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掌編 「glass」

 きっかけは席替えだった。最近とみに視界がぼやけるなぁ、と思っていたら、視力が落ちていた。
 窓際、最後尾という絶好の位置を占めたと思ったのに、私は非常に屈辱的な気持ちで配置換えを申し出ることになってしまった。
 私のたった一つの自慢は、視力2、0ということだったのだ。それなのに、調子のいいチャラ男におめおめと席を明け渡し、教師のお膝元、真ん中、真ん前の席に収まらなくてはいけなくなった。私はこんなところに収まる逸材ではないというのに、だ!
 私は大いに嘆き悲しんだ。落ち込んでいる様子を、隣の三宅くんに心配され、プライドは余計に傷付いた。この四つ目野郎!
 とかいって眼鏡を馬鹿にしたら、自分もかける羽目になった。家族団らんの食卓、何気ない会話の中で、席替えと視力の話をした所、私は親に連れられ、初めて眼鏡を作ることになってしまった。これで晴れて、眼鏡処女を卒業、ってうれしくない。
「似合ってるね。その眼鏡」
 次の日の学校で、三宅の何気ない一言に傷付いたが、さすがに悪気のない彼を睨み付けることも出来ず、複雑な思いで愛想笑いを返した。
「少し、目付きがやさしくなったかな」
 屈託のない笑顔。
 は? 私の脳は急速に回転を始めた。目付きがやさしくなったとはつまり、今まではそうでなかったと? では私は今までどんな目付きを? 確かに、見えずらいなと眉間にしわを寄せていた記憶はある。ならば、導かれるのは……。
「私、そんなに目付き悪かった?」
「……あ、ごめん」
 謝るな!
「えと、本当に……?」
 三宅君はこわごわと頷いた。あれ、私、怖がられてる?
「そ、そんなに目付き、悪かったかな?」
「みんな、倉木さんのこと、マジモンのヤベーやつだと思ってるよ」
 泣いた。家に帰って、今日のことを思い出して、泣いた。
 三宅の奴、何でそんなこと私に言うんだよ! 傷付くだろ! というか、ヤベーやつに話しかけるお前も、充分ヤベーやつじゃないか!
 それからは大人しく過ごした。というか、落ち込んでいた。席があまりに前だと教師に刺されないんだな、という新発見もあったが、私を虚しくさせるだけに終わった。あれ以来、三宅もちょくちょく話しかけてくれるが、哀れに思われているみたいで、正直、もっと落ち込んだ。
 お風呂の中で笑顔の練習をしてみたけれど、それも中々辛いものがあった。何だか、一生残るトラウマを植え付けられた気分だった。

 眼鏡をかけたままだと、机に突っ伏して眠れない。そんな当たり前のことも、私は忘れていたみたいだ。おかげでフレームが変形し、まともにかけられなくなった。一時間はそのまま我慢していたが、段々と気分が悪くなり、最後は保健室へ行くことになった。
「悪いね、三宅」
 隣の席ということで、三宅が付き添ってくれていた。
「大丈夫、ぼくも眼鏡が合わなくて、酔っぱらったことあるから」
 そっか、と答えつつ、裸眼の私は廊下の様子がほとんど見えていなかった。ぼんやりと前を先導してくれる三宅が見えるが、他はさっぱりだ。
「ねえ、三宅。今、ほとんど見えないんだけど」
 私の言葉に振り返った三宅は、身体を震わせた。何だ、と思った瞬間、私の目付きか、と納得する。
「眼鏡かけると、目が悪くなったりする?」
「……多分、合わない眼鏡をかけてたからだと思うよ。それに、疲れると視力が落ちる人もいるみたいだし」
 なるほど、と嘆息する。今が絶不調なだけで、少し休めば治るか、と考えているとつまづいた。
「わっ!」
 私の声に反応して、咄嗟に三宅が支えてくれた。
「平気?」
「……ごめん。危なっかしくて」
 別に、と妙に歯切れの悪い物言いをするので、三宅の顔を見ると、赤くなっていた。
「三宅こそ、平気?」
「うん、大丈夫。というか、見つめないで」
 私の目付きが悪かったということなんだろう。もはや、そんなことでは傷付かなくなった。
「危ないから、手、出して」
「ああ、助かるよ」
 と言って、掴んだ三宅の手は熱かった。ん? と私は思う。顔も赤いし、少し元気がないようにも見える。
「三宅、風邪?」
「え?」
「身体、やけに熱いけど」
 すると、三宅が振り向いた。恐らく。
「どうかした?」
 今度は、溜め息を吐く。
「ぼくの顔、見えてる?」
「いや、まったく」
「……倉木さん、コンタクトにしたら? そうしたら、今日みたいなこともなくなると思うよ」
 何だ、やけに棘のある言い方だ。
「何、どういう意味?」
 つい反抗してしまう。
「どういう意味もないよ。そのままの意味」
「眼鏡、似合ってないってこと? それなら、そんな遠まわしな言い方しないで、はっきり言ったら?」
「そうじゃないよ……!」
 三宅がはっとした。
「なら、何なの?」
 もう散々だ。目が悪くなったせいで、ヤベーやつだとか思われて、眼鏡も似合ってなくて、しかも、体調悪くして、授業にも出られない。三宅だって、隣の席なのに、こんなバカみたいなことで喧嘩したら、居づらくなるじゃないか。全部、視力が落ちたせいだ。
「倉木さん」
 三宅が私の肩を掴んだ。
「な、何」
「……倉木さんの悪い目付きが好きなんだよ」

 眼鏡を直すついでに、コンタクトレンズも試してみることにした。目の中に入れるのは怖かったけど、一度やってしまえば、案外慣れた。今度は、これを付けたまま、寝ないように覚えておかないといけないらしい。結局、問題は解決していない。
「おはよう、三宅」
 こちらを向いた三宅が驚いた顔をする。そして、ぼーっとしたままでいるので、もう一度、
「おはよう!」
 と声をかけると、彼は私を見て笑った。
「似合ってるよ、倉木さん」
 ちょっと不機嫌な顔してみせてよ、という声は無視した。

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