見出し画像

誰にも、聴こえないように(詞と短編小説・6000字)

詞と、その詞が出てくる短編小説を書きました。
短編小説は、ある別の物語の断片でもあります。
よろしければ、詞だけでも読んでいってくださいませ。

【詞】ダレニモキコエナイヨウニ

『ダレニモキコエナイヨウニ』

 僕はここにはいないのに
 ため息があたりに響く
 この街の月のない夜
 どんなに息を殺しても
 両手で口を塞いでも
 怪物がここにいるぞと
 人々が僕を指さす
 
 I wish I could scream out loud (叫べたらよかったのに)
 
 おびえてそこにいるだけの
 逃げ方も知らない生き物
 存在すら許されない
 だから出てきちゃダメなんだ
 
 I wish I could sing out loud (歌えたらよかったのに)
 
 お願い僕を眠らせて
 子守唄ララバイ歌う誰かなど
 どこにもいないそれならば
 この街の月のない夜
 僕は怪物ぼくと歌うしかない
 
 ダレニモキコエナイヨウニ
 
 歌をください 音のない
 僕だけが震えるリズム
 闇に溶け 消えるメロディ
 歌をください 僕だけの
 誰にも聴こえないような
 
 魚になれば 水の中で歌う
 鳥になれたら 空の果てで歌う
 
 誰もこの声を聴かないで
 誰かこの歌を受けとめて
 I wish I could scream out loud
 I wish I could sing out loud
 叫んでなんかいない
 叫んでなんかいない
 
 歌をください 音のない
 僕だけが震えるリズム
 闇に溶け 消えるメロディ
 この街の月のない夜
 僕は僕に そっと歌う
 
 ダレニモキコエナイヨウニ



【短編小説】誰にも、聴こえないように(6000字)


「ああ~やっと寝てくれたあ……」
 私が小声でつぶやくと夫は、ふふ、と静かに、息を漏らすように笑った。そして同じ音量で、ひそひそと私に言った。
「俺が、見てるから。望凪もな、寝れば」
「うん、じゃあ甘えちゃおうかな。その前に、のど乾いた……何か持ってくる?」
「今はいいや。向こうでゆっくり飲んできなよ」
 ベビーベッドの中の、赤ん坊の息子。その福福しい寝顔を横目に、私は寝室を出た。キッチンの冷蔵庫から、麦茶を出しグラスに注ぐ。その場で一口だけ飲んで、グラスを持ったまま居間へ移動した。麦茶をテーブルに置き、ダイニングソファに腰掛けて、ふう、と息を吐いた。
 早朝と呼ぶにもまだ早い時間。こうやって夜泣きで起こされるのは、だいぶ少なくなってきたけれど。お盆で夏休み中の夫がいてくれてよかった、と思う。
 眠くてだるいのに、決定的な眠気が少し遠くなったので、私はスマホを手に取った。”寝かしつけ”や”夜泣き”で検索したページのいくつかを、流すように読む。先輩ママの体験談の中にあった、子守唄、という言葉に反応して、スクロールを止めた。
 ……お姉ちゃん。
 子守唄といえば、お姉ちゃん。私の中では、そうだった。
 妊娠がわかったのは、お姉ちゃんが亡くなってから、半年くらい経った頃だった。もしこの子が女の子だったら、お姉ちゃんの生まれ変わりかも、なんて無邪気な考えを一瞬でもした自分は、本当に能天気だったと思う。
 お姉ちゃんが、生まれ変わって私の子供になってくれるなんて……そんなことはきっと。
 ありえない、だろうから。

+++++

 私の知らなかった、お姉ちゃんの境遇と母の過去を教えてくれたのは、親戚の中で唯一親しくしていた、父の従妹だった。私たち姉妹は昔から、佳世子さんと呼んでいた。
 私の妊娠を佳世子さんに知らせると、佳世子さんは、ふたりきりで話がしたいと連絡をくれた。
 このダイニングソファで、はす向かいに掛けた佳世子さんは、少しためらう様子を見せてから、言った。
「あのね。夕絵ゆえさんは……子供が、ダメなの」
 あなたのお母さんは、子供が育てられないの、と佳世子さんは続けた。だから、あなたが出産しても、お母さんの手は借りられないと思っていてね。
 夫の母、義母がとてもよくしてくれるから、それは大丈夫だと思ったけれど、私はその理由が知りたかった。佳世子さんも、これは話しておかなければと思っていたようで、そこで初めて、私は母の昔の話を聞いたのだ。

 母の夕絵が、私の父との前に、結婚していたこと。
 お姉ちゃん、巳鈴みれいはその前夫との子で、前夫は、私の父の兄であったこと。
 前夫はお姉ちゃんが生まれる直前に失踪し、失踪先の外国で事故に遭って亡くなったこと。
 亡くなった時、女性といたこと。それは彼の音楽仲間であったこと。
 母が、お姉ちゃんを育てられず、私の父方の祖母、つまり嫁いだ先の桜井の姑に任せきりであったこと。
 私の時も、祖母の手を借りなくては育てられなかったこと。

 祖母のことは、おぼろげに覚えていた。そしてその当時の母に、撫でられた記憶もある。それは、お姉ちゃんと一緒に……? 幼い私の、偏った視点。自分が撫でられたことしか、思い出せない。
「佳世子さん……お姉ちゃんは、知ってたの? お父さんが、違うこと」
「知ってた。たぶんまだ、あなたたちが桜井の実家に住んでいた頃ね。お父さんが違うことは、親戚の誰かから聞いてしまったんだと思う。それから……巳鈴みれいが中学生くらいの時かな、本人から直接、夕絵さんのことを訊かれたから……私が全部、話したわ」
「お姉ちゃんは、何て?」
「……わかりました、って。納得がいきました、って……」

 私が6歳になるまで住んでいた桜井の家は、祖母の死をきっかけに取り壊し再開発されることになり、私たちは別の土地へ引っ越した。縁もゆかりもない土地で、今思うとそれは、父による母への配慮だったのかもしれない。
 ふたつ年上のお姉ちゃんが、私と父が違うことを知ったのは、そんな幼い頃のこと。
 お姉ちゃんはやさしかった。私はお姉ちゃんが大好きだった。
 だけど、お姉ちゃんは私のこと……本当は?
 幼くて愚かな私は、母がお姉ちゃんに厳しいのは、姉だからだと思っていた。私は、お姉ちゃんのようにオトナ扱いをされたかった。あれは、そんなものではなかったのに。
 ……母は、巳鈴みれいお姉ちゃんを。
 自分で産んだ娘を、どうしても愛せなかったのだ。
 自分を裏切った前夫の血を引いている、ただそれだけで。
 そして私は、それに気が付けなかった。佳世子さんに話を聞くまで、何も知らなかった。

 佳世子さんが帰った後。スマホを手に取り、父の名前をタップした。
「どうした? 体はつらくないか?」
 電話越しの父の口調は、いつもと同じようにやさしく柔らかだった。私は父に、怒鳴られたりしたことはない。穏やかな人だった。
「今日、佳世子さんがうちに来てくれて……全部、聞いたの。お母さんのこと。それに、お姉ちゃんのこと」
「……そうか」
「ねえ……どうして……」
 教えてくれなかったの、という言葉を、飲み込んだ。そうしたら父は、何を誤解したのか、こんなふうに答えた。
「僕は夕絵を、夕絵だけを守りたかったんだ。彼女を守れれば、それでよかったんだ」
 それはひどくはっきりとした口調で、父のその、母への態度は、私のよく知っているものだった。父は、母を溺愛している。娘の私でさえ、入り込む余地がないくらいに。

 母には、話を聞いたとは言えなかった。
 その後様子を見に来てくれた母に、生まれてくる子が男の子だと告げた時、母はほっとしたように「そう」とだけ、言った。
 そして息子が生まれて、母は。
 息子に対して、父のように、抱き上げたり触れたりすることはなかった。

+++++

 引っ越した最初の夜を、私は覚えている。古い日本家屋から高層マンションに移り、私たちはそれぞれに部屋を与えられた。6歳の私は、見慣れない天井が怖くて、お姉ちゃんに泣きついた。
「おねえちゃん、ねむれない。こわい」
 お姉ちゃんは私の部屋まで来てくれた。ベッドに私を寝かすと、小さな声で言った。
「もなが、ねむるまで、ここにいるよ」
 それから、それよりもっと小さな声で歌いはじめた。
 それは『ゆりかごのうた』という子守唄だった。
「なんの、おうた?」
「おばあちゃんが、もなによく歌ってたお歌だよ。おぼえてない?」
「……おばあちゃん、しんじゃったね」
「……そうだね」
 それから私は、私もその歌を覚えたいと言って眠らず、お姉ちゃんを困らせた。お母さんには聴こえないように小さい声で、と念を押され、掛け布団の中で一緒に歌っているうちに眠りについた。

 そしてこの記憶は必ず、別の記憶を引っ張り出してくる。
 お姉ちゃんはよく、自分の部屋で、アビィの前で歌っていた。アビィは、私がさんざんおねだりして買ってもらった、アビシニアンの猫だった。アビィがいない、と思って探すと、大抵はお姉ちゃんの部屋にいた。
 扉を少し開けたところで歌が聴こえ、私はいつも声を掛けそびれた。
 小さな、小さな声。いつかの子守唄を思い出しながら、私はそれをこっそり聴いていた。もうその頃には私も、母が音楽を嫌っていることを知っていた。
 お姉ちゃんは、音楽が好きだった。歌を歌うのが好きだった。だから、やっぱり私がおねだりして一緒に習いはじめたピアノを、私がやめても、お姉ちゃんは続けると思っていた。
「え。ピアノ教室、一緒にやめちゃったの?」
 心底驚いてお姉ちゃんに訊くと、お姉ちゃんは私から目をそらして、言った。
「お母さんが、一緒にやめなさい、って」
 それがどういうことだったのか、私にはよくわかっていたなかったし、考えもしなかった。その後もお姉ちゃんは、練習用に買ってもらったポータブルの電子ピアノを手放さず、自室で母にわからないように弾いているようだった。だから、ピアノをやめなさいと言われても、平気なんだと思っていた。

 お姉ちゃんは県外の大学への進学を機に、家を出て一人暮らしをはじめた。
 そしてそのまま、家に戻らないままその土地で就職した。
 その頃から、私とお姉ちゃんは、あまり顔を合わせることはなかった。メールやメッセージアプリで連絡は取り合っていたから、それで大丈夫だと思っていた。
 お姉ちゃんは20代の終わりに一度引っ越して、それからそのアパートの玄関で倒れた。発見され病院へ運ばれたが、すでに手遅れだったそうだ。過労により心不全を起こし亡くなった姉は、その時35歳で、アパートにはひとりで住んでいた。

 慌ただしくお葬式を終わらせた後、お姉ちゃんのアパートを引き払うための業者を、父が手配した。私は父に頼まれて、業者が来る前に、業者にまかせられないものを引き上げに、お姉ちゃんの部屋を訪れた。つらくて、あまりよく見れなかったけれど、物が少なかったことと、あの電子ピアノがなかったことは、覚えている。
 家を出てからの、お姉ちゃんのことも。私は、何も知らなかった。
 最初の就職先はとっくに辞めていたこと。派遣社員で働くほか、複数のバイトを掛け持ちしていたこと。借金があったこと。交友関係が、ほとんどなかったこと。通帳などの貴重品と共に持ち帰った、ここ数年の手帳で、それがわかった。お姉ちゃんが20代の頃の、引っ越し前の手帳は、見当たらなかった。
 あった中でいちばん古い手帳を開いた時、中から紙が落ちてきた。それは4つに折り畳まれた、五線譜のルーズリーフだった。
 そっと広げてみた。五線譜の上に、それを無視して、文字が書かれていた。


『 ぼくはここにはいないのに
  ためいきがあたりにひびく
  このまちのつきのないよる
  どんなにいきをころしても
  りょうてでくちをふさいでも
  かいぶつがここにいるぞと
  ひとびとがぼくをゆびさす
 
  I wish I could scream out loud
 
  おびえてそこにいるだけの
  にげかたも しらないいきもの
  そんざいすらゆるされない
  だからでてきちゃだめなんだ
 
  I wish I could sing out loud
 
  おねがいぼくをねむらせて
  ララバイうたうだれかなど
  どこにもいないそれならば
  このまちのつきのないよる
  ぼくはぼくと うたうしかない
 
  ダレニモキコエナイヨウニ
 
  うたをください おとのない
  ぼくだけがふるえるリズム
  やみにとけ きえるメロディ
  うたをください ぼくだけの
  だれにもきこえないような
 
  さかなになれば みずのなかでうたう
  とりになれたら そらのはてでうたう
 
  だれもこのこえをきかないで
  だれかこのうたをうけとめて
  I wish I could scream out loud
  I wish I could sing out loud
  さけんでなんかいない
  さけんでなんかいない
 
  うたをください おとのない
  ぼくだけがふるえるリズム
  やみにとけ きえるメロディ
  このまちのつきのないよる
  ぼくはぼくに そっとうたう
 
  だれにも、きこえないように 』


 二重線を引かれた文字や、その上に書き足された言葉。ひらがなのまま、走るように書かれている。詞のところどころにアルファベットが書かれていて、それはたぶんコードというものなのかな、と思った。裏面に文字はなく、音符が書かれ楽譜になっていたが、ルーズリーフの半分までしか書かれていなかった。
 お姉ちゃんと会ったのは、私の結婚式が最後だった。その時、私とふたりで撮った写真が残っている。そういえば、幼い頃の写真を、私たちはあまり持っていなかった。佳世子さんに話を聞く前の私は白い箱を買ってきて、お姉ちゃんの手帳と結婚式の時の写真をそこに入れた。ルーズリーフは、挟まっていた手帳に戻した。
 曲を作ったりしているなんて、知らなかった。同じピアノ教室に通ったこともあったのに、私はもう楽譜も読めない。お姉ちゃんはすごい、と思った。
 白い箱はそれから、私が妊娠して、佳世子さんに話を聞くまで、開けられることはなかった。そして私は箱を開けて、再びあのルーズリーフを広げた。
 『ぼくはかいぶつと うたうしかない』の、かいぶつ、に二重線が引かれ、ぼく、に直してある箇所に、目が止まった。
 手が、震えてしまった。ルーズリーフを少し、濡らしてしまった。

 ねえ、お姉ちゃん。
 お姉ちゃんが私をどう思っていたのか、今なら少しだけわかる気がする。
 でも、お姉ちゃんは、やさしかった。
 お姉ちゃんは昔から、小さかった頃から、ずっと。
 私のことを……守って、くれてた。
 『かいぶつ』から、守ってくれてたんだ。そうだよね?
 だから。私はこうして何も知らないまま、幸せに育ってしまった。
 お姉ちゃんが私を、たくさん守ってくれたから。
 私はこうして、ここにいるんだね……。

+++++

「作曲、草川信。作詞、北原白秋。……え、4番まであったんだ」
 スマホを見ながらつぶやくと、寝室から夫が顔をのぞかせた。
「眠れなくなっちゃった?」
「……うん、なんだかね。夜泣き、まだ続くのかなと思って、スマホ見てたんだ」
 スマホを置き、立ち上がってキッチンから麦茶のピッチャーとグラスを持ってきて、夫に渡した。夫もソファに座り、麦茶を飲む。
「『ゆりかごのうた』。知ってる?」
 また手に取ったスマホの画面を見せた。
「あー……たぶん知ってる。子守唄だよね」
 その時、寝室からむずかる声が聞こえてきた。ふたりであわてて寝室に戻った。手にしたままだったスマホを大人用のベッドにそっと放って、私はベビーベッドから息子を抱き上げた。
「さみしかったのかな~? パパとママがいないって、どうしてわかったのかな~」
 あやしながらスマホの脇に腰掛けると、夫も横に座った。
「察しがいい子だ」
「親バカですね~」
「で、その子守唄、効くの?」
「う~ん、この子は、どうかなあ」
 消えかけたスマホを、タップした。歌詞を見ながら、私は小さな声で歌い出した。
「ゆーりかごのう~たを~、か~なりや~が、う~たうよ……」

 耳の後ろで、あの時のお姉ちゃんの、小さな歌声が聴こえる。
 
 ねーんねこ、ねんねこ、ねーんねこよ……。
 ねえ、おねえちゃん。びわのみ、ってなに?
 くだものだよ。
 おいしい?
 うん。あまくて、おいしかったよ。
 
 ……ひそひそと、小さな声で。
 布団の中で、お姉ちゃんと話して、歌った。
 ふたりだけで。
 
 誰にも、聴こえないように。

 息子がうとうとしはじめたのを見て、私と夫は顔を見合わせた。
 お姉ちゃん、ちょっとだけここに、寄ってくれたのかな。
 そんな、身勝手な感傷を抱いた。まだここに生きている者の、なんて傲慢な考えだろう、と思った。
 そうやって私はこの先も、この子を育てて生きていくのだ。
 私はそれを8月の、この時期のせいにすることにした。


(誰にも、聴こえないように)了
【2022.8.26.】

++第4話-2++
→ 第5話『卵は嘆き、愛し子は歌う

このお話は、下記の長編小説の断片です。


『猫耳吟遊詩人の子守唄』目次とリンク

#猫耳吟遊詩人の子守唄  ←ジャケ付き更新順一覧です

第1話 プロローグ・REBIRTH(3100字)
第2話-1 眠りのくにの愛し子よ(2600字)
第2話-2 銀竜は歌い、愛し子は眠る(3500字)
第3話 愛し子は七つの祝福を贈られる(6700字)
(間奏-1) 雪の精霊は銀竜と歌う (2100字)
(間奏-2) あなたにここにいてほしい(650字)
第4話-1 愛し子は祈り、朝を迎える(8700字)
第4話-2 誰にも、聴こえないように(6000字)
第5話 卵は嘆き、愛し子は歌う(11500字)
第6話-1 銀竜は問い、愛し子は冀う(7500字)
第6話-2 愛し子は出会い、精霊たちは歌を奏でる(7600字)
第6話-3 樹に咲く花は(7000字)
++++++
第?話 吟遊詩人は宣伝する<前編> (12600字)
第?話 吟遊詩人は宣伝する<後編> (12100字)

この記事が参加している募集

ご来店ありがとうございます! それに何より、 最後までお読みいただき、ありがとうございます! アナタという読み手がいるから、 ワタシは生きて書けるのです。 ありがとう、アリガトウ、ありがとう! ー➖ ー➖ ー➖ ー➖ ー➖ ー➖ ー➖ ー