シェア
酒井政秋
2016年7月30日 11:40
福島の表面上の明るい復興の陰で不安で夜も眠れなく過ごす人たちがいるのを貴方は知っているでしょうか?2011年3月に撒き散らされた大量の放射性物質。直接的な謝罪もないままに6年目の夏が来る。
2016年7月28日 20:18
最近、以前お話をさせて頂いた村民の声を思い出す。ひとつひとつが大切な声であった。
2016年7月28日 17:47
2011年3月11日、私が住んでいた飯舘村に放射性物質という絶望が降り注いだ。 その時は「生活地帯が放射性物質により汚染され、初期被ばくを浴びた。そして住んでいた土地を離れざるを得ない避難。」 形の見える絶望だった。
2016年7月28日 17:44
2016年3月23日、飯舘村が帰還困難区域以外の区域を2017年3月末日で避難区域解除、2018年には小中学校を村内で再開することを公表した。それは住民に何の説明もないままでの突然の報道であった。
2016年7月28日 17:40
また3月11日がやってくる。あの日、たくさんの命が津波や地震によって犠牲になった。そして、その後の原発事故によって、避難先で多くの命が犠牲になっている。