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掌編 「好奇心は乙女を殺す」

「矢吹くんって、逢坂さんのこと好きなの?」
 埃だらけの資料室の中、大塚は無邪気にそう言った。尋ねられた矢吹はへぇ! と頓狂な声を出し、収めようとしていた本を取りこぼした。
「あ、好きなんだ」
 窓から入ってくる西日も、部屋を遮るように置かれた書架のせいで遮断され、物陰はひどく暗く、かび臭い。しゃがんだ大塚は咳き込みながら、矢吹の落とした本を拾おうと手を伸ばした。
「それ、誰に聞いた!」
「ひぁ!」
 今度は大塚がおかしな声を上げる番だった。
 矢吹は大塚が伸ばした手をがっちりと掴んでいる。
「加藤か? 東野か?」
 悪友の名前を数え上がる矢吹の顔を、大塚は真剣に見ていた。光の乏しい資料室では、可もなく不可もない矢吹の顔に影が差し、どことなく魅力が増すようでもあった。
「別に、誰に聞いた訳でもないよ」
 と、あくまで事実を話す大塚。それに何を勘違いしたのか、矢吹は、
「じゃあ、みんなが噂してるのか。みんな、ぼくのことを馬鹿に……」
 思い込みの激しい矢吹に苦笑しながら、大塚は立ち上がろうと棚に手をかける。
「人から聞いたんじゃないよ」
「え?」
 ぐっと力を入れ、立ち上がろうとした大塚のタイミングに、矢吹が矢吹が倒れた。掴んでいた大塚の手に引っ張られ、パランスを崩して、矢吹は彼女の方へ倒れ込む。
 ちょうど、矢吹が大塚を押し倒したような形になった。
「……」
「……」
 まき上げられた綿ぼこりが、ふわふわと部屋の隅へ転がっていく。
 学校の裏に位置する、薄暗い資料室には校庭の野球部の掛け声すら届かなかった。
「大塚……」
「ごめん、矢吹くん!」
 早口でそう言うと、大塚は大きなくしゃみをした。
「……」
「ごめん! 我慢できなくて」
 大量につばを吐きかけられた矢吹は目をつむって、じっと耐える。どうにかティッシュペーパーを用意し、顔を拭うと
「これだけの埃だから、仕方ないさ」
 と遠い目で言った。
「ごめんね、本当にごめん!」
 大塚は次々にティッシュペーパーを矢吹に渡す。矢吹は断っているが、大塚が渡すのをやめないので、仕方なく受け取り続ける。
「いや、ぼくの方こそ、変なことして悪かったよ」
 矢吹の言葉に、大塚の手が止まる。
「ううん、私が急に立ち上がろうとしたのが悪いんだし」
 二人は無言になる。陽も傾き始め、薄暗い資料室はより一層、暗くなってくる。
「早く、作業終わらせよう」
 矢吹の言葉に、大塚は頷いた。

 冬の陽は落ちるのが早い。
 何度か明滅してから、ようやく点いた蛍光灯を、矢吹と大塚の二人が不安そうに見つめる。
「暗くなる前に、終わらなかったね」
 気を取り直して、頑張ろう、と大塚は資料の山に手を入れる。
「私が仕分けするから、矢吹くんが棚に戻してくれるかな?」
 そう言ってから、二人は暫く無言のまま、作業を続けた。廊下からは、ぱたぱたと生徒の走る音が聞こえ、続いて教師の怒鳴り声が響いた。
 それを聞いた大塚が小さく吹き出すと、つられて矢吹も笑った。
 資料室では、灯りが揺らめく。
「さっきの話だけどさ」
「くしゃみのこと?」
 とくだけた口調で言うのを、矢吹が否定して続ける。
「どうして大塚は、ぼくが逢坂のこと好きだって思った訳?」
 大塚は言い淀むように、う~んとうなる。
「見てたらさ、分かっちゃったんだよね」
「見てた? 逢坂のこと?」
 そうじゃなくて、と大塚は話を受ける。
「矢吹くんを見てたら、気付いたんだ。あ、好きなんだって」
「えと、それって……」
 矢吹の照れた顔を見て、大塚は苦笑いする。
「うん、そういう意味じゃなくてね。勘違いしてほしくないから言うけど、私は矢吹くんのこと、好きじゃないから」
 矢吹よりも、大塚の方が傷付いたような顔をする。
「矢吹くんは、逢坂さんのどこが好きなの?」
 矢吹は書架の間に隠れてしまい、大塚からは見えない。
「矢吹くん?」
 返事が返ってこないのを心配して、大塚はもう一度、声をかける。
「聞こえてるよ」
 と返すものの、矢吹は質問に答えない。
 足音がして、矢吹が大塚の前に姿を見せる。
「それで、どこが好きなの?」
 大塚の質問に矢吹は力なく笑った。
「どこが好きかって、よく分からないんんだ。何となく好きで、何となく惹かれる。それじゃ駄目なのかなって思う時もあるし、それを知りたいから好きでいるんじゃないかって思うこともある」
 大塚は、ぼーっと矢吹の顔を見つめていた。静かな決意に満ちた目は、ここではない遠くを見つめ、引き結ばれた唇は気高い覚悟の表れに見えた。明るいとは言えない蛍光灯の光の中、矢吹を見上げる大塚には、彼が深い憂いの中にいるように思える。
 そして、下から見上げる矢吹の喉仏に、つい男らしさを感じた。
「大塚……?」
 が、その幻想も一瞬で破れた。ほんの瞬きの間、力強く見えた矢吹の顔は、夕方と同じ、可もなく不可もない、つるりとしたものに戻っていた。
 幻の余韻を感じながら、大塚は矢吹に資料を渡す。
「これで最後」
「ん、ありがとう」
 大塚は静かに、矢吹の後を追う。書架の間から、資料を棚へ納める矢吹を盗み見て、眉間にしわを寄せる。
「ねえ、矢吹くん」
「ん~?」
 作業を続けながら、矢吹は答えたが、大塚はそれにむっとした。
「矢吹くん!」
 ようやく、矢吹が振り向く。
「何? どうかした?」
 もしかして棚、間違えた? とまた持ち前の早とちりをしている彼に、大塚が
「手伝おうか?」
 と言った。
 矢吹はふと我に返り、やわらかく笑いかける。
「大丈夫、もう終わるから」
 そうじゃなくて、と再び大塚は言った。
「逢坂さんとのこと、手伝ってあげようか?」
 大塚は思った。どうして、こんなこと言ってるんだろう。私はただ、矢吹くんが逢坂さんのこと好きなのかどうか、知りたかっただけで、それ以上、何かをするつもりなんてなかったのに。
 けれど、矢吹は再び、やわらかく笑う。
「大丈夫、自分で何とかするからさ」
 大塚は胸に手を当て、その高鳴りを確かめると、ふくれ面になっ 乱暴に閉められた扉を、矢吹は不思議そうに見つめていた。

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