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卵は嘆き、愛し子は歌う(物語の断片・11500字)

ある物語の断片です。長編小説(ライトノベル)へのチャレンジ、なのですが、短編小説のように書いてnoteにちょっとずつアップすることにしました。断片がつながった時の物語のタイトルは『猫耳吟遊詩人の子守唄』の予定です。

・ひとつ前のお話:
  第4話-1『愛し子は祈り、朝を迎える
  第4話-2『誰にも、聴こえないように
・記事の終わりに目次(全話へのリンク)を貼りました。


【物語の断片】卵は嘆き、愛し子は歌う(11500字)

レイミィ:この世界に転生したばかりの、推定5、6歳の少女。猫耳を持つ”精霊の愛し子”。シルヴィとロッカにならって自身を”ボク”と呼称するが……。
シルヴィ:銀竜。人の姿を持った精霊。
ロッカ:雪の精霊。青年の姿をしている。
クレイン:樹の精霊。女性の姿をしている。
コニア:精霊になったコウノトリ。愛し子の卵を運ぶ役目を持つ。

桜井巳鈴みれい:レイミィの前世。
望凪もな:巳鈴の妹。
夕絵ゆえ:巳鈴の母。
アビィ:桜井家で飼われていた猫。猫の精霊。今はレイミィに重なっている。

”精霊の愛し子”:一度死んだ後、精霊に再び命を継がれた人間。精霊と体が重なっていて、その”加護の証”として精霊の一部が現れる。
”愛し子の卵”:精霊は、人を愛し子として生まれ変わらせるため、卵にしてしまう。レイミィたちの元には今、ふたつの卵が届けられたばかり。

<1>

(4700字)

 コウノトリの精霊、コニアが、翼を広げ何回か羽ばたきした。コニアの首から下がる大きな布を下敷きにして座っているレイミィは、体の両側でつかんでいた布を、きゅっと握り直した。
(コニア、いっきま~す!)
 コニアは、真っ赤なくちばしを何回かカツカツカツッと言わせながら、レイミィに直接伝わる心の声で高らかに叫び、飛び上がった。パチンと何かがはじけたような感覚と共に、ふわりとした浮遊感を感じ、屋上の床からレイミィの足が離れていく。まさに布のぶらんこに乗せられた状態になったレイミィは、隠れ家の屋上を屋根状に覆う、常緑樹の緑が遠ざかっていくのを眺めていた。
(だいじょぶ? お尻、きちんと乗ってる?)
「大丈夫! コニアは? 本当に、重くない?」
 声が届くようにと、少し叫ぶようになったレイミィからは、頭上のコニアの顔が見えない。黒に縁取られた白い大きな翼を見ながら訊いたレイミィの膝を、コニアは、その長く真っ赤なくちばしでつんつんとつついた。
(重くないよっ。ボクの魔法、まだ信じられないの~?)
「信じてるけど、前より重くなっちゃったかもと思って!」
(レイミィがもっとおっきくなっても、運べるよ~。ロッカの背丈になっても、だいじょぶだからね!)
 180センチくらい、と前世の感覚で思っているロッカを思い浮かべた。あんなに大きくはならない……かどうかは、今の、おそらく100センチくらいの身長のレイミィにはよくわからない。重たい思いをさせてはいないようだと、コニアのことばを聞いて、レイミィはそっと息をついた。
 コニアの魔法は、運ぶ物を軽くして保持するものらしい。ぶらんこに乗ったレイミィは、座るのに違和感のない程度に重力を感じている。
 宙に投げ出された足の下に、葉のない枝だけになっている落葉樹の樹肌色と、常緑樹の深緑や黄緑色の混在した森が、手の込んだ織物のように広がっていた。
 コニアは、森の上をすべるように飛ぶ。運んでもらうのは、これが二度目だ。山の上の小屋から、麓の隠れ家に移動した時以来の飛行。あの時よりも、いろいろと余裕をもって臨んだレイミィはこの、鳥の視点を堪能できる特等席を楽しんでいた。
 たまに突き出ているのっぽな樹を、足元に追いやるようにける。魔法のおかげなのか、上下の揺れもほとんどない。
(風みたいだね!)
 自身の声では届かないかもと思ったレイミィは、精霊に伝わる心の声でコニアに話しかけた。
(ちょ~とだけ、風に乗りやすくなる魔法も使ってるんだよ~)
(すごく、気持ちいい!)
(よかった~! あ、コニア、上昇しま~す)
 森の天井が、小高くなった。コニアがその丘を越えると、視界が変わった。
 それまでの、春先の樹々で織られたアースカラーな織物の柄が、白い刺繍が施された華やかなものに一変した。上向きにふくらむ蕾のような形の、真っ白な花。それを、葉のない枝にみっしりと咲かせた樹が、向こうの山の麓まで、ずっと続いている。
「う、わあ……」
 よく見ると違う種類の樹も所々に混ざっているのだが、花をつけているのはこの樹だけだ。
(これ、全部。クレインの樹、なんだ……)
 眼下に走るたくさんの白を眺めていたレイミィは、風の中に芳香を感じた。
 この、クレインの樹に咲く白い花の香り。どんどんと濃くなってゆく香りが、とても心地よい。
(それでは~。コニア、着陸しま~す)
 白の景色と花の香りに心を奪われ、ぼうっとしていたレイミィは、一度上昇してからゆっくりと降下をはじめたコニアの動きと声で、意識を取り戻した。樹々がなく、そこだけぽっかりと空いた、野草の茂った地面に足が触れると、レイミィはコニアの布から降りた。
 そこには、泉があった。水底に沈んだ樹もはっきりと見える、澄んだ水を湛えた泉の鮮やかな青が、目を通して体の奥まで沁み込んでくる。
「いらっしゃい。待ってたよ」
 声がして、泉から目を離した。
 樹と同じやわらかな白色の肌に、緑の髪は差し込んだ光によってその濃さを変える。やさしく微笑んだ瞳は薄紅色。唇にも、少し濃いめの薄紅が差す。
 樹の精霊クレインが、そこに立っていた。


「あれが、元々の私よ」と言って、クレインが指した樹は。泉の中に小島があって、その真ん中に立つ、一本の大きな樹だった。泉の周囲の樹より明らかに大きく、樹齢を重ねているとわかる。
 クレインは、レイミィを抱きかかえ地面を蹴ると、小島に音も立てずに着地した。降ろされたレイミィは、クレインの樹に近寄り、樹肌に手を添わせ、たくさんの白い花をつけた樹の枝を見上げる。
 あたりにはもうずっと、心地のよい香りが漂っている。
「なあに? 見とれちゃった?」
「……うん。すごく、きれい。それに、いい香り」
「うふふ、気に入ってくれて、よかった! くさいって言われたらどうしようかと思ってたから」
 クレインはしゃがんで、レイミィに背中を見せた。
「おんぶするから、乗って?」
 レイミィがクレインの背に乗ってその肩につかまると、クレインはすっと立ち上がった。とたんに視界が変わり、ふたりはクレインの樹の上にいた。
 向かい風にオレンジ色の髪をかれたレイミィは、その紫の瞳を見開いた。青空の下、クレインの樹から一段下がった高さで、白の花の面がなだらかに広がる。クレインが、その白が続く先の方へ体を向けた。
「あそこ、私たちの群れが終わるあたりに、ターニャの孤児院があるの。そこが、ティルブ村の端っこ。今頃孤児院の近くで、私たちの花びらを村の人が集めているわ。季節ごとに実とか樹液も採るんだけど、なかなかいい商売ができるのよ」
「クレインの樹は、村の名産品なんだね」
 樹の精霊が使う、商売、と言う単語に小さな違和感を覚えつつ、レイミィは返した。それから、ふと思いついて、尋ねた。
「クレインの樹は、クレインって名前なの?」
「いーえ。世間の人の子は私たちを、アンティアルブって呼んでる。クレインと呼ばれるのは、この私だけよ」
 降りるね、と声を掛けられ気付くと、クレインの樹の根元に戻っていた。
「こうやって人のカタチを取って、名を持っているのは、仲間のうちではこの私だけ。私だけこんなところに生えちゃってさ……しょうがない頑張ってたら、いつの間にかこうなってたんだよね」
「すごく、頑張ったんだ」
「まあね!」
 しゃがんだクレインから降りると、レイミィは再び樹に触れ、無意識につぶやいた。
「アンティアルブ……まるで、モクレンみたい……」
 クレインはそれを聞き目を細めたが、それには答えなかった。自身に手を当て立っているレイミィの後ろ姿、そのオレンジ色の長い髪と猫耳をしばらく見つめ、それから、レイミィに聞こえるか聞こえないかくらいの声で、独り言のように言った。
「……同じこと、言うのね」
 レイミィはクレインの言葉が聞き取れず、振り返り、首をかしげる。その様子を見て、クレインはふふっと笑った。
「巾着、持ってきた? これ、おみやげにして!」
 クレインが胸の前で、手のひらを上に向けて器を型取った。まばたきをしている間に、その手の中に、樹に咲いていた白い花が、こんもりと盛られている。
「クレイン印の純正品、特級の最上級品よ! そのままでもよし、ポプリにしてもよし! 香水の材料にもなるから、売りたくなったら声掛けて! レイミィになら、いくらでもあげちゃう!」
「ボクが売るの? あ、違う、えっと、私は、売らないと思うけど……あ、巾着出さないと」
 わたわたと外套のポケットから、レイミィは巾着を出した。クレインはクスクスを声を立てて笑う。
「あれ、やっぱり気にしてるのね? 別に”ボク”でいいのに」
「ううん、でも、うーん……」
 レイミィはうなりながら、クレインの花を巾着に受け取った。


+++++


 シルヴィとロッカを参考にして使い始めた、”ボク”という一人称。
 クレインが”ワタシ”を使っているのを聞いて、レイミィはあわててクレインに尋ねた。
「うーん、この言語を使う人の子は、自分のことを好きなように呼んでるわよ? ボク、私、ワシ、アタシ、オレ、ワレ、ワタクシ、ワガハイ……他にもあるんだから」
「女の子が使っても、おかしくない?」
「別に、いいんじゃない? 確かに、女の子で”ボク”って言ってる子は、あまり知らないけれど……」
「ほら、やっぱり!」
 テーブルの隣に座っているクレインの右袖を、レイミィはひし、とつかむ。その様子を見てふふっ、と笑ったクレインは体の向きを変えて、空いている左手でレイミィの手を取り、両手で包み込んだ。
「レイミィ、かわいいってことは、正義なの。レイミィはかわいいから、大丈夫!」
「……でっ、でもそれはたぶん、小さい子供だから……小さいうちだけで……」
 クレインの真剣な表情に押され、レイミィの声が小さくなる。かちゃり、とテーブルに茶器が置かれ、ロッカがお茶をカップに注いだ。それからロッカとシルヴィが、レイミィたちの向かいに座る。クレインが手を離し、レイミィと共に向きを変え、まっすぐに座り直した。
「レイミィは、大きくなっても、かわいいよ」
 シルヴィはそう言って、ニコニコと笑っている。かたわらには、車輪のついた木箱の上に大きなカゴが載ったものがあり、そこに、ふたつの”愛し子の卵”が寝かせられていた。卵の下には、やわらかな布と毛布が敷かれている。子守りぐるまと呼ばれたそれは、クレインがどこからか引っ張り出してきたものだった。
 子守り車をやさしく揺らすシルヴィのことばに、レイミィは真っ赤になった。と同時に、疑問が浮かぶ。真向かいに座るシルヴィの方へ身を乗り出すように、テーブルに手をついた。
「シルヴィはどうして、”ボク”って言ってるの? 女の人じゃ……あれ? 男の人? え?」
 ますます顔が赤くなるレイミィを見つめるシルヴィの瞳は、キラキラと銀色に輝いている。まっすぐな銀の髪も、いつもよりまぶしく見えて、椅子の背に後ずさったレイミィは、ドキドキする自分の胸を押さえた。
「ボクは、というより……ボクたちには、性別はないんだよ」
 ね、というしぐさで、シルヴィがロッカとクレインに目配せすると、ふたりがうなずいた。
「ただ、ボクの場合はね。姉さんがボクを、弟だと言ったからさ」
「おねえ……さん?」
「姉さんはつがいを得て、姉さんになったんだけどね。ボクらは、どちらでも好きな方を選べるんだ。ボクは選ばないままだけど、弟だからね。だから、ボク」
 竜は、性別を選べる? でも、弟だから、ボク?
「私とロッカは、性別がないまま。選ぶこともないのよー」
 それまでお茶を飲んでいたクレインが、カップを戻しながら言った。混乱した頭のまま、レイミィはクレインの方へ顔を向けた。
「じゃあどうして"私"なの?」
「なんかねー、受けがよかったのよ。村の人たちと交渉するときに、いちばん話が通りやすかった。まあしっくりきたし、これでいいかなって」
 それはおそらく、見た目が女性だからじゃないだろうか、とレイミィは思う。
「もうひとつ理由がないこともないけど、ま、それはいいわ。ロッカは、シルヴィ様のまねっこ、そうよね?」
「……っ、そうだけど!」
 ロッカがぷいっと横を向いた。なんだろう、クレインが来て、ロッカが少し幼くなったように感じる。レイミィには、クレインとロッカが姉弟に見えてきた。ふたりには性別はないと聞いたけれど、見せている姿はそれぞれはっきりと女性・男性なのだ。
「だからね。レイミィも、自分のこと、好きなように呼べばいいわよ」
 クレインが、レイミィに向かってパチリとウインクする。
 その時からレイミィの、一人称に悩む日々がはじまったのだった。


<2>

(3500字)

 ティルブ村に戻るというクレインと泉の前で別れ、再びコニアに運ばれて隠れ家に戻ると、シルヴィがテーブルに置かれたいくつものカゴを前にして、座っていた。
「おかえり。ロッカが、花びらを入れるのに使えば、って。出掛ける前に言付かったよ」
 カゴには、炊事用に使う布が敷かれていた。レイミィはその上に、巾着から取り出した花を花びらにして、盛る。いくつかの花は、そのままの形でカゴに飾った。
 広間に、花の香りが広がる。ふと思いついてレイミィは、別の布を取ってきて、花びらを何枚か包んで端を結ぶ。そしてそれを卵の脇、子守り車のカゴの中にそっと置いた。
「ああ、いい考えだね」
 シルヴィはそう言うと卵に手を当て、しばらくすると瞳を閉じ、ゆっくりと歌い出した。自分も歌ってもらったことのある子守唄、『眠りのくにの愛し子よ』だった。
 愛し子の卵は、鳥たちのように巣の中で温めたりする必要はないという。いつ孵るのかも、卵によって異なるので、わからないそうだ。触れると、レイミィの体温より熱く、確かにここに命が入っているのだな、と思う。シルヴィの歌を聴きながら、レイミィもいつものように、ふたつの卵に手を置いていた。
(……コワイ)
(……コワイヨ)
 何か、聞こえた気がした。レイミィは、はっとして耳を澄ましてみたが、その後は、何も聞こえることはなかった。

 レイミィのその日の午後は、ロッカに頼まれていた片付け物や部屋の掃除に、そのほとんどを費やした。シルヴィは歌いながら、広間の床にモップをかけている。時折、その歌声を耳にしながら、クレインの花の香りを感じながらの作業は楽しかった。それらが終わると、レイミィはピアノの練習を始め、卵の前で『眠りのくにの愛し子よ』を弾く。本の部屋から本を持ってきて読み、わからないことをシルヴィに質問したりした。
 自分のこれからを、最近になって考えはじめた。まだ何も知らないレイミィは、まず言語をなんとかしなくては、と思っていた。この世界のことも、よくわかっていない。とにかく本を読もう、と決めていた。
 日が暮れると、ロッカが帰ってきた。レイミィのためのパンとスープ、お茶の準備が終わると全員で席に着き、レイミィは食事を始める。シルヴィとロッカは、お茶しか口にしなかった。精霊たちは食事を必要としないそうで、食べる時と食べない時がある。
「今年の春は、どうかな?」
 向かいに座るシルヴィが尋ねると、ロッカはレイミィの隣で、肩をすくめてみせた。
「春が来てはしゃぐ奴らが、いつもより多いかもしれない。なんとかなだめてきたけど」
 春先は少し忙しくなるのだと、レイミィはロッカから聞いていた。ふたりの話を耳にしながら、雪の精霊の春の仕事とその様子を想像してみる。
 ごちそうさまでした、とレイミィが言うと、ロッカがお茶のおかわりをそれぞれのカップに注いでいく。シルヴィはその前に、自身のカップにそっと手をかざしていた。
「少し、出掛けてくるよ。ボクも、様子を見ておきたいから」
 立ち上がり、玄関部屋へと続く扉を出ていくシルヴィの後ろ姿を、ロッカとふたりで見送る。窓から見える隠れ家の外は真っ暗で、ストーブの火と、ふたつのテーブルにそれぞれ置かれたランプのろうそくの灯りが、広間をぼんやりと照らしている。
 ロッカが厚手の織物を、ストーブの前の床に敷いた。子守り車からカゴごと卵を持ち上げ、織物の上にゆっくりと置く。
「今夜は少し、冷えるかもしれない」
 ロッカが、言った。暖かさと寒さが繰り返しやってきて、季節が移りかわってゆくのは、前世との共通点のひとつだ、とレイミィは思う。そうやって与えられる、猶予してもらえる時間が、必要なのだ。なんでも、いきなりは変われない。
(ボクは。いつまで、ここにいられるのだろう……)
 レイミィはそれを、まだ誰にも訊けないでいた。


+++++


(……オカーサン、オカアサン)
 誰の声だろう。聞いたことのあるような、ないような声。
 それとは別に。どこからか、小さな、小さな歌声が、聴こえる。
(ゆりかごの……うたを……。かなりやが……うたうよ……)
 その歌声は途中でピタリと止み、遠くの方で、男の人の声が聞こえた。
(やめないでよ、もっと歌って?)
(ソウイチロウさんの、音楽のプロの前で歌うなんて……)
 女の人の声は、とてもよく聞こえる。
(そんなの関係ないだろ? 僕はユエの歌が好きなんだから)
 そして再び、小さな歌声が聴こえてくる。
 胎内からそれを聴くのがうれしくて、思わず足を伸ばした。

(オカーサン、オカアサン……)
(……おねえちゃん、ねむれない。こわい)
 その誰かの声は、途中から妹の声に変った。
(もなが、ねむるまで、ここにいるよ)
 そう言って、小さな、小さな声で歌い出す。彼女も、本当は怖かった。だけど、妹が怖いと言って彼女に甘えてきたので、なぜだか怖さが和らいだ。
 あの時の彼女は、自分が怖がっていいのか、わからなかった。だから、妹が来てくれたことで、怖いと思っていいのだ、と安心したのだ。
(コワイヨ……コワイヨ……)
 わからない誰かも、どこか別の場所で、怖がっている。
 怖い、ね。
 ボクも、怖いよ。
 ボクはずっと、怖がっているばかり。

(ぷかりと浮かぶ……舟のうえ……。ゆうらりゆらりと……運ばれて……)
 今度は、知らない女の人の歌声が流れてきた。
(オカーサン……)
(オカアサンノウタ、スキ)
 誰かが、言った。
(ごめんね。一緒にいられない……一緒にいたかった……)
 女の人の声は、たどたどしく、震えていた。そして、もう一度歌い出したが、それはどんどん弱くなり、それと共に、温度が低くなっていくような感覚を覚える。
(ツメタクナッチャ、ダメ……)
(オカーサン、ツメタイ……)
(オカアサン……イナイ……?)
(コワイヨ……)
(コワイヨ……)


+++++


 気が付くとそこは広間のストーブの前で、レイミィは織物に直に座り、卵にもたれかかっていた。本を読んでいたのに少し眠ってしまったようで、レイミィはしばらく、その卵たちの温かさに身を任せていた。寝起きのぼんやりとした頭が晴れてくると、がばっと身を起こし、卵の無事を確認する。
「わ、割れてない……よかった……」
 外側から割るのは、かなりむずかしいとは聞いていたが、それでも、これは卵だ。
(コワイヨ)
 声が聞こえて、レイミィの猫耳がピンと立った。思い至ってもう一度、ふたつの卵に手を当てる。
(コワイ)
(コワイネ)
 あっ、と思った。この声は、卵の中にいる子らの声なのだ。卵たちが、会話をしているようにも聞こえる。
(怖くないよ。ここは怖くないところだよ)
 試しに、精霊に届ける心の声で話しかけてみる。するとまた、声が聞こえた。
(オカーサン?)
(オカアサンジャ、ナイ)
(デモ、コワクナイコエ)
(デモ、コワイヨ)
(コワイヨ)
 卵たちが、怖がっている。
 シルヴィは、ずっとこの声を聞いていたのだろうか。シルヴィは何度も何度も、子守唄を歌っていた。
 そうだ、夢のない眠りに、導いてあげれば。
(でも。シルヴィがいないのに、ボクだけでそんなこと、できる?)
 椅子にのぼり、テーブルの上のランプを端に寄せて持とうとしたとき、ランプを持ったロッカが階段を降りてきた。
「レイミィ! それはまだ持てないだろ!」
「ピアノ! ピアノが弾きたいの! この子たち、怖がってるの!」
 ランプを手にしたロッカとピアノに向かい、レイミィは『眠りのくにの愛し子よ』を弾く。ロッカが、子守り車で卵を連れてきてくれた。
「……怖い、んだな」
 ロッカは、卵に触れながら言った。
「でも、ピアノの音は、好きみたいだ」
「でも、怖がってる?」
 レイミィが問うと、ロッカはうなずいた。
「ボクじゃ、だめ。ねえ、ロッカが弾けば、眠れるんじゃ、」
「レイミィ。祈りが届くのは。竜と、人の子の歌だけなんだ」
 ロッカが、レイミィのことばをさえぎって、言った。
「ボクやクレインは、人の子のまねをして、歌ったり楽器を演奏したりはできる。だけど、祈る、ということが、ボクらにはできないんだ……つまり、ボクには、シルヴィのような力はないんだ」
「でも! ロッカの弾く楽器、どれも上手で……」
「うん、まあ、ね。この子たちも、ボクの演奏で多少気は紛れるだろうけど。でも、そこまでなんだ」
「ボクは、ボクはロッカのピアノも笛も他の楽器も、どれもすごく楽しそうで……大好きだもの! そんなの、信じられない」
「……ありがとな。昔からずっと練習してたから、うれしいよ」
 ロッカは笑顔をレイミィに向け、言った。


<3>

(3200字)

 何曲か、弦楽器を持ってきたロッカと演奏して、卵に聴かせた。
 だが、卵たちは眠らなかった。
「もうすぐ、月のない夜がまた来る。その前に、やっておかなくちゃいけないことがあるんだ」
 だからシルヴィは少し遅くなるかもしれない、とロッカは言った。
(コワイヨ)
(コワイヨ)
 この声を耳にしながら、シルヴィを待つしか、ないなんて。
 レイミィがピアノを弾く手を止めると、ロッカは黙ったまま、卵のカゴをまた、ストーブの前の織物の上に下ろした。それからピアノの椅子に呆然と座るレイミィの手を引き、織物の上に座らせる。自身もカゴのすぐ横に座り、再び弦楽器を奏ではじめる。
(シルヴィ。ボクのピアノは、ピアノで歌うのは。祈りじゃ、なかったの?)
 今ピアノを弾いても、卵たちは眠らない。シルヴィと一緒の時と、何が違うのだろう。
 レイミィは、再び卵に手を当てた。
(ごめんね……)
 思わず、そう心の声でつぶやいてしまった。あやまってほしいなんて、この子たちは思ってないのに。
(オカーサン?)
(オカアサンジャ、ナイ。オカアサンハ、イナイ)
 一緒に、いたかった。確かそう、言っていた。
(ボクはここに、一緒にいるのに。一緒に怖がるしか、できない)
(コワイ?)
(コワイノ?)
(怖いよ。ボクも、怖い)
 力がなくて。何もできなくて。ここにいていいのかも、わからなくて。
 アビィに、歌う、と約束したのに、怖くて歌えない。
 声が、出なかった。出し方が、わからなくなっていた。
 それならば。そのかわりに、楽器をたくさん練習しよう、と思った。

(そのかわりに? ボクは、歌のかわりに、ピアノを弾いている?
 ううん、ピアノは好き。もう一度、ピアノを弾きたかった。
 ピアノが弾けるようになって、すごくうれしい。

 ……でも、ボクは。
 ボクが、祈りたい……何かを届けたい、時。
 ボクが望むのは、本当は、ピアノじゃ、なくて……)


 ロッカの弾く弦楽器が、その曲の終わりを迎える。
 音と共に、広間の時間が止まったかのようだった。
 ふわりと、クレインの花の香りが強くなった、気がする。
(……ボクは、一緒にいるよ。ボクも怖いけど、それでもいい?)
 今ここに、卵のそばにいるレイミィができることは、それしかなかった。
(イッショ?)
(オカアサンジャナイ、イッショニ、コワイ?)
(ボクは、レイミィっていうんだよ)
(レ、ミィ)
(レイ、ミ)
(レミィ、イッショ?)
(レイミ、コワイ?)
(うん。だから。怖いからボクと……一緒に、歌って?)
 レイミィは息を吸い込んだ。それから大きく吐き出すと、卵から手を離し、自身の胸の前で両手を重ねて握った。
「……ぷか……りと、浮かぶ、」
 声がかすれて、震える。レイミィは自分の頬を、両手でパチンとはたいた。
 さっきの夢の中で聞いた、この子たちのお母さんの声を、また思い出す。
 一緒に、いたかった。そう、言っていたのだ。

(今ここにいるボクは、いったい、何を怖がっているの?
 怖いままでいいから、歌え!
 ボクが今できることを、すればいいだけ!)

 そして。
 広間に、レイミィの小さな声が、ぽつりぽつりと灯りはじめた。


『♪ ぷかりと浮かぶ舟のうえ
  ゆうらりゆらりと 運ばれて
  今宵もおまえは旅に出る……』

 何度も、声がかすれた。
 レイミィは、両手を重ねるように胸を押さえながら、声を絞り出した。

『♪ ……
  おやすみおやすみ おやすみよ
  眠りのくにの旅人よ
  笑顔ですすむ その道に
  祈りのうたをとどけるよ……』

 卵に、手を当てた。
(オカーサン……)
(オカアサン……)
 そのまま、レイミィは歌った。
 シルヴィからもらった、歌。
 シルヴィが、どこをどんなふうに歌うのかも、レイミィは覚えている。
 そして、卵たちの母親の歌も、聴いた。
 心の底から祈る者の、歌。

『♪ この胸の音がうたいだす
  あふれるような このいとおしさ
  眠りのくにの愛し子に
  伝えておくれ とどけておくれ……』

(あんなふうに、ボクは、歌えないけれど。それでも……)
 それでも。怖くても、ボクは歌う。
 一緒にいるよ、って。ボクも怖いよ、って。
 ボクの歌は、今はそれだけしか、ないけれど。

『♪ …… 
  それでも私はうたうだろう
  祈りのうたは つづくだろう

  るるるらるらる るるらるら
  陽だまりのよなぬくもりを
  抱いて眠る愛し子よ……』


 小さな声の旋律が止み、ふたたび、広間に静けさが訪れた。
「……眠ったな」
 ロッカが、レイミィにささやくように、言った。レイミィはロッカと目を合わせると、不思議そうに首をかしげる。
「なんだよ、訳がわからないって顔して。聞こえなくなった、だろ?」
 レイミィは、卵に手を当てたままだった。確かに、卵たちからは何の声も聞こえなかった。
「……じゃあ。少しだけ、怖くない、かな」
 レイミィはつぶやくと、卵から手を離して、ロッカの方に倒れ込んだ。織物の上で、ロッカにしがみついたまま、顔を伏せている。
「眠いのか?」
 ロッカが訊くと、レイミィがうなずいた。ロッカはレイミィを片手で抱きかかえ、片手にランプをぶら下げ階段を昇り、レイミィの部屋のドアを開けた。部屋の入口に、ランプを置く。ベッドの中の湯たんぽをベッドの足元に避けると、レイミィをそっと両手で横たわらせた。上掛けを肩に押し込め、ロッカはベッドの脇の椅子に腰掛けた。
 枕の横に小さめの巾着があり、その袋の口から、クレインの花が顔をのぞかせている。
「……ボクの楽器が楽しそうで、好きだ、って。あいつと同じこと、言うんだもんな」
 ロッカはレイミィの寝顔を見ながらつぶやくと、立ち上がり、入口のランプを手に取った。
「おやすみ、レイミィ」
 レミィの部屋の扉が、音を立てずに閉められた。レイミィはそれに気づかず、すうすうと寝息を立てて眠っていた。

 ロッカが階下に降りると、シルヴィが織物の上に座っていた。ストーブの火が、ゆらゆらとシルヴィを照らす。ロッカはランプの火を吹き消した。階段下のいつもの場所にそれを置くと、シルヴィの横であぐらをかいた。シルヴィは、卵をそっと撫でていた。
「レイミィが、眠らせたんだ」
 シルヴィがそれを聞いてふふっ、と笑ったので、ロッカは少しむっとして続けた。
「ピアノじゃ眠ってくれないってレイミィ、困り果ててたんだぞ。いつの間にか卵と会話してるし……止めようかどうしようか迷ってたら、歌い出したんだ。絞り出すように……」
「レイミィは、寝てるんだね?」
「寝てる。動けないようだったから、ボクがベッドに運んだ」
「……そりゃ、それだけの力を使えば、動けなくもなるね。まだこの世界に生まれて、間もないというのに」
 シルヴィは卵から手を離した。ロッカの方へ向き直ると、静かな声で続けた。
「あの子は、ピアノでもちゃんと歌っている。だけどまだ、力にムラがあるから、届く時と届かない時があるんだ。あの子がそれに、気付いてないだけ……だけど今日は、それよりも大事なことに気付けたのかな」
 ロッカは、黙って聞いていた。シルヴィはくすくすと笑い出した。
「あーあ、ボクもレイミィの歌が聴きたいな! ロッカ、ずるいよ」
「なんだよ、それ。……まあでも、さ。これからたぶん、たくさん聴けるはずだよ、な」
「あの子の欲張りが、もう少し自分に向けられれば……そうか、まだ甘やかしが足りないのかな」
 それからしばらくして、シルヴィがレイミィの部屋を訪れた。いつものように、歌に少しの魔力をのせて、静かな声で、歌う。
「おやすみ。善き眠りは、キミと共にあるから。それから……今日はありがとう」
 花の香りに満ちた部屋の、温かなベッドの中。シルヴィの子守唄はレイミィに届き、レイミィはその夜、ほとんど夢を見ることなく、ぐっすりと眠った。


(卵は嘆き、愛し子は歌う)了
【2022.9.14.】
【2022.10.9. レイアウト変更】
※劇中の歌詞を削りました。
 全文はこちら→「眠りのくにの愛し子よ」

++第5話++
→ 第6話-1『銀竜は問い、愛し子は冀う


『猫耳吟遊詩人の子守唄』目次とリンク

#猫耳吟遊詩人の子守唄  ←ジャケ付き更新順一覧です

第1話 プロローグ・REBIRTH (3100字)
第2話-1 眠りのくにの愛し子よ (2600字)
第2話-2 銀竜は歌い、愛し子は眠る (3500字)
第3話 愛し子は七つの祝福を贈られる (6700字)
(間奏-1) 雪の精霊は銀竜と歌う (2100字)
(間奏-2) あなたにここにいてほしい(560字)
第4話-1 愛し子は祈り、朝を迎える(8700字)
第4話-2 誰にも、聴こえないように(6000字)
第5話 卵は嘆き、愛し子は歌う(11500字)
第6話-1 銀竜は問い、愛し子は冀う(7500字)
第6話-2 愛し子は出会い、精霊たちは歌を奏でる(7600字)
第6話-3 樹に咲く花は(7000字)
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第?話 吟遊詩人は宣伝する<前編> (12600字)
第?話 吟遊詩人は宣伝する<後編> (12100字)

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