださった方だった。

麻痺の残ったお身体では、歩くどころかお一人で起き上がることすら出来ず、そもそも吐き気がするせいで寝返りひ

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