自分の文章に、価値はあるのか?
こんにちは。
牧 菜々子です。
自分の書く文章に、価値はあるのか?
ネットで発信を始めたころは、そんなことすらも思っていませんでした。
何かを書かずにはいられないから、書く。
それだけでした。
それからしばらく経ってからです。
「自分の文章に、価値はあるのだろうか?」と思い始めたのは。
何の価値もないかもしれない。
誰も必要としていないのかもしれない。
こんなことを続けていて、意味はあるのだろうか…。
それでも、書くのは楽しい。
書くことで、救われる。
そんな瞬間が、たしかにあった。
だから、迷いながらも、書き続けてきました。
そして、徐々にたくさんの人に読んでもらえるようになり…。
今では、ダイレクトに反応がもらえるようになりました。
今思えば、「誰の役にも立たなくても、自分が書きたいから書く。
それだけでいい!」と息巻く必要はなかったな、と思います。
価値は、出てくるからです。
世の中の、大半の人には、必要ない。
それでも、価値が出てくるので、必要とされるようになるのです。
今、絶大な支持を得ている人たちも、そうやって、価値が出てきて、必要とされるようになった人たちです。
「あなたは、あなたのままで、十分価値がある。」
そう言われると、そのとおりなのですが…。
何て言うか、その価値じゃないんです。
知りたいのは。
「『この人の文章なら、お金を払ってでも読みたい』と、果たして思ってもらえるのだろうか?」
それが、「誰かの役に立てるのか」ということであり、書き続ける中で知りたい「価値」なのです。
そして、その価値は、出てくる。
それが、今となってはわかるのです。
上を見れば、すごい人が、数えきれないほどいます。
そしてそのすごい人たちも、他人と比べるのではなく、以前の自分自身と比べることで、自分の成長や価値を感じている。
他から奪う必要はないし、それぞれが成長することで「みんなでもっと大きくなれる」ということが、わかっているのです。
価値は、出てくる。
必要としてくれる人は、出てきます。
どうしてかというと、人は分かり合うのが楽しいからです。
必要としてくれる人たちに、絶対に損をさせないように、全力で考える。
そうすることが、自分のためにもなり、ひいては自分の一番身近な人の幸せにもつながります。
そして、自分を必要とはしないその他大勢の人のためにすらなるのです。
だって、「自分には何の価値もない」と思い込んで、その他大勢の人に敵意を向けられたら、その人たちだって困るからです。
別に何ら敵意があるわけでもないのに。
だから、「価値は、出てくる」とわかることが、大切なのです。
自分の文章に、価値はあるのか?
そんな思いに駆られた時、私の場合は、「価値がなくても、書けるだけでいい!」と意気込んでいました。
でも、そこまで意気込む必要はありません。
価値は、出てきます。
わかってくれる人のことだけを考えることが、自分のため、自分の身近な人のため、そして、わかってくれない人のためにもなるのです。