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Q&A:母に依存する

こんにちは。私は摂食障害はじめ、精神疾患経験者で経験談から考え方、メンタリティーについて X @mgmgpai で質問やお悩みを頂いて Ameba blog @konpaichan でお答えさせて頂いています。

今回は頂いた質問に答えるnoteです。考え方の選択肢の一つとして参考に読んで下さればと思います。

頂いた質問です、ありがとうございます。


初めに

家族の形や思いやりは「家庭それぞれ」です。私なりの「家族愛」も質問者様にとって違ったり、家族って難しいテーマだからこそ悩みが深くなるんだと思います。

私の経験談や考え方をシェアさせて頂きますが、意見が参考にならない事もあると思います。そして、私の言葉が「絶対」ではありませんので質問者様なりの家族への思いを大切にしていて下さいね。


母に依存する理由

私の経験談になりますが、母に「強い執着心」を抱いた時期があります。摂食障害になるずっと前の事なのですが、その時期は「孤独感」を感じていた時期でもありました。

簡単に言えば「これまで甘えられなかった・寂しかった分、依存という形のワガママをしたい」という感じです

それだけ、これまで「良い子」である事に努めて。「親孝行」の言葉に縛られて。どれだけ寂しくても、辛くても、上手に甘えられる方法を知らなかったのではないでしょうか?


母と共に闘う摂食障害

私は執着の時期を曖昧に乗り越えてしまい、摂食障害になった時に質問者様と同じように沢山ワガママしていました。特に回復期は心のしんどさや怒りの矛先は常に母に向いていました。

でも、それが私なりの甘え方だったんです。これまで、思っても言えなかった事を怒りに任せて大きな声でぶつけてみたんです。

これで、良いんじゃないかな?今の質問者様も、きっとこれまで沢山我慢してきたんですよね。だから、今こそ沢山ワガママする自分を許してあげませんか?


摂食障害の発症の理由に「心理的要因」があります。これは「心の問題」と言います。

良い子過ぎてしまう事も、我慢強過ぎてしまうのも、親孝行に努め過ぎてしまうのも。「過剰」が心の負担になって、生き辛さ(心の問題)になってしまうんです。


でも、これは誰が悪いとか、母の気遣いが足りないとか、子供の私達が問題とかでもないんです。

親子と言っても、人間同士。上手く伝わらなかった気持ちや受け取れなかった感情なんてザラにあるんですよ。

今は摂食障害という病気を抱えた質問者様です。今こそ、一緒に気持ちを合わせて、手を組んで、大きな病と闘う時なんです。


ここで、また一人で抱え込んでしまったら。また、頑張り過ぎてしまったら。また、お母さんの負担にならないように自分で背負い込んでしまったら。

同じ事の繰り返しになってしまうし、お母さんに本音を伝えられるチャンスはやってくるのでしょうか?

負担、迷惑、親不孝。これは病気で苦しんでいる人に当てはまらない言葉たちですよ。

お母さんが病んでしまうのも、分かります。だって大事な宝物の娘様が苦しんでいるんだから。

そりゃ、気が明るい訳ないじゃないですか。質問者様は良い子過ぎて、頑張り屋さんだから、捉え方が自分の責任の方向に向いてしまっているんですよ。

違います、ここはハッキリお伝えさせて下さい。違うんです。誰も悪くない、誰も間違ってない、誰も迷惑だなんて思っていない。

心配で、痛みを苦しみを理解してあげたくて、何なら変わってあげたいくらいに思っていて。それが出来ない自分(母)に気が落ちてしまうんですよ。


まずは、気持ちを共有しましょう。自分の中の「迷惑で最低な行為」だとしても、それを取っ払わないと心の苦しみは消えてくれません。

ちゃんと言葉にして、お母さんにワガママしませんか?これまで、出来なかった分だけ沢山甘えましょう?


これまでも、ちゃんと互いを思いやってきたはず。それがすれ違ってしまったり、伝えられなかったり受け取れなかったり、そうなってしまっただけだと思います。

だから、きちんと言葉にして伝えましょう。お母さんも質問者様の言葉を聞きたいと思っているはず。理解できない事を行動だけで汲み取る事なんて出来ないんです。エスパーじゃないですからね。

だから、一緒に闘うんですよ。お母さんも頑張り時、質問者様だけじゃないんです。一緒に考えていく時間です。

それを、甘えと言うのでしょうか?これが親不孝で、迷惑な事なのでしょうか?違いますよね。

繰り返しになりますが、言葉にしてみませんか?そういう時間を作ってみるのも選択肢の一つです。


痩せは飾りでしかない

痩せたい気持ちを、私の言葉で拭う事はできないと思います。でも、一つ言えるのは「人間は見た目より心」という事です。

年代や流行りとかで、皆んなの大事にしているものとか価値観って変わっていくので、今は見た目が大事だとか、可愛くて痩せていれば良い事があるみたいな風潮かもしれませんが、それも一時的でしかありません。

ですが体はこれからずっと共にして、体の健康の上に成り立つ人生なのです。見た目はいつか老いていき、変わっていきます。嫌でも歳月には逆らえないのです。

心は、ずっと自由であって良いと思います。だからこそ、見た目に囚われて楽しさや幸せを感じられないまま、苦しいままにして、質問者様はこれから生きていくのでしょうか?

どちらが大切か。それを、よく、よーく考えてみて下さい。これが、私からお伝えできる事です。


最後に

質問者様は生きる価値にある人間です。価値のない人間はいません、その価値観はできれば手放して欲しいです。

これまで、苦しかった時間がこれからの質問者様にとって「経験」となって「学び」に変わるのだと思います。

無駄でも駄目な時間でもないんです。なので、できる事から、向き合ってみて欲しいです。

参考になればと思います、応援しています。

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