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きみは空、おっきな空だ

まず初めに小山田壮平の魅力は私の脳みそ、および言葉では言い表せないことを前提に最大限に言語化する。

これを公開することに少しばかり勇気がいる。なぜなら小山田壮平に対する文章は永遠に未完であるから。最高の更新が続いていくのみだ。


あれは3年前の5月23日、夕方のこと

の前に、私は前年の秋に充電期間を挟んだ。思い返せば鬱のようなものだった、と思う。

いや、そう思わないとあの時間はなんだったんだと思ってしまうからそう認めるだけ


諦めと認めの違いはなんだ、自身に今後残っていく気持ちのよさか?

ただ、その期間だけスパッと記憶がなく、覚えているのは着替えて靴を持ちドアノブに手をかけたものの体が動かず、ドアを背にしゃがみ込んで泣きじゃくった夕暮れ時、それだけ


そんな後だったから、春になっても浮遊しているような毎日を過ごしていた。春は苦手。このことを思い出すから胸の奥に妙な気持ち悪さが残る。

通学路の桜は一番ふわふわしていて綺麗だけど見るといまだに少し吐き気がする。
新幹線から遠く見える公園の桜のほうがずっとずっと感動する。桜に罪はないのにね。

授業を終え部屋に帰ると、学生らしくない「暇」を持て余すことにうんざりしていた。思考の繰り返し。脳みそも呆れる。

そんな時だ。YouTubeの関連動画で出会ったのは。あの日、差し込んだ夕陽は美しいものだったなー。

希望を歌っているその目は明らかに世界に絶望していてそれが残酷で美しかった。
ギターを弾く体に遅れて揺れる黒髪が、しなやかで、風に揺れるカーテンのようでしばらく見惚れていた。


ああ、もしあの時に知っていたら私はどう変わっていただろう。なんにも考えずに外に出られたかな。

ただ今でも、小山田壮平の曲が本当に響くとき、それは辛いことがあった後の初めの一歩を踏み出そうとしたときだったりする。

私にとって彼の存在は落ち込んだ時に隣に寄り添ってくれるもの、ではない。

ひとしきり泣いた後、寝転がった頭上に広がっている空だ。とっても大きい空。
ちょうど上を向いた時に、その前からいつでも大きく広がっていてくれる空。

この状況が収まったら一番に生で歌声を聴きたい。
大変だったね、けどまたこうして会えることは本当に奇跡なことだと知ったね。

私とあなたが今、同じ空間で生きていることも、そもそもあの日これほど夢中になる人を見つけることができたのも、長い一生のなかのほんの少しのきらめき、けどそれは一生つづく奇跡である、と。


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