樹に咲く花は(詞と、物語の断片・7000字)
【劇中詞】樹に咲く花は
【物語の断片】樹に咲く花は(7000字)
<1>
(2500字)
『♪ 太古の樹 汝はこの
大地の発露 悠久の
時を超えゆく
偉大な環
我は月より使わされ
月は大地に冀う
月の光と 大地の熱に
汝は咲き 落ちて結ばれ
この地に満ちる すべての生に
その祝福を わけあたえたもう
汝の恵みが
とこしえにここにあらんことを
月からの竜は
大地の子らは
冀い歌を捧げる
太古の樹 汝はこの
大地の守り
悠久の 時を超えゆく
気高きものよ……』
シルヴィとレイミィは、クレインのアンティアルブの樹に向かうように立っていた。
樹の根元には、クレインが座っている。
はじめに、シルヴィが鈴の音をひとつ、鳴らした。
それは、いつかレイミィも耳にしたことのある、りいん、という澄んだ音で、静かな森の奥の奥まで伝わっていった。
鈴の音が体を通り抜けてゆき、自身をも連れて、広がってゆく。
シルヴィの歌声が、アンティアルブに語りはじめる。あるところでシルヴィが、歌いながら、隣に立つレイミィに手を差し伸べる。レイミィの歌声が、その手を取るようにすべりだした。
レイミィの歌声はシルヴィの後ろにいたが、やがて前に立ち、重なり。歌声の共鳴が、アンティアルブの枝を、花々を揺らす。月の光を受けた氷の灯りが、花々に合わせるように揺れる。
ふたつ、みっつと、鈴の音が鳴らされ、その余韻の上に、ふたりの歌がからまる。寄り添うように歌い、離れ、最後はシルヴィの歌声で終わった。
音がして振り返ると、織物に座るロッカとターニャが、拍手をしていた。コニアたちコウノトリがくちばしを打ち鳴らす音が、そして泉の向こうからも、鳴き声や樹の幹を叩く音が聞こえる。
「クレイン、どう? 足りたかい?」
シルヴィが、パチパチと手を叩きながら近寄ってくるクレインに言った。クレインはレイミィをひょいっ、と抱き上げて、レイミィに頬ずりをした。
「シルヴィ様、そんなこと私に訊いちゃって、いいのかしら? うふふ、でも今年は、もう少し欲張ってもいいわよね?」
クレインは笑い、レイミィの紫の瞳をのぞきこんだ。
「レイミィ。私、レイミィの歌、おかわりしたい!」
クレインが、目を見開いたまま動かないレイミィを草の上に降ろすと、シルヴィが笑って、言った。
「どうしようか、ボクもクレインと同じだ。レイミィ、ボクも、キミの歌を聴きたい。だからこの歌をもういちど、レイミィだけで歌ってくれないかな?」
そのときレイミィは。自分はここにいるはずなのに、でも別の場所からそれを見ているような、不思議な感覚の中にいた。
歌い終わったのに、その余韻から、抜け出せない。
鈴の音と共に広がっていった自分が、そのままになってしまったような。
(楽しい。うれしい。もっと、歌いたい……)
気持ちがあふれて、叫んでしまいそうで、どうにかそれをこらえていた。だから、シルヴィがレイミィに訊いたとき、レイミィはことばを出すことができなかった。
シルヴィは、そんなレイミィを撫でながら、やさしい声でゆっくりと尋ねる。
「樹の精霊と銀竜の、望み。レイミィ、どうか、叶えてはくれないだろうか?」
誘われるように、熱に浮かされたように。
レイミィがこくりとうなずいたのを見て、シルヴィは、そっと鈴の音を鳴らした。
いちど閉じた瞳を、深呼吸してから開け、クレインを見た。それからアンティアルブを見上げ、レイミィは歌い出した。
森はふたたび静けさに満たされ、レイミィの歌声だけが、その中を流れてゆく。
『♪……
……月の光と 大地の熱に
汝は咲き 落ちて結ばれ
この地に満ちる すべての生に
その祝福を わけあたえたもう……』
りいん、と鈴の音が響く。
歌いながら、なにかが起こるような予感がして、ふと隣にいるクレインを見る。
クレインはそっと微笑むと、見て、というように指をさした。その先にある、自身のアンティアルブの樹は、白い花が満開になっていて……。
(! ……花の色が!)
輝くように真っ白だった、アンティアルブの花。
それが、レイミィの目の前で次々と、艶やかな薄紅色に染まってゆく。
樹に咲くすべての白い花が、月の光を浴びながら薄紅の花に着替え、ほころんで。
(すごい……なんて、きれいなんだろう!)
こんな美しいものに、自分はいま、歌を贈っている。
もっと、もっと。これじゃ、足りない。
もっと、出さないと。のせたい。伝えたい。
その想いを抱え、こぼさないようにして。
レイミィは歌い続けた。
『♪……汝の恵みが
とこしえにここにあらんことを
大地の子らは
冀い歌を捧げる
太古の樹 汝はこの
大地の守り
悠久の 時を超えゆく
気高きものよ……』
最後の鈴の余韻が消える頃、泉のまわりに強い風が吹いた。
顔にかかった髪を払いながら樹を見上げたレイミィは、散らされた薄紅色の花びらの中にいた。
「私たちはね、散る間際に色を変えるのよ」
すぐ隣で膝をついたクレインが、言った。クレインの瞳の色をした花びらが、レイミィの手のひらの中に落ちる。あたりを見渡すと、泉の向こうのアンティアルブたちも、その色を変えていた。
この景色、この感覚は。
(そうだ……桜が散る、感じ)
3つの月に照らされて、薄紅色の花びらが、風に舞っている。
なにかが、体の奥か胸のどこかから、湧いて染み出てくるような、感覚を覚える。
レイミィは、動けなかった。ロッカが、レイミィを呼ぼうとして、でもクレインが人差し指を口に当てて見せたので、ことばを飲み込む。そんな周囲の様子も、レイミィの知覚からは消えていた。
花びらに紛れて、あのかけらたちが降りてくる。
レイミィはそれを、無意識につなぎ合わせる。
(どうしよう、あふれちゃう、止まらない……)
ひとり夢中でそれを続けていたレイミィは、クレインに手を握られ、はっと我に返った。
「ふふ、見とれすぎよ。照れちゃう」
クレインはレイミィを抱き上げた。ターニャが座る織物に、シルヴィやロッカも座っていて、レイミィもそこに降ろされた。
<2>
(2000字)
ロッカが、パラリパラリと音のする弦楽器を、ゆるやかに爪弾いている。ターニャから酒を差し出されると手を止め、木製の酒器でそれを受けて飲み、それからまた弾きはじめる。
シルヴィもクレインも同じ酒器を手にしている。ターニャが酒の瓶を逆さまにしているのを、レイミィはクレインの隣で、ぼんやりとながめていた。
クレインが、温かい飲み物の入ったカップを、レイミィに差し出した。受け取って、ひと口飲む。酸味のある甘さが口の中に広がり、レイミィは、ほうっ、と息をついた。この森でしか取れない、冬の木いちごで作ったジャムを、お湯で溶かしたもの。前にあった瓶は空けてしまったから、きっとターニャと一緒に運ばれてきたものだろう。
レイミィの中にあった、さっきまでの高揚が、どうにか静まっていた。
改めて、周囲を見渡した。鳥や動物の精霊たちは、ほとんどいなくなっているようだった。風に散らされた薄紅色の花びらはまだ舞っている。3つの月のうちひとつが、森の天井にさえぎられはじめていた。
シルヴィと、それからひとりで歌っていた、夢のような時間。
思い出すとまた、ドキドキしすぎてしまいそうで。
(ちょっと、落ち着かなきゃ。そう、これはお花見で、お月見なんだから)
この世界の月は、とても大きく見える。それが3つもあって、しかも今夜は満月なので、とても明るかった。
デザート用のフォークよりも小さな、先がふた股になっているピックを渡された。そのピックを使って、かごに並んだ壺の、ひと口大に切られたチーズや酢漬けを食べる。木の実やパンはもちろん手でつまむ。パンは、わざわざ丸い形に焼かれている。
「これらは一応供物なんだけど、つまみ食いくらいは精霊サマも目をつむってくれるそうだよ。だからこれを使うのさ」
ターニャが、ピックで丸いキノコのマリネを刺し、口に入れた。
つまり、つまみ食いスタイルが、この『オハナミ』の作法、ということらしい。
(お月見のお供えとごっちゃになって、さらによくわからないルールになっているような……じゃ、なくて!)
「あの、『オハナミ』が故郷のお祭りって言った人って!」
つい大きくなったレイミィの声に、ターニャも精霊たちも、きょとんとした顔をした。それでレイミィのことばは、尻すぼみになってしまう。
「えっと、その人のこと、教えてほしくて……同じ故郷の人かも……」
「うん、そうだね」
シルヴィが、あっさりと答えた。
「レイミィはね、ガクと同じところから来たんだよ」
「ガク、さん? その人はいま、どこに?」
「二百年……百五十年くらいだっけ? それくらい、会ってない。姉さんと一緒にいるはずなんだけど、どこにいるかわからないんだ」
シルヴィが、ちらりとクレインを見る。クレインがひとつため息をついて、言った。
「少なくともこの大陸には、いないわね。この大陸にいれば、仲間の誰かしらが教えてくれるだろうから」
「ボクにもわからないんだから、相当遠くのはず。だけどそうか、やっぱりそうなんだ」
ロッカは弦楽器の手を止め、酒をひと口含んで言った。
「レイミィとガク、ぜんぜん似てないんだけど、似てる気がしたんだ」
「私もそう思ってた!」
「ねえ、あの、百五十年って。ガクさんは、人じゃないの?」
レイミィは必死に、ロッカとクレインの話をさえぎった。話が、まったくわからない。
「人だよ。私らと同じ、愛し子……って、レイミィあんた、まさか知らない?」
ターニャが、精霊たちをギロリとにらんだ。
「シルヴィ、ロッカ、それにクレインも! 大事なこと、ちゃんと教えてないだろう!」
「大事な、こと?」
レイミィがターニャの剣幕に驚いて言うと、ターニャが新しい酒瓶から酒を注いで、きゅっと飲み干した。
「愛し子は、人より長い時を歩かなくちゃいけない、そういう呪いをかけられてる」
きょとんとしているレイミィに、ターニャはことばを重ねた。
「つまり。例えば私なんかは、もう二百年近く生きてる。そういうことさ」
「……え?」
「レイミィ、あんたにも。その呪いが、かかってる」
ターニャが、レイミィの猫耳を指して、言った。
「呪いじゃなくて祝福、なんだけどなあ」
「結局呪いでしかないだろう?」
シルヴィに言い返すターニャのことばを聞きながら、レイミィはぐるぐると考えていたが、急に強烈な眠気を感じて、隣にいたクレインにすがりついた。
「っ、ごめんなさ……、眠いの……」
「いいよ、眠って。全力で歌ってくれたからね。レイミィ、ありがと」
クレインの膝に頭をあずけると、クレインがレイミィの額と目の上にそっと手をあてた。
考えすぎて沸騰した頭に、ほどよい冷たさ。それから、アンティアルブの華やかで落ち着く香り。
(訊きたいこと、たくさんあるのに……)
レイミィは抵抗できず、そのまま意識を手放した。
<3>
(2500字)
ボクの、夢の中で。
(レイミィが歌えるようになって、うれしい)
巳鈴がそう言って、笑った。
ああ、今日は泣いてないんだね。
巳鈴は、ずっとそこにいる。
そしてボクの中で、ボクとつながっている。
生まれ変わっても、自分とはぜったいに、切り離せない。
あれ……それって。ボクに重なってる、アビィと同じ?
ねえ、それじゃあ、こうしよう。
ボクは、アビィとの約束を守る。
アビィに、歌を歌う。
巳鈴にも、歌を歌う。
だから、ねえ、歌って?
いっしょに、ボクと。
アビィのために。
シルヴィ、ロッカ、クレイン。
コニア、コニオル、コニエッタ。
これから生まれてくる、ふたりの愛し子。
ターニャ。
猫の、まだらと黒と白。
大切で大好きな、みんなのために。
いっしょに、歌おう。
それから、いっしょに行こう。
ボクたち、だいぶ遠くまで行けちゃうんだって。
ボクも、いっしょならたぶん、怖くない。
ねえ、だから、巳鈴。
ボクといっしょに、行こう。
手を、つないで。
ボクが、キミを連れて行くから……。
+++++
レイミィが目を覚ましたのは、いつもよりだいぶ遅い時間だった。
目を開けると自分の部屋のベッドの中で、すぐそばでまだらの猫が丸くなっていた。ベッド脇の机の上には、クレインからもらったストールが、たたまれて置かれている。
どうやら夢ではない、昨日あったことを、レイミィは少しずつ思い返してみた。
ガクという人のことと、長生きする呪いのことを聞いて、そのあとの記憶がない。
ショック、だったのだろうか? でも、いまの自分はひどく落ち着いていて、呪い、と言われても、どうしてか納得しかなかった。
(だけど、たぶん。情報が多すぎて、処理できなくなっちゃったんだ)
それに、あのとき。レイミィは自分でもびっくりするくらい、興奮していた。
(全力で歌を、歌ったから……)
出会ってからずっとあこがれていた、大好きなシルヴィと。
信じられないくらい美しい、クレインの樹の花の、花びらが舞う中で。
レイミィは、歌を歌ったのだ。
そして、歌いたい、という前世からの、心の奥底からの願い。
それが、叶ってしまった……。
そのとき突然、つながったかけらが、ひとつなぎになって、レイミィの頭の中を流れていった。
がばっ、と起き上がり、着替えて階下に降りる。まだらの猫が、あわてるようについてきた。
広間には、子守り車を押すクレインがいて、「おはよう」とあいさつをかわした。レイミィは流し場ですばやく身支度を済ませると、まっすぐにピアノに向かった。
そして、ピアノの蓋を開け、鍵盤に手を置くと。そこから、頭の中のひとつなぎを、ピアノの音にのせて解放していった。
その歌は、曲ができたときのことを考えて、クレインの樹に贈ろう、とレイミィは思った。その後、少しずつその曲のためのことばが降りてきてつながって、完成したのは、数日後のこと。広間のピアノで歌ったら、ふたたびみんなで『オハナミ』の仕度をして、こんどは昼間に、クレインの樹に出掛けることになった。アンティアルブの花がゆっくりと舞い散る中、前と同じように、でも前とは違う曲をクレインとロッカが演奏し、シルヴィとレイミィが『アンティアルブへ捧げる歌』を歌って。
それからレイミィが、その歌を歌った。シルヴィとロッカが、伴奏をしてくれた。
「ふふふっ。すごいもの、もらっちゃった! ねえ、もう一回歌って! 次は私も弾くから!」
クレインが大興奮で喜んでくれたのが、うれしかった。
その曲に、レイミィは『樹に咲く花は』という名前をつけた。
(アビィ、聴こえてる? ……巳鈴、いっしょに、歌ってくれてるよね?)
『♪ その手のひらの 頑なな種は
おまえが握りつぶしてたんだ
なにも見えないふりしてたんだ
ツライカラ クルシイカラ コワイカラ
大地へ還る 数多の種たち
双葉の勇気に 内なる熱に
おまえはもう気づくときなんだ
ツラクナイ クルシクナイ コワクナイ
だってまだ なにもはじまってない
土に落ちて すべてはそれから
ボクは歌う ボクらは歌う
天井には光 手を伸ばせばいい
樹に咲く花は 遥かな希み
それがひとつの種だった頃の
ボクらはそんなに弱くなんかない
あっけなく散る日を迎えても
一緒に行こう となりにいるよ
コレマデモ コレカラモ イツマデモ
だってそう これからがはじまり
産声のように 歓声のように
ボクは歌う ボクらは歌う
空には光 手を伸ばせばいい
樹に咲く花は いつかの約束
それがひとつの種だった頃の
ボクは歌う ボクらは歌う
つぶされたたくさんの種のために
あきらめなかった双葉のために
半ばで倒れた若木のために
眠りつづけるつぼみのために
どうかお願い 歌わせてください
春を寿ぐ樹の花たちよ
何度でも散り また咲くものよ
ボクも歌う もういちど歌う
なんどでも なんどでも 歌うから……』
+++++
「好きなだけ、ここにいればいいさ。おまえがいたいならね。だいたい私なんざ、どれだけここにいると思ってんだい?」
最初のお花見の翌日、ピアノを弾いたあと。ターニャとふたりきりでお茶をして、困ってることを問いただされて、返ってきた答え。
いままで、自分がいつまでここにいられるのか、誰にも訊けないでいた。いまなら、簡単に訊けそうだけど、とレイミィは思う。
「まあでも、そんなのゆっくり決めりゃいい。子供のうちは、ここにいるべきだし。そうだね、他の愛し子のことを、話してやるよ。レイミィ、楽団のことは、知ってるのかい?」
「楽団?」
「吟遊詩人楽団。ガクが作った、旅する楽団。奴は、吟遊詩人楽団の団長なのさ」
レイミィは自分の鼓動が、ドクンとひと際大きく鳴ったような気がした。
降ってきた歌のかけらが、つぶやいた。
”だってまだ なにもはじまってない……これからが、はじまり……。”
(樹に咲く花は)了
【2022.10.16.】
++第6話-3++
『猫耳吟遊詩人の子守唄』目次とリンク
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