46 一歩目より二歩目。二歩目よりも三歩目が。
いつだったか母が私たち姉妹に、やたら大きくてデコラティブなソフトクリーム🍦を二人で仲良く食べるように一つ買ってくれた。スプーンを一つずつ手にし、姉が嬉しそうにしっかりとソフトクリームを握っている。・・・私は考えた。
チビあゆ(心の声):
「こないだのケーキを選ぶのも、お姉ちゃんに先に
選ばせてあげた。その前のおやつだってそう。
だから今日はアユの番…、大好物だし…。」
そう考えて、姉の握っているソフトクリームの頂点を横からパクっと食べた。すると、姉は発狂した上癇癪を起こしソフトクリームを地面に投げた。
「アユがひと口め食べたぁーー😭」
母に泣きついた。母は姉をヨシヨシしてる。
そして母は「アユちゃんもひと口めが食べたかったんやねー」と私に笑いかける。
その後、母は二人共に一つずつソフトクリームを買ってくれた。
それを見た父が「お前は子どもに甘い」と言った。
私はその時、棒立ちで目の前の景色を眺めながら、心の中でこんなことを考える。
・なぜそこまで感情を爆発させられるの?
・もし仮にお姉ちゃんがひと口めを食べるとしたら
私はまた我慢でしょ??どうして自分が食べるこ
とが当然という態度なの?
・たとえ納得いかなくても、私は食べ物を地面に投
げたりしないんだけど。もったいないし誰が掃除
すると思ってるわけ?
・泣きたいのはコチラですけど。なに自分だけ
エンエン泣いてるの?泣けば許してもらえる
とでも思ってるわけ?
・お母さん独り占めしないでよ。私だって…。
・(お父さんは)なんでお母さんのこと怒るの?
優しいじゃん。
・ごめんね、お姉ちゃん。
・お母さんって、なんでいつも怒らないんだろう…
・なんか…ソフトクリーム🍦もう食べる気失せち
ゃったよ。。
複雑に絡まった思考と辻褄の合わない感情が四方八方から押し寄せる。処理するのに数秒。
チビあゆはどうしたか。
・・・我慢😳。
私は小学生時代にはすでに、どんな感情が湧いても抑制してた。そうすると始めは「湧いてくるものを抑える」必要があった。しばらくそれを続けると「湧いても感じない」ようになった。そーこーしてるうちに「何も湧いてこない」ようになる。
そのように、感情は“麻痺”していく。
そーやっていくうちに不自然で歪(いびつ)なものへと変化してゆき、カラダの深部へと未昇華の感情が溜まっていく。そして固着してゆく。間もなく、自然な感情は感じられなくなる。
子ども時代は言葉にできないだけ。だからこそ厄介なのだ。
子どもの脳は大人の比にならないくらい、学習能力が高い。だから、たった数年で大人と同じように言語が話せるようになったり、背が伸びたり走り出したりできるようになるのであって、「これ以上、傷つかない生き方を学習する」のも大人より早い。
この私の事例は、心理学でいうアダルトチルドレンの要素が見てとれる。でもこの言葉に引っ張られると、事の本質を見なくなるので“感情の流れ”に目を向ける。
子どもの頃の出来事を思い出し、その頃にパターン化されてしまった感情の流れと意識に気づく。
過去、未処理のままであった感情に気づき、認め、自分の意思でそれを捨てる。“捨てる”というか、同じような出来事に遭遇した時に、“意識的に”異なる行動をし、異なる感情を選択する。
そのパターンに気づけただけで、もうこっちのもの。
それにこの作業、一度やるとクセになる。(←変態)
クセにはならないかもしれないけど、怖くなくなってくる。
自分の闇は、“受けとめる😳!”と決めない限り、絶対に消えない。「感情は自然と湧いてくるもの」で、頭でどうにかできるものじゃない。“コントロールできる”なんて、甘く考えない方がいい。
逃げ続けていると死ぬまで追われる。
でも一度でも「気づきを得」て、手応えが感じられると、、
「認める⇒解除される」のルートが目に見えるようになるから必ず光がさす✨
例えば、、人は“不安”に苛まされる。“不安”の出どころを見てしまうと原因が分かるから“恐怖”に変わる。だけど恐怖している正体が分かったら、次なる一手を打つことができる。
得体の知れないものによって怯えている状態を「不安」と言い、その原因が分かったら「〇〇恐怖症」と名前がついてくる。
だいたい皆、ここまではたどり着く。でもここから先は、名前(概念)を手放していかなければ、それが自分を縛り、狭めてくる。つまり、依存先が変わっただけになる。“依存している”ということは精神的自立からは遠ざかるということ。
名前や概念を手放す際、必要なのが“知識”や“導き”。
大抵、自宅の裏庭に転がっている。←比喩。
もしくは自分の中にすでに種がまかれていて、小さな芽を出していたりする。←また比喩。
つまり、目的地がボンヤリしていたり、お先真っ暗でも「今、踏み出さなければならない一歩」だけは絶対に気づいているはず。
私の経験上、知らなくてはならないものはむしろ、その一歩目だけ。どうせその頃に想像した“目的地の景色”は、実際に辿り着いたとき全然違うから。
“えーーーーい😳”と一歩を踏み出すと、パッと足場が現れる✨ 一歩目はめちゃくちゃ怖い(- -lll)
でもニ歩目は一歩目ほどじゃない。そして三歩目は二歩目ほどじゃない。そうやってくと、なんにも根拠や保障がなくても足を踏み出せるようになってゆく。
私はちょうど二歩目の頃「アナと雪の女王2」を見返していて、ハッと気づいた。
私がやろうとしていることは、自分には絶対に必要なこと。だけど怖い。
「失敗したら…。違ってたら…。😖」
でも・・・!!😳 ジャーーンプ!
ー*
自分にはなぜこの能力が授けられたのか、エルサは真実を探しにゆく。そうと決めたら、夢中で走り出す。真実はもう、すぐそこかもしれない。
道は無いけど、私が進むべき場所はこの奥なの!!
これ以上、待てないの!
「必ずここで 見つけ出すの!!」
えーーーーい👣✨
するとエルサの強い意思で魔法の氷の柱が出現。
渡れちゃった!!(2′08″あたり)
そして、、真実と出逢う!
こーゆーことが必ず起こる。宇宙って実はシンプルでやさしいらしい(*´艸`*)♥
Ayumi☽
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