副業に関しての「そもそも論」
2018年は「副業解禁元年」と知った時、日本の労働市場から離れて20年の私は、日本で依然として副業が認められていなかったという事実に驚いた。各種調査や関係記事によると、副業人口は増加の一途だという。当然だろう。
終身雇用制は崩壊、会社は定年まで面倒見てくれるかどうかわからない。入社から20年も30年も懸命に尽くしてきた会社から、いつ早期退職やリストラを迫られてもおかしくない。他人ごとではない。
あの日産、フォード、GMでさえ人員の大幅削減せざるを得ない時代なのだ。仕事人として生き残っていくには、自分に付加価値をつけるより他にないと私は思う。
今年3月末~4月上旬、東証1部企業やサントリーホールディングスなど非上場の大手企業を対象にした日経新聞の調査では、「副業解禁は大手企業の5割」という結果がでた。依然として副業を認めない方針の企業も22.3%存在する。
以下は記事内で紹介された調査結果である。
副業解禁の意義・メリット〈トップ3〉:
「社員の成長やモチベーション向上につながる」(76.6%)
「社員のセカンドキャリアの形成に資する」(45.7%)
「新規事業開発や本業の強化」(≒45%)
副業解禁の課題・懸念〈トップ3〉:
「社員の労務管理が困難」(78.7%)
「副業中の労災や不祥事などのリスク」(62.8%)
「労働負荷の増大やモチベーション低下」(≒41%)
副業肯定派と否定派がどちらも「モチベーション」を挙げているのは興味深い。「モチベーション」は副業推進の理由にも抑制の理由にもなるということであり、そのあたりに企業文化の影響が伺える。
本業と直接関係の無い個人的活動が本業に役立っていたり、その人の人生を豊かにしていたりするのを20年にわたって実際見聞きしてきた私は、断然「副業肯定派」だ。社員に副業をやってもらうのは、企業にとってもメリットが大きいと思う。
なぜなら「個人の成長=企業の成長」だからである。個人の能力・スキルが上がれば、チームの総体的な能力も上がる。別の世界を経験した社員は、より柔軟で客観的な視点を身に付けるだろう。少なくとも一社しか知らない、あるいは一業界しか知らない人間よりは人間的な幅も広がるだろう。
カナダでこれだけ盛んな副業が、日本ではそう簡単に広まらないのはなぜか不思議だった。上述したように「労務管理の困難さ」が日本の副業解禁の壁となって立ちはだかっているのなら残念な話しだ。下に貼った「副業・兼業の促進に関するガイドライン - 厚生労働省」を読んでみると、企業が二の足を踏む気持ちもわからなくはないが。
ここで「そもそも論」を述べたい。
そもそも、企業は社員の社外活動にまで「管理=責任を負う」必要はあるのだろうか。
日本の企業には日本の企業のやり方があるのはわかる。しかし、企業が社員の人生を背負う時代は終わりに向かっている。
副業をやるかやらないかは個人の自由であり、人生における選択のひとつである。常に言っているが、自由と責任はコインの裏表。生き方がこれだけ多様化している時代に、企業が社員の生き方や人生の選択に責任を負う必要が本当にあるのだろうか。
例えば副業解禁の課題・懸念トップ3に挙げられている「労働負荷の増大」。本業と副業のバランスをとることが出来なければその代償は本人が払う。副業を減らす・辞めるか、本業をクビになるか、はたまた副業を本業にするか。
あるいは、その体験が学びになって「タイムマネージメント」を習得するかもしれない。そのスキルは本業にも好影響を及ぼすであろう。また、副業を経験したことにより、人生の選択肢が増えるケースもあるかもしれない。とにもかくにも「個人の人生」である。成功しても失敗しても責任を取るのは本人しかいない。
「副業中の労災や不祥事などのリスク」に関して言えば、どこに居ても何をしていても残念ながら事故にあう時はあう。また、よく言われる「情報漏えい」問題。副業をしていようがいまいが、情報を漏らす人間は漏らす。漏らさない人間は漏らさない。不祥事も同様ではないか。
日本の企業はもう少し自社社員に対してのコントロールを緩め、社員の人生に責任を持つことを考え直してみてはいかがだろうか。