maro

A record of some of the reasons why I can b…

maro

A record of some of the reasons why I can be myself. 私が私らしくいられる理由の一部を切り取った記録です

最近の記事

政治は”今”これからの”日常” |精神疾患と生活

はじめに 私は現在”不正規雇用”で働く22歳。ADHDという個性を持って生まれた”東京”という大きな街の「当たり前という日常」はあまりに辛く残酷でした。私を「障害者」として突き放し、どの会社も面接も雇用もしてくれない。かと思えば、障害者年金の審査は通らない。摂食障害27kgの命の危機に在る私の心と体を、病院やカウンセリングの規約は見捨てました。 どうして、生きているだけでこんなに苦しいんだろう?選択肢もないじゃない。明日も不安。偏見でできあがった規約やルール、政策が私や精

    • 繊細で傲慢な私の "傲慢さ"

      はじめに 私は自分の性格を言葉に表すと「繊細で傲慢」と表現するのが、しっくりくるなと思います。これまでにも、そんな性格だからこその考え方を書いてきましたが、今回は「経緯」である私の人生の「ポイント」これまでにどのように、傲慢さが構築されていったのか?を、振り返るnote。 7000字近くあるので、目次参考に読んで頂ければと思います、長過ぎました。 恵まれた環境 「恵まれた」とはどこかで振り返った時に人がそう感じるものであって、形も種類も異なると思います。初めから自分の

      • 私の100%は誰かの0%

        はじめに 私はとても強くて弱い人間です。言葉で表すなら「傲慢で繊細」なのです。そんな私には「人よりできない事とできる事」があります。それは、皆さんも同じだと思います。 私は幼少期にADHDと診断されて、それ以降「社会の枠組み」例えば幼稚園での過ごし方から小中高と教育の場でも人の違いや差に、戸惑う場面が沢山ありました。 今、22歳になり様々な経験から自分の心地良い考え方を身に付けて自分をよく知ったからこそ、言える事なのかもしれませんが「皆んなが同じ力量やキャパを持って

        • 私だって「人間」なんだよ | 家族

          以前、投稿した「家族について」のnoteから家族への想いや相談など沢山頂くようになりました。私も思い切って自分のカタチを伝えてよかったと思いました。 今回は、私が家族と向き合っていく過程の一つで共通した認識として大切にした「人間同士」という事について書いていきます。 家族も人間。人間同士の集まり。 私は気付いたら今の家族の元に産まれて私という人間で生きていました。皆さんも誰かから、産まれていますよね。 産まれるまでのこと、1番古い記憶までの過程には親という人間の人生が

        政治は”今”これからの”日常” |精神疾患と生活

          "意地悪になる"くらいが丁度良い

          私の性格を言葉で表すと「繊細で傲慢」過去のnoteではそんな性格の私の「心地よい考え方」について書きました。 今回の note では、「心地よい考え方を」深掘りして私が意識した "意地悪になる" について書いていこうと思います。 " 意地悪 "っていう言葉から連想するのは「性根が悪く人を傷つけたり、それを楽しんでいる人」みたいな、道徳の範囲を超えた「悪い人」とイメージしていたのですが、私の近くにある意地悪は自分が思っているより、程度が低いものでした。(過剰評価をしていた)

          "意地悪になる"くらいが丁度良い

          対話から見出す自分の本音

          本日から公式LINEを開設しました。LINEでは日々の不安や悩みを気軽にシェアできる場所として活用してもらいたいです。 開設の理由 私も日々の仕事とプライベートがありながらこれまで300件程のQ&Aをしているので、どこかで対面してお話しできる場所の企画やどうしたら皆さんとより、スムーズな対話ができるかを考えてきた結果です。 対話の重要性を知って欲しい 対話というのは「人と話す事」自分と誰かで話す事を指します。自分を知る、理解するというのは一見は「自分で完結できる事」の

          対話から見出す自分の本音

          繊細で傲慢な私の心地よい考え方

          私は好き嫌いや得意不得意がとてもハッキリしている個性と五感や人の言動に敏感で、気を必要以上に使ってしまう性格なので自分を表す言葉として「傲慢で繊細」と表現します。 小さい頃からなので、人より沢山わがままを言ったと思うし人より沢山我慢した事もありました。 それは、私の中では当たり前の事。小さい頃は皆んなも同じ気持ちだと思っていたり、時に自分だけが「できない・苦手」と感じる差に戸惑う事もありました。 不登校になり、抜毛症になり、鬱病にも摂食障害にもなってようやく自分らしさを

          繊細で傲慢な私の心地よい考え方

          家族は対人関係の最難関

          「家族」この大きなテーマを取り上げるのに何度も下書きに閉まっては出しての繰り返しをして今日に至ります。 家族という存在は自分の人生やメンタルに大きな影響を及ぼすものとして語るに欠かせないものだと、改めて思いまして今回は「家族」について私の経験談から考えをこのnoteでシェアできたらと思います。 0. 前置き 私は父母と私の3人家族です。母の持病で「妊娠できない」と宣告された中で何年もの歳月をかけて不妊治療の末にできた私という子供。愛されて育ってきました。 私の友人には

          家族は対人関係の最難関

          痩せはお洒落の必需品?

          先日、頂いた質問の中に「Q.スリムであればもっと色々なファッションにチャレンジできる・したいと思っている。」という痩せ願望を手放したいけれど、そんな気持ちがあるという内容でした。(中省略) 私自身、お洒落やファッションはとても大好き。でも何かを楽しむのに、条件はいらないと思っています。 経験談、私も摂食障害になったキッカケとして「ダイエット」を始めた事、その理由が「自信・評価」だったと今振り返れば分かりますが、自信とは?評価とは?その先にあるものは "他人から映る自分 "

          痩せはお洒落の必需品?

          ✴︎三度の精神疾患を乗り越えたMIND✴︎

          私は幼少期にADHDと診断され、その後小学校3年生で登校拒否、不登校期間に「抜毛症」を発症。寛容までに6年。 その間に「鬱病」も患いながら、自然完治したものの同時に「摂食障害」になります。摂食障害は回復まで4年間でした。 なぜ、私は精神疾患を発症する「性質」なのか?をこれまで考えてきた結果に、摂食障害から学んだ事があります。 それは「私の当たり前を、自分がよく理解していなかった」という事です。 振り返ると、私はまだ22年しか生きていない。精神疾患になったのも小学生〜社

          ✴︎三度の精神疾患を乗り越えたMIND✴︎

          Met gara 2024 }vibes

          5月、皆さんはGWのイメージがあると思いますが私はとても楽しみな祭典(資金パーティー)のMet gara が毎年の楽しみです。そんな私の2024 Met gara の感想を勝手に書くnoteです 1. Met gara とは? まず、Met gara について。アメリカのNY メトロポリタン美術館(MET) で行われるファッションの祭典。METには服飾研究所というグループがあって「ファッションも芸術」を掲げています。その服飾研究所の為の資金集めパーティーですが完全招待制と

          Met gara 2024 }vibes

          痩せ姫助長JAPANに思う事

          普段は人それぞれの生き辛さに寄り添い、悩みや質問に答えたり、言葉を選びながら痩せに対する感情や健康に対する認識に自分の考えをシェアしています。今回は、あえて誰にも寄り添わずに自分の思うままに「健康の誤認識」を訴えたいと思います。 主にSNSなのかもしれません、問題であり誤認識の集まりや広がりはここから発生しているのかもしれません。昔からアイドルやモデルはいつだって「美しく憧れの的」の「シンボル」ではあったけれど、近年の痩せ姫や細いと幸福をもたらすような認識は近い存在にあるS

          痩せ姫助長JAPANに思う事

          ✴︎memorial of 摂食障害回復期00✴︎

          購読ありがとうございます。はじめに、このnoteは筆者である私"maro"の摂食障害のmemorialです。ダイエット歴を含めて摂食障害と約5年間闘ってきました。そんな私が摂食障害に対する考え方や回復期を乗り超えるまでの経験談をシェアしている活動の中で大切な事、伝えたい事をギュッとこのnoteに詰め込みました。 摂食障害は人それぞれの個性があってそれぞれに回復期がある病気だと思っています。[考え方の選択肢の一つ]として私の考えや経験談をシェアしているので、参考程度に読んで頂

          有料
          350

          ✴︎memorial of 摂食障害回復期00✴︎

          人生を味わう食事の話

          生きる為に必要なエネルギーは「人の笑顔」でも「幸せな瞬間」でも「悔しさや妬み」ではなく、「食べ物」のエネルギーですよね。 摂食障害になって、回復期を経て心も体も健康になった今も食事の有り難みと大切さを日々感じています。 健康について、ではなく「食事とは?」を書いていこうと思うのですが、食事に対する考え方って人それぞれ違うのが面白いなと思うんです。 ある人は、生きる為の必要なエネルギーだけを摂る行為と捉えてバランスより「効率」を考えて栄養食といわれるものをコンビニでストッ

          人生を味わう食事の話

          トキメキを思い出す雪の日

          東京都心も雪が積もり、今朝は少し早起きをしてどんな雪景色だろう?と窓を覗いたら、溶けてしまっていて寂しくなった 童心というか、子供の頃って色々な事に" トキメキ "を感じていたのを、雪を見て思い出した 雪が降ると、まずは学校が休みになる事を願ってワクワクした そして雪遊びをして遊んで、手は霜焼けをして痛いはずなのに 忘れるように外で遊んだ。 今はリモートワークという選択肢のおかげで通勤が困難でも仕事ができてしまう、有難迷惑。体が冷えると足腰が痛くなり、風邪を引いたり怪我

          トキメキを思い出す雪の日

          摂食障害を経た私の容姿への考え方

          世の中の人は自分の考え価値観があって性格があって 何を綺麗と感じて、美しいと捉えるかもそれぞれです それぞれの美的感覚があって自由で、それを否定しない それが多様性なのかな?私はそれで良いなって思う だけど、反面に私の価値観の中でNOとなるのが 痩せへの助長と思われる発言やマーケティングの仕方 痩せてる事が悪い事じゃないですよ それも個性だからね (病気だったり不健康なら、身体的には悪い事ですが) 痩せている事が「美しい」の枠で基本であるかのような それ以外の体型に対

          摂食障害を経た私の容姿への考え方