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2019年1月の記事一覧

掌編 「向かい合う・すれ違う」

掌編 「向かい合う・すれ違う」

 鏡は異界への扉だと信じられている。そこへ写るのは、まぎれもなく自分自身だというのに、人は懲りずに、こことは違う世界を望む。当然、そこではぼくという非力な存在は、今と同じように路傍の石でしかない。
 鏡を見ることに恐怖を覚えたのは、中学生の時だった。朝起きて、寝癖を直すことくらいにしか、鏡を使ってこなかったぼくは、ちょうどその頃、着飾るということを学び始めていた。新しい服を買ってきて、持っている服

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掌編 「溺れろ、青春」

掌編 「溺れろ、青春」

 カンナが青春を殺したのは、白い朝だった。
 ただ真っ白な、雪もなく、寒いだけの朝、通学路から校舎脇の林に続く結婚を辿り、ぼくはカンナと青春の元へと引き寄せられた。といっても、全ては予想の範囲内だった。
 カンナはいつか青春を殺すだろうとクラス中が噂していたし、彼女自身も、制服に隠したナイフをぼくらにちらつかせては、いつか青春を殺してやる、と公言していたのだから、カンナの足元に倒れた青春、という絵

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掌編 「あなたの不幸せ、幸福論」

掌編 「あなたの不幸せ、幸福論」

 私はあなたが望むように、あなたの不幸せという幸福を祈る。不幸せである限り、絶対の幸福に包まれると信じるあなたの、少し不真面目な幸福論を。
 きっと、そんなあなたの幸せ、いえ、不幸せを叶えてあげられるのは、私だけでしょう? そう考えることは、私にとって、どんなに慰めになるか分からない。
 ニーチェを引用し、人生はどれほど空虚なものかと嘆く時の、あなたのうれしそうな顔や、神は死んだ、と高らかに歌い上

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掌編 「トリーネ・リィーシャ」

掌編 「トリーネ・リィーシャ」

 南洋の街に、女性飛空士だけの部隊が存在する。トリーネ・リィーシャはその部隊のエースで、花形であった。撃墜数は二十八、都市は十四の頃から飛び始め、飛行時間は帝国内でも最長、色素の薄い肌にブラウンの瞳と髪。肩まで伸ばした髪は、同室のリコが切り揃える。
 元来、飛ぶことにしか興味のない彼女は、休暇を最も嫌うため、持て余した時間は読書か、リコに付き合って、暇を潰した。だからトリーネは、リコに好きに髪を切

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掌編 「橘 甘夏」

掌編 「橘 甘夏」

 甘夏は偽名である。彼女は何かと名乗る用のある時は、必ずこの名前を使った。元々詮索嫌いで、人と深い関係を苦手とする、どこか暗い女性だった。軽妙な口振りで、誰とでも親しく話す割に、二度、三度と会うにつれて、疎遠になっていくことが多かった。
 特に同性とはいい関係を築くことができず、最近はもっぱら男性と一緒にいる。一人で家にいると不安になると公言してはばからず、空いたスケジュールには何かと理由を付けて

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掌編 「白猫の家」

掌編 「白猫の家」

 猫を飼うには広すぎると思った。
 顔も知らない父が死んで、ぼくの元に鍵が一つ、送られてきた。都内のワンルームのアパートの鍵だった。母が亡くなって以来、天涯孤独と思っていた僕は、それは当然、驚いた。生活に困っていなければ、その鍵を受け取ることもなかっただろう。

 部屋にはベッドの他、何も置いていなかった。まるで空き部屋のように静かで、けれど、人の香りがしない分、清潔だった。壁紙は気付くか気付かな

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掌編 「落ちて、ブルー」

掌編 「落ちて、ブルー」

 世界はくっきりと二つに分かれた。群青と水色。ぼくは群青へ向かって、真っ直ぐに落ちていく。ここには鳥もいなければ、雲もない。器のように群青が世界を支え、水色はベールのように世界を包む。ぼくらは各々、世界へ投げ出され、自由気ままに落下する。あるのは、この身体だけ。翼のように両手を広げても、ぼくらは飛べない。
 大きな水色が、ぼくらを抱えてる。群青がそれとは気付かない内に、ゆっくりと近付く。

 ぼく

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掌編 「恋は裏切りing」

 今も、私が一番信用ならないと思っているのは、何の見返りもなく、人を助けようとする人間だ。例えば、朝倉。誰にでも愛想を振りまいて、いつでも自分の周りに人の壁を作っている。そして、その輪の中から一人でも脱落しようとすると、息吐く暇もなく手を差し伸べて「大丈夫?」と声をかける。そうすることで、壁は厚みを増し、より強固になっていく。朝倉に魅せられた奴も、そうでない奴も、彼女の壁でいることに魅力を感じ始め

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掌編 「呼吸がほしい」

掌編 「呼吸がほしい」

 夜毎、息苦しさに目を覚ます。灯りを落とした自室の中で、蓄光の時計の針だけが勤勉に働いて、早鐘を打つ鼓動のように、その音で部屋を満たす。既に街は寝静まって、墓標のように整然と並んだ家々が、眠っている私たちは死んでいると告げるようだった。
 私はゆっくりと寝返りを打って、枕元の時計に手を伸ばす。深夜三時。あと一時間もすれば、朝だと思う私の認識からすれば、この時間はいやに中途半端だ。
 朝と夜のグラデ

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掌編 「好奇心は乙女を殺す」

掌編 「好奇心は乙女を殺す」

「矢吹くんって、逢坂さんのこと好きなの?」
 埃だらけの資料室の中、大塚は無邪気にそう言った。尋ねられた矢吹はへぇ! と頓狂な声を出し、収めようとしていた本を取りこぼした。
「あ、好きなんだ」
 窓から入ってくる西日も、部屋を遮るように置かれた書架のせいで遮断され、物陰はひどく暗く、かび臭い。しゃがんだ大塚は咳き込みながら、矢吹の落とした本を拾おうと手を伸ばした。
「それ、誰に聞いた!」
「ひぁ!

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掌編 「glass」

掌編 「glass」

 きっかけは席替えだった。最近とみに視界がぼやけるなぁ、と思っていたら、視力が落ちていた。
 窓際、最後尾という絶好の位置を占めたと思ったのに、私は非常に屈辱的な気持ちで配置換えを申し出ることになってしまった。
 私のたった一つの自慢は、視力2、0ということだったのだ。それなのに、調子のいいチャラ男におめおめと席を明け渡し、教師のお膝元、真ん中、真ん前の席に収まらなくてはいけなくなった。私はこんな

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掌編 「安楽椅子の午後」

掌編 「安楽椅子の午後」

 ヨハンの声を聞き、シャーリーは右目をかばうように部屋を見渡した。
「そこだ、その椅子に座ってくれ」
 書棚に向かっていたヨハンが彼の方へ振り返り、近くの椅子を指差した。シャーリーはそれをしっかりと目で確かめながら、窓の方へ近付き、冬だというのに、それを開け放った。
 外からは乾燥しきった煙っぽい、煤の臭いが冷たい外気と共に入り込む。が、ヨハンはというと文句の一つも言わず、入り口の扉を閉めてから、

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掌編 「もっと好きになっていい」

掌編 「もっと好きになっていい」

「直江くん、お金もーけに興味ない?」
 と水瀬さんに聞かれたぼくは、絶対に怪しい話だと心の中で確信しながらも、水瀬さんに興味がありますなんて下心を打ち明けられないまま、ほいほいと後ろを付いていくことになった。。
「頑張れば頑張っただけ、沢山お金がもらえるの!」
 水瀬さんはそういう人特有の輝ききった瞳でぼくに訴える訳で、一生懸命に見つめられると照れてしまう。見つめないでくださいよ、と口にしつつ、本

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掌編 「塹壕奇譚」

掌編 「塹壕奇譚」

 機関銃斉射を受けた屍は新月の夜、立ち上がり、故郷への道を踏む。人の肉をついばんだ鳥は人語を介し、無能な指揮官そっくりの声で突撃を命じる。砲火で赤むけた大地は流血で乾く暇なく、血と土の泥で兵士の足を止めた。

 夜の前線、膠着状態が何年も続いた戦場でも、月のない夜ばかりは静かであった。
 死肉を漁りに飛んできた梟が地面へ降り立ち、夜目を光らせる。まだ腐っていない、肉付きのいい死体へ近付き、鋭い爪と

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