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愛し子は祈り、朝を迎える(ある物語の断片・8700字)

ある物語の断片です。長編小説(ライトノベル)へのチャレンジ、なのですが、短編小説のように書いてnoteにちょっとずつアップすることにしました。断片がつながった時の物語のタイトルは『猫耳吟遊詩人の子守唄』の予定です。

・ひとつ前のお話→『あなたにここにいてほしい
・記事の終わりに目次(全話へのリンク)を貼りました。


【物語の断片】愛し子は祈り、朝を迎える(8700字)

レイミィ:この世界に転生したばかりの、推定5、6歳の少女。猫耳を持つ”精霊の愛し子”。シルヴィとロッカにならって自身を”ボク”と呼称する。
シルヴィ:銀竜。人の姿を持った精霊。
ロッカ:雪の精霊。青年の姿をしている。
クレイン:樹の精霊。
コニア、コニオル、コニエッタ:精霊になったコウノトリ。愛し子の卵を運ぶ。
桜井巳鈴みれい:レイミィの前世。
アビィ:桜井家で飼われていた猫。猫の精霊。

+++++

 レイミィが雪山の小屋から麓の、シルヴィたちが”隠れ家”と呼ぶ家に移って、ひと月が経った。
 山の裾野に広がる、深い森。この森を抜けた所に孤児院があり、そこが人の住む村の端となっているのだが、この隠れ家から孤児院に行くには、人の足だと丸一日はかかるそうだ。
 村の人々は、この森を”精霊の領分”と呼び、滅多に足を踏み入れない。だから、森の山側の最奥に建てられている、この隠れ家の存在を知らない。一部の人間を除いては。
「隠れて、いるの?」
 レイミィが問うと、シルヴィが少しだけ困った顔をした。
「そう、だね。”精霊のいとし子”が孵る時に、隠れる場所が要るんだ。人の子は卵から生まれないから、彼らをびっくりさせないようにしているんだよ」
 精霊の愛し子、とは。
 この世界では、死んでしまった人が精霊に卵にされ、生き返ることがある。その多くは生前、精霊に愛されていた子供で、卵から生き返った彼らは”精霊の愛し子”と呼ばれた。
 レイミィもその、愛し子のひとり。その説明を聞いて、自分以外にも愛し子がいるのだと、はじめて知った。ただ、異世界から引っ張られてくることは、ほとんどないのだと、シルヴィは教えてくれた。
「おそらくレイミィは……いや、これはまた、その時が来たら話すよ。それは今ではないようだから」
 そう言ってシルヴィは、レイミィの猫耳を撫でながら微笑んだ。この猫耳は、レイミィに重なるように存在する猫の精霊、アビィの耳。精霊に祝福され、精霊の加護を受ける愛し子である、証。

 今、森の中にいるレイミィの猫耳は、外套のフードですっかり覆われている。
 まだ雪の残る森を、雪をけながら歩くシルヴィに手を引かれ、ゆっくりと歩く。小鳥たちが繰り返す甲高い鳴き声が、方々から聞こえる。湿った落ち葉や小枝を踏みながら、葉のない樹々をレイミィは見上げた。
 雪が深かった頃にも、隠れ家の外に出たことはあるが、シルヴィもロッカも地面を歩かせてはくれなかった。ふたりは少し過保護だと、レイミィは思う。山の上で、外の雪の上を歩いた後くしゃみをひとつしてしまったのが、どうやらいけなかったらしい。晴れの日が続いたので意を決して、自分の足で外を歩いてみたいと伝えたら、こうして散歩に連れ出してくれた。
 山の上とは違う樹々。それぞれの樹の肌や枝ぶりは様々で、雑多な植生の森のようだ。
「ここは”守られた場所”だから、獣が突然襲ってくるようなことはないけれど、足元にはちょっと注意してあげて。ヘビや虫はいるだろうから」
 シルヴィに言われて、レイミィはビクッとして足を止めた。つないでいた手をレイミィに引っ張られシルヴィも立ち止まり、レイミィを見下ろす。足元を見てきょろきょろするレイミィの様子に、ふふっ、と笑った。
「怖いかい?」
「……噛まれたり、するのかな?」
「そりゃ、驚いたら噛むかもしれないけどね。そのうち起きてきたら、頼んでおくから大丈夫……あ、起きてたかい?」
 シルヴィが、何かに声を掛けた。視線の先で一匹のヘビが、樹のうろから顔をひょっこり出している。茶とも緑とも言い難い色をしたそのヘビは、ぼうっと鈍く光っているように見えた。
「この子は、人の子だよ。たまに近くを歩くから、おどかさないように他のみんなにも伝えておくれ」
 それを聞いたヘビは、くるりとその場で一回転し、それから姿を消した。
「あの子はもしかして、精霊なの?」
「そう。まだ精霊としては若いかな。まあこれでこの辺りでは、訳なくヘビに噛まれたりはしないからね。でも注意はしてあげて」
「はい」
 しばらく歩き進めて、シルヴィは止まった。一本の樹に手を当てる。他の樹より樹皮の色が淡く白めのその樹の幹は、すうっと背筋を伸ばしているように見える。そして、枝を四方に広げる様子が、なぜだか……。
「……うれしそう。楽しそうな、樹」
 レイミィはシルヴィにならって、手袋を外して、樹の肌に手を当ててみる。樹皮は冷たくて、でもあたたかい何かが、内側から伝わってくる気がする。
「クレインは、キミに会いたがってるんだよ」
 シルヴィが笑った。
「この樹は、クレインなんだ。クレインの一部、と言えばいいのかな? クレインのいちばん大きな部分、クレインそのものは、ここよりもっと先に在るんだよ。また今度連れて行ってあげようね」
 まだ名前しか耳にしていない、樹の精霊クレイン。会うのが楽しみになる。
 樹の枝先に、小さな薄緑の芽が散らばっていた。芽の先端が白く、わずかにほころんだものがあるの見つけ、それが蕾なのだとわかった。
「もうすぐ、花が咲くのかな?」
「そう。クレインの樹は春のはじまりに、真っ先に花を咲かせるんだ。だから春はもうすぐ……あ、と、そうだ。何のためにこの樹まで来たのか、忘れるところだった」
 シルヴィはそう言うと、レイミィと目の高さを合わせるようにして、地面に片膝を立てた。
「レイミィ、この樹をちゃんと、おぼえておいて。これからひとりで外に出掛ける時は、この樹の外には行かないように。ここが”守られた場所”の、最初の境なんだ」
 ひとりで、のことばにレイミィが、外套のフードの中で目を丸くして、シルヴィを見つめる。その紫の瞳をやさしく見つめ返しながら、シルヴィは続けた。
「隠れ家を囲むように、この樹はあるから。わかったかい?」
 レイミィはこくんと頷いた。
「じゃ、今日はこのくらいにして、戻ろうか。足は冷えてないかい? 帰りはボクが抱えていくからね」
 シルヴィはレイミィの返事も聞かず、ひょいっとレイミィを持ち上げ、片腕に乗せる。レイミィが心の中で小さく(やっぱり、過保護……)とつぶやくと、笑顔のシルヴィに「何か言った?」と訊かれた。レイミィはあわてて、ぷるぷると頭を横に振り、シルヴィの首に手をまわす。せめて運びやすい、いい荷物でいようと、体をしっかりとシルヴィに寄り添わせた。

+++++

「クレインが戻ってくるよ」
 シルヴィは隠れ家に帰ると、ロッカにそう告げた。隠れ家の一階は広間になっていて、真ん中の柱を挟んで、四角い6人掛けテーブルが2セット置かれている。手前の、ストーブに近い方のテーブルの脇に、レイミィは下ろされた。シルヴィがレイミィの外套を脱がしてやると、レイミィはそれを受け取り、玄関小部屋への扉近くの、階段脇の外套掛けに掛けた。
 シルヴィとレイミィが席に着き、ロッカの淹れたお茶を口にすると、ロッカはシルヴィに尋ねた。
「いつ頃だって?」
「声が小さくて、いつ、とまでは聞けなかった。でも、なんとか片は付いたようだよ」
 どうやら先程、クレインの樹に触れた時に、連絡を取り合っていたらしい。精霊同士だからできるのかな、とレイミィは思う。お茶は何かの花のお茶で、鮮やかな黄色をしており、やわらかい甘さが感じられる。子供が飲んでも大丈夫なのはこのお茶だけなので、他のはまだ飲まないように、とレイミィは言われていた。
 皆が飲み終わり、ロッカがカップを片付けるのを、レイミィは手伝おうとする。それを制して、ロッカが言った。
「いいよ。ピアノ、弾くだろう? 手が温かいままの方がいい」
 レイミィは「ありがとう!」と返すと、まっすぐピアノに向かった。玄関の反対側、広間の奥には窓があり、その窓の前にグランドピアノが置かれている。レイミィの前世の感覚からすると、ひとまわり小さなグランドピアノ、といった印象だ。
 窓下の棚から本を取ると、レイミィはそれを楽譜立てに置く。椅子に座り『剣の練習』のページを開き、鍵盤の蓋を開ける。糸で綴じられたこの本は、ピアノの練習曲集で、『剣の練習』『旅の仲間』『塔の竜』の三章から成っていた。
(ロールプレイングゲーム風、なのかな?)
 本のページをめくり、曲のタイトルと注釈だけ先に追った時、レイミィはそんな感想を持った。やはりこの本も、昔ここにいた愛し子たちが作ったそうだ。きっと子供が楽しめるようにと、作った人は考えたのだろう。
 『剣の練習』は、左手だけの楽譜からはじまり、右手、両手と進む。『師匠と共に弾く』と書かれた楽譜もあり、まるで本当に師匠について剣の練習をしているかのようだ。この章の最後の曲のタイトルは、『剣舞』。師匠の前でこれを演奏し、認められると晴れて『剣士』となり、次の章に進むことが許される。
 レイミィは先日『剣士』になった。だが『剣士』となった後も、この『剣の練習』は毎日行うこと、と章の最後に書かれていた。だからレイミィは、まずこのページを開いたのだ。
 そして今は『旅の仲間』の章で、草原の馬を仲間に誘っている。この後、鳥とヘビと猫を仲間にし、剣士は竜の住む塔へ向かう。『塔の竜』の章は、『塔の竜と雷』いかづち『剣士と竜の踊り』『竜のうたげ』の3曲のみ。それぞれが今までの曲より長く、より高度な技術を必要とする。
(前世だと、この竜は邪悪な存在で、攻略すべきラスボスだったりするけど……)
 なにしろここに、銀竜シルヴィという、本物の竜がいる。
 だからなのか、頑張って剣士になって、仲間を集め、そしてなぜか塔の竜に会いに行って、宴まで開いてもらう仲になる、という話になっていた。そもそも、仲間になるのが馬、鳥、ヘビ、猫、なのは、なぜ? 最後まで弾けるようになったら、ロッカとシルヴィに訊いてみようと、レイミィは思っていた。
 それよりも。今は、ピアノを弾くことが、楽しくてしょうがない。
 ピアノにさわれることが、とてもうれしい。
 前世では、習うのを諦めるしかなかった、ピアノ。
 『剣の練習』を終え、つっかえなくなった『草原の馬のたてがみ』も弾き終わった頃、ロッカが横に来た。レイミィは続けて『風と共に走れ』『剣士の乗馬』を弾いた。
「もう馬は、仲間になったんじゃないか?」
 ロッカが言うと、シルヴィもテーブルから拍手を贈ってきた。
「早くボクの塔においで! でもこれなら、きっともうすぐだね」
(え、この塔の竜は、シルヴィなの?)
 それを問おうとレイミィが口を開きかけたその時、玄関小部屋の方から音がした。入り口の扉が開き、入ってきたのは二羽のコウノトリだった。
「コニオル、コニエッタ!」
 ロッカが二羽に声を掛ける。白い羽毛に黒の羽先を持った大きな鳥たちは、首からそれぞれ大きな布をぶら下げていた。カツカツ、カツカツカツッ、と、くちばしで激しく音を鳴らす。
(卵、卵です、シルヴィ様!)
(クレインに、先に戻るように言われました!)
(なんとか取り戻せたんです!)
 ロッカとシルヴィがそれぞれの卵を、くるんでいた大きな布ごと受け取る。二羽は卵を保持していた魔法を閉じ、そのまま床にへたりこんだ。レイミィは貯め水の樽に駆け寄り、ひしゃくで水をすくって木製の鉢に移す。鉢を持ってそれをまずコニオルの前に置き、また樽に戻って水を張った鉢を作り、今度はコニエッタの前に持っていった。水を飲む二羽の息が荒い。
 ロッカはストーブに近いテーブルの上に、やわらかいクッションをふたつ置き、布から出した卵をその上に載せた。それから温かい湯を用意し、布にそれを含ませ、卵をふいてやる。
 乳白色の卵は、内側から光るように、赤みを帯びていた。このふたつの卵の中に、自分と同じ”愛し子”がいる。レイミィはドキドキと高鳴る胸を押さえ、卵を見つめていた。

+++++

「ぜったい習うのー! クラスで習ってない子なんていないんだからー!」
 ふたつ年下の妹が母にねだるのを、彼女は横で黙って聞いている。彼女も以前、ピアノを習いたいと母にせがんだことがあった。母はすげなく、彼女のその願いを却下した。
 母は音楽が嫌いなのだ。だから、妹の願いも叶えられることはない、そう思っていた。
「もう。しょうがない、わねえ」
「わ、やったー! お姉ちゃんも、一緒に行くよね?」
 母の言葉に耳を疑う間もなく、妹の提案に、胸を鷲掴みにされる。
 ……ダメ。ダメって、言われちゃう。そんなのダメ、やめて、そんなの……。
巳鈴みれいも?」
「帰り道、お姉ちゃんと一緒なら安心でしょ?」
「……わかったわ」
 渋々、母が言った。母の顔を見る。母は、彼女の方を見てはいなかった。
 彼女は妹と、手をつないで音楽教室に通う。ニコニコと笑う妹は、かわいかった。
 だけど、どうして、と思う。その気持ちに蓋をして、彼女はピアノを楽しむことに集中した。
 その日が、来るまで。
望凪もなが、ピアノ教室をやめるから。巳鈴みれい、あなたも一緒にやめてちょうだい。いいわね?」
 母にそう告げられた時、彼女は何も言えなかった。練習曲の楽譜を抱える手に、知らず力が入る。
「あの電子ピアノも捨てるから」
「っ、それは!」
「そこまでしなくても、いいんじゃないか? 僕がせっかく買ってきたんだし。おもちゃみたいなものだろう」
 義父がいつものやわらかい口調で言うと、母はため息をついた。
「あなたが、そう言うなら……」
 彼女は自室に戻ると、勉強机に置いてあったポータブルの電子ピアノを撫でた。これからは、使わないときは母の目に触れないようにしなくてはならない。でも、捨てられないで、よかった。
 妹は、ピアノに飽きていた。彼女がひとりで音楽教室に通う日も多くなっていた。だからこんな日が来ることも、彼女にはわかっていた。
 だけど、どうして。あの日、蓋をした思いが頭をもたげる。
(ピアノを習えるのは、嬉しかった。だけど、どうして……望凪もなの願いは叶えるのに、私の願いは叶えてくれないの?)
 何故、彼女の願いは、叶えられないのだろう。
 妹を見る度に、いだかずにはいられない、この胸の何か。
 そして。母へ向けられる、この胸の中にある、暗い色の何か。
 それらは彼女が、自身で作り出したもの。
 蓋をしなくてはいけない。
 こんなものを、自分が作り出したのだと、彼らに知られたら。
 知られたら、どうなる? 知られても、いいんじゃない?
 ダメ。たぶんもっと、嫌われてしまう。
 だから、だから蓋をして、なかったことにして。
 でも、蓋をしたとしても。
 その醜い何かは、ずっとそこにあり続ける。
 そしておまえは、そこにそれを作り続ける。
 おまえこそが、その醜い何か、なのだから。

+++++

 目を覚ましても、レイミィはしばらく、ここがどこなのかわからなかった。夢を見た後は、いつもそうだ。部屋の中は暗いが、夜中の暗さではない。窓に目をやると、夜明けの空だった。
 レイミィは靴を履き、毛布の上に重ねていたカーディガンを羽織り、部屋を出た。レイミィが選んだのは、2階から屋上へ向かう階段下の部屋だった。屋上には、今コニオルとコニエッタが休息を取っている、コウノトリたちの巣がある。
 廊下を歩き、無人の部屋をいくつか横切ると、1階への階段にたどり着く。降りながら階下を見ると、卵のそばに座って歌っていたシルヴィが、レイミィを見て手を振った。
「早起きだね」
 シルヴィの横に立ったレイミィの頭を、シルヴィはそっと撫でた。レイミィは目を閉じて、その感覚に意識を集める。ここは、シルヴィのいる世界。
「魔法が足りなかったようだね。キミの様子を見に行けなかった……ごめんよ」
「えっ」
 あやまられるとは思っていなかったので、レイミィは声をあげてしまう。
「もう一度、眠るかい? ここにおいで、歌ってあげるから」
 シルヴィは、ポンポンと自身の脚をたたき、それからすっとレイミィを抱き上げ、その上に座らせる。シルヴィの胸の中に顔をうずめようとして、ふとテーブルの上の卵に意識が向いた。
 卵はやはり、内側から光っているように見える。手を伸ばすと、シルヴィが体の位置を変えて、触らせてくれた。
「温かい……」
 自分よりも温度の高い、卵の熱。昨日触れた、クレインの樹の温かさとは違う。
 それから、自分もこの中にいたことがあるのだと、さっき見た夢と共に思い出した。
「この子たちも、卵の中で、泣いてるの?」
「どうかな。……まだ生まれたばかりだった、ようだけど」
 そうだ。この子たちは一度、死んでしまったのだ。それを精霊が、生き返らせるために卵にしたのだ。
「どうして。こんな小さい子が、死んでしまうなんて。親は、」
 言いかけて、レイミィは口をつぐんだ。
 シルヴィはレイミィを、そっと抱き寄せた。
「キミは、やさしい子だね」
 シルヴィが、言った。
 ふたりは、しばらくそのままでいた。窓から、少しずつ光が差し込んでくる。遠くにあった小鳥のさえずりが、窓のすぐ外からも聞こえてきた。レイミィは、顔を上げてシルヴィを見た。
「シルヴィ、卵に歌が届くなら、ピアノの音も、届くかな?」
「届くよ。歌は祈り、なんだ。ピアノの歌も同じ。祈りだから、届くんだ」
 シルヴィは笑顔をレイミィに向け、言った。
「一緒に、歌ってくれるかい? 卵たちに、朝が来たことを教えてあげよう」
 レイミィはシルヴィから降りると、ピアノの前に行き、鍵盤の蓋を開けた。すると、少し大きな声で、シルヴィが声を掛けてくる。
「『剣士の乗馬』の次の曲、『山鳥の朝』を弾いて!」
 そういえば、何を弾くのか考えていなかった。本を取ってきて、シルヴィに言われた『山鳥の朝』のページを開く。楽譜立てに載せ、椅子に座る。楽譜を見ながら、ゆっくりと弾きはじめる。新しい指運びにつかえながらも、なんとか弾き終わった。シルヴィの方を見ると、「その調子で!」と笑顔が返ってきた。もう一度、最初から弾き始める。
(ボクはピアノで、歌うんだ。歌は、祈りだから)
 まだ、全然上手く弾けないのに。どうしてか、弾きたいと思った。卵のため? いや、自分のためかもしれない。だけど、ただ。自分より小さい子が苦しんでるなんて、そんなのは、イヤだ。
 レイミィの、オレンジ色の髪が朝日を受けて、キラキラと金色に光る。同時に愛し子である証、猫の精霊の耳が、ふわりと光を帯びた。卵に手を当てていたシルヴィはそれを見て一瞬目を見張り、それから微笑んだ。そして、そっと体から音を出し歌にして、ピアノの音に合わせるように乗せる。詞のない歌に、魔力をからめてゆく。
 シルヴィの歌と、レイミィのピアノの歌が、広間に満ちてゆく。

(ここに、朝が来たよ。朝は、キミのところに、来るんだよ)
 歌詞がないのに、シルヴィがそんなふうに歌っているように、レイミィには聴こえた。
 山鳥が剣士に、朝を教えにやって来た。剣士がありがとう、と山鳥に言う。朝が来たことを教えてくれて、ありがとう。
(朝、なんだ。ここに、朝が来たんだ)
 レイミィはピアノを弾きながら朝日に照らされ、その光を感じた。
(ボクなんかの、ところにも。朝は、ちゃんと来るんだ……)

 

 弾き終わったとたん、パチパチと手を叩く音がした。続けざまにピュイッと指笛が聞こえる。音のした方を見ると、玄関部屋への扉の前に、鍋とかごで両手の塞がったロッカと、もうひとり、レイミィの知らない誰かが立っていた。濃淡のある緑色の長い髪、明るめの樹皮色をしたなめらかな肌、薄紅色の瞳。唇は、瞳よりわずかに濃い薄紅色をしていた。
「すごい、すごい! 素敵だったよ、レイミィ!」
 そう言って、ピアノから降り立ったレイミィに近寄り、しゃがんでレイミィと目の高さを合わせた。
「はじめまして、私はクレイン。やっと会えたね!」
 レイミィはクレインに、ぎゅうっと抱きしめられる。
「おかえり、クレイン」
 シルヴィが声を掛けると、クレインがそのまま、レイミィを抱きかかえて立ち上がった。レイミィはあわてて、クレインの首にしがみつく。クレインはくるくると回転しながら、椅子に座るシルヴィのそばに移動し、それからシルヴィの隣の椅子に座ると、ニッコリと笑って言った。
「シルヴィ様、ただいま!」
「……レイミィ、目、回してないか」
 テーブルに鍋とかごを置いたロッカがあきれたように言うと、レイミィが顔を上げ、ゆっくりと目を開けた。
「おはよう、レイミィ。大丈夫そうなら、着替えてきなよ」
 ロッカの言葉に、レイミィの瞳が少しずつ大きくなる。そういえば寝間着のままで、顔も洗っていない。
「か、顔洗ってくる!」
「ゆっくりでいいから!」
 クレインの膝から降り、赤くなった頬に手を当て小走りになるレイミィに、ロッカが声を掛ける。流し部屋へと向かうレイミィの背を見つめながら、ロッカは、ピアノを弾いていたレイミィの姿を思い出した。
「人の子は、すごいな」
 ロッカがつぶやくと、シルヴィとクレインが顔を見合わせ、ふふっと同時に笑った。
「何か手伝う―?」
「ああ、いいよ。シルヴィに報告、あるんだろう?」
 ロッカはクレインにそう返し、かまどに火を入れ、鍋を温める。ストーブの上に水を張ったやかんを置き、かごからパンをいくつか取り出すと、レイミィがパタパタと階段をあがる音が聞こえる。レイミィが戻ってくる頃には、鍋のスープが程よく温まっていることだろう。漂いはじめたスープの香り、やかんの湯気。
 テーブルの真ん中に置かれた卵の周りに、カップを4つ置いたところで。ロッカは、かつて経験した、慌ただしい日々を思い出す。
「また、忙しくなりそうだ」
「そうよ。覚悟してちょうだい」
 クレインが返し、シルヴィがそれにクスッと笑うと、ふたりもつられて笑った。
 レイミィが、階段を足早に降りてくる。精霊たちは彼女を、笑顔で迎えた。


(愛し子は祈り、朝を迎える)了
【2022.8.17.】

++第4話-1++
→ 第4話-2『誰にも、聴こえないように


『猫耳吟遊詩人の子守唄』目次とリンク

#猫耳吟遊詩人の子守唄  ←ジャケ付き更新順一覧です

第1話 プロローグ・REBIRTH (3100字)
第2話-1 眠りのくにの愛し子よ (2600字)
第2話-2 銀竜は歌い、愛し子は眠る (3500字)
第3話 愛し子は七つの祝福を贈られる (6700字)
(間奏-1) 雪の精霊は銀竜と歌う (2100字)
(間奏-2) あなたにここにいてほしい(560字)
第4話-1 愛し子は祈り、朝を迎える(8700字)
第4話-2 誰にも、聴こえないように(6000字)
第5話 卵は嘆き、愛し子は歌う(11500字)
第6話-1 銀竜は問い、愛し子は冀う(7500字)
第6話-2 愛し子は出会い、精霊たちは歌を奏でる(7600字)
第6話-3 樹に咲く花は(7000字)
++++++
第?話 吟遊詩人は宣伝する<前編> (12600字)
第?話 吟遊詩人は宣伝する<後編> (12100字)

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