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戦争と私

毎年 8月6日、9日
時刻になると、追悼の鐘が鳴り、みな一斉に、目を閉じて祈る。。
改めて、戦争について考えさせられる
忘れてはならない日ですね。


戦争の愚かさと、平和であることの感謝
当たり前ではない、日常のありがたさ
大切な人を想うこと、愛すること
国民、仕事、家族としての 責任

地球にとっても脅威的存在である人間
科学の発展と、人々が求める幸福度
文化や宗教の違いと、交渉
政治と、輸入(戦闘機など)
爆弾や核兵器の恐ろしさ
権力者と、従事者
暴力の後遺症

生死と、尊さ
知識と正義
正義と愛

生と復興


言葉にならないほどの悲惨は
多くの映画でも知ることができます。

ちなみに、私は、鑑賞していると
必ずと言っていいほど高確率で
徐々に体操座りになって、縮こまり、気づいたら震えてます。
…はい。

みなさんは、どうですか?

それと、戦争をテーマにした映画や本など
みなさんにとっての ザ!ベスト1 作品
何ですか?
あったら、ぜひ、教えてください🙋‍♀️


そんな今回は
戦争 と、現代に生きる私の立ち位置
をテーマに
考えたこと・思ったことを書きます。

ある一点に絞って話すと
リアルに輪郭が強調されて、悲痛さが割増し
考えるよりも、辛さ疲れ が起きると思うので
それほど深くもなく、表面的ですが、、
よろしければ、ご自身の考えと共に、お付き合いください。



戦争と自分 の立ち位置

戦争を経験した人が平均年齢88歳以上になり
直接そのエネルギーのまま伝えられることが
段々と薄れてきていて
同時に、被曝した建物も老朽化してきているため
リアリティーを保持する ことが、とても難しく、悩ましくなってきているそうです。

このことに、恐怖と焦りを感じている
経験者やご遺族からの悲痛な手紙を寄せられるようになってから、特に
生きているうちに伝えていかなければならない
と、女優の吉永小百合さんが仰っていました。
( 参照:クローズアップ現代 )

思えば、老朽化は当たり前にわかっていたのに
当時のリアリティはなくならない、というか
まだ当然のようにそこに存在していくものだ
と、なぜか思ってしまっていた。
その 甘い認識 に、ハッとしました。。

私も最近
「 (コロナの件を)生きていられるうちに、この世に遺しておかないと 」
と、日記をチャリティー用にデザインした
生きているうちに、この世にのこす・伝え継ぐ責任
勝手ながら、強く 感じていたので
同じ熱量まではいかないにしても
現状への焦り など、とても共感しました。

もし、自分が受け継ぐ立場になった時
戦争やコロナの件など、映画や本、何かしらで
子どもたちに伝えていかないとな
と、思っていますが、みなさんはどうですか?
なにか、暗黙の義務のようなものないですか?

地域によって差があると思うんですけど
経験した
または、自分にとって、身近であったり、親しみがあるものからでない限り
いくら教え聞かされても、単に、一つの歴史として事実を知るだけ
他人事のようにしか思えず
それほど、深く 想像し、痛み、考えることもないと思うんです。

沖縄出身のモデル・タレント りゅうちぇるさんが
戦争をテーマにした番組で話されていたことが印象的でした。
子どもの時からの教育で、お祈りすることが習慣だったけど
上京してから「何それ?」と言われ、ギャップを感じた、と。
また、この時に知ったのが、今、トピックで話題になっている
当時、SNSがあったらこう呟いただろうと
日記などの資料をもとに番組がつくった
Twitterユーザーの存在です。
興味深く拝見しています。[ @ひろしまタイムライン ] と検索すると、出てきます。
( 参照:私と沖縄戦 , 広島タイムライン )

リアルと無の狭間にいる私ができることは
リアルを知って、理解し
また、それを想像し、時には創造し直しながら
引き継ぐこと

私の場合、きっかけをくれたのが
有名な映画やテレビの特集
吉永小百合さんたちの他
尊敬する人の存在でした。

( 恥ずかしながら、学校などでも習ったはずが、記憶はすっかりなく..
大人になるにつれ、自発的に見聞きし出した時からは、覚えています。)



経験 したエネルギーを引き継ぐ

尊敬する人の中でも
戦争経験者として、このお2人を紹介します。

・アンパンマンで有名な やなせたかしさん
・美容家の 牛山メイさん

やなせさん は

生死を目撃し、自分もお腹が空いてる中
おにぎりを分けてもらったことが嬉しくて
アンパンマンを生み出したそうです。
それも、はじめは怖いと全く受け入れられず
売れはじめたのは、かなりお年を召してから。
他「手のひらを太陽に」の歌など
生涯、多くの人にエールを送り続けました。
( → 令和記念デザイン『 天 』で触れました )


牛山メイさん は

戦前もおしゃれを惜しまない女性に感激し
戦後、美容家としての使命を全うしました。
美容師だったのにも関わらず
今でこそ、広く知られていますが
美に関して、お化粧だけでなく
食と栄養(身体的健康)や精神(精神的健康)も大きく影響している、と唱え続けました。
( → 私の記念日デザイン『 愛 』で触れました )


これほどの逆境を経験し、乗り越えることは
近年危うい状況ではあるものの…よっぽど、ない!と思いたいですし、その仮説の上で
経験者から語られる言葉の背景や重みを 知ったり、想像すると
お二人のようにはなれないし
正直、とても自分の弱さや情けなさが浮き彫りになるんですけど
迷った時や、落ち込んだ時、調子に乗りそうな時とか
考えを拝借すると、コンパスのように示しくれて
また踏み出せる一歩になるんですよね。

たとえば、やなせたかしさんを通じて
アンパンマンから、人格、哲学や思想、戦争の話、生き様…と
段階を経て、語ることができる
そういう大人でいたいと思っています。

生き残ってくれた、戦争を体験した方々
きっと、当時は、生き残ったことを後悔しただろうと思うと心が痛みます..。
なぜあの人が、、
なぜわたしが、、
わたしはこの先、どうしたら、、
いっそう、人思いに..その方が楽だったかもしらない、と。

帰ってきた遺骨のような石、遺服、日記、遺体に残るプレゼントの飾り、、
自分の身体に残る後遺症、生き残ったことの自責、、
被爆の差別、性の差別、意志の差別、、
おしゃれしたい意志、大事な物を持って置きたい意志も、生きたい意志でさえも、、非国民だ、と。

そんな 同じ日本人、同じ人間同士が、歪み合う中で、闘い生き抜いてきたのですから。



幸せ = ( 悲痛 ) × ( 打消? )

幸せは、必ずしも、ポジティブなことだけで
成り立つものではないと思っています。

「悲痛さを言うのは、周りにも不快な思いをさせてしまうかも..」
というリアル対人関係への配慮からも
SNSでは、本音が出やすいということだと思うんですけど
必ずしも
「ポジティブ=悲痛なことは目を背けよう」
ということではないですよね。

前進のためには、事実や現在地を知る必要があり
「こういうことがあった、じゃあ次は?」
を考えることができる。

悲痛な出来事は
目をつぶり、なかったことにして、他人事のように過ごしていく
受動的になればなるほど、楽ではある
何も考えずに済むし、何かあったら、何かのせいにすればいい

復興や予防など、今後を考える時もそうですが
最低限でも今を生きるには
それ(不満や不幸)に縋っているばかりではなく
前例は糧 として、主体性 を持ち考え行動する
個人レベルであっても、同じ

戦争についても
そこから派生して、いのちについて等
同じことが言えると思います。

悲痛を忘れる
悲痛をなかったことにする

マイナス × ゼロ ( マイナスを打ち消す )ことが
幸せ なのか
平和 なのか
果たして、そうなのでしょうか。。
そこには、ただなにもい と、私は思います。

無 は、時に、生まなくてもいい 無情な歪み が生まれる
無責任が生む ひずみ は、無 より 無情 だなと思います。。



玉砕 という考えがうんだ副作用

一体、なにを守りたかったのか..
助けたい時に、助けられなくて..
大切な人と生きたいのに、大切な人を自ら守りたいのに
自ら死に向かっていかないといけなくて..
祈りや唱えも、結局は、権力者の意地でつくられたもので、無条件に従わされて..
自分の意思で生きることさえ選択できない
皮肉な時代

同じ国の者同士が、地や殿のため
今度は、異国同士が、お国のため
再び、多くのいのちが犠牲になった。

名誉のため

これの、一体、なにが美しいと言うんだろう
何をもってそう言えるんだろう

国民が滅んだら
国なんか、名ばかりで ないのと同じなのに。。

徳川の時代が終わり
天皇へ返還されたが、国の舵取りは、政治家に委ねられた。
軍隊は、今のように政治家判断のもとではなかった。
肝心な お国のリーダー は
所謂、上にとって都合のいい役人気質の人たちで集結された。

当然、忖度をし、“ 責任をとること ” や “ 覚悟 ” といった文字もなかったのだろうと思う。
海外へ攻めに行かせておいて
食糧も、盾や矛・治療などの支援物資も送らず
戦死 ではなく、餓死 させたのだから。
生き残っても、手が奪われても、足を無くしても、皮膚が爛れても
仕方ない と。
その後の責任もとらず、国民に委ね、受忍 を強要した。

復興も、国がすごいというよりは
生き残った人々の 虚無感の中に沸く 悔しさと使命感で 進んだのだと、安易に想像できます。

リーダーをあやまると、たちまち 多くの犠牲者がでる

いい教訓だと思い
自らトップに挑みにいくか
でなければ、選挙があるだけいいと思って
自ら選択していくしかない。

正義は、愛がなければ 正義ではない
私は、そう思います。



平和だから がうむ平和ボケ

最近、深く考えもしなかったことを痛感した言葉に出会いました。

「 平和 だから、平和 なのではなく
 平和 にしているんだ 」

きっと、みんな勝敗はわかってたのに
一丸 となり、いのちをかけて守ろうとしてくれた
そして、今も必死に守ってくれている
国や関わる全ての人たちのおかげで
守られている。

半日常的な今日であっても
どんなに辛くて寝れない夜があっても
勝手に明けていき、朝が迎えてくれる
当たり前に1日がはじまる。

夏音は警報にかき消され
寝たら明日はないと身構え
震える体を寄せ合い迎えた朝
晴々しい夏空を知らず
広島の空は灰色になった
75年前の今日

いまは
夏音も生活音もそれなりにあって
寝具の上で、足を伸ばし休められる
感染症が流行しているために
行動は制限されているけど
ネットとユーモアが世界へ繋いでくれるし
晴々しい夏空を眺めることもできる

確実に、私たちは
守られた 平和 の中
許容範囲内で、自由をゆるされている。

こういうことに気づき、感謝できなければ
幸せや平和は、決して、感じることがなく
ふと落ち込んだときに、自分は不幸な人間だ
と、押し寄せる度に、思い続けるしかない。

「〜だから、〜だ」と、受動的姿勢 ではなく
だからこそ、積極的姿勢 で、保つ・掴むことが
プラスをうむ のだと思うのです。



他人がつくったものではない、追悼でもない
自分の祈り

「生きられなかったいのちもあるんだ」
なんてこと、安易には言えないけど
せめて、生きている間くらいは
欲があって、それに向けてがんばってみるのもいいんじゃないかなと思っています。

また、些細な想いが、祈りになって
祈りが、指針になることも、あると思います。

生活水準を下げることも、時にはかなり重要だと思います。
だけど、下げたまま、価値観を固定 してしまうと
他の誰かにも強要し、心底では誰かの不幸を願うようになってしまいかねません。
そうなると、それに気づくのも
気づいてから、脱却し、心の底から自らの幸せを祈れるまでも
かなりの時間と労力が必要になってしまう。。

意識は、無意識になり
無意識は、時に都合よく自分で処理します。
いま一度、無意識の中の自己処理を点検する意味でも
お参りお祈り で、本心を確かめる のも、いい機会 だと思うのです。


数ヶ月前、ちょうど自粛期間中にでも、おうちでできたらいいなと思い
日本では年中あって、馴染み深い 絵馬 をつくりました。
何種類かの絵柄を用意しています。
ぜひ、活用してください♪
▼ 画像長押し(右クリック)で保存可能です。

普通なら、神社に飾ってそのままですが
神棚やお仏壇に手を合わせるように
書いて、飾って、合掌して
都度、新たな気持ちで立ち向かえられたら
本望です(*´ `)♡✨


大切なものを分かり、大切にしていけるように

望んでも、手が届くことなく、幻 になってしまわぬように

知っても、知らないふりをして
大切なものが、罪悪感に変わって
背負ってしまう
なんてことになってしまわぬように

いつでもここに立ち返り
また進んでいける
いいきっかけになりますように




熱中症対策もくわえて
感染症対策もしっかりして
一緒に 支え合い、踏ん張っていきましょう♪
必ず道は開けると信じて🌈






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( タイトル画(文中に同じ写真)と最後の絵馬の画像以外は、検索エンジンのヒットから引用しました。)


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