滑り台で正座❌ローラー滑り台

私は子供の頃から人の100倍活発で、とにかく走り回るのが大好きだった。

スポーツも好きだし、友達との鬼ごっこ(&木の上だけ鬼ごっこ:地面に足が着いたら負けだけど、木から木へ移るのはOK)や探検、虫取りも大好きだった。そのためか、打ち身だらけ、擦り傷だらけが当たり前の子供時代を過ごした。(大体の傷は、気がついたらいつの間にかできていたといった感じ。)

滑り台で正座

3歳前後の記憶なので、あちこちが朧げ(おぼろげ)。

近くの大きなショッピングセンター的な場所には、中に遊具がある遊び場があった。この遊び場は他の子供も多く、とっても楽しい「公園」のようなお気に入りの遊び場だった。

そこの金属の滑り台で滑っていた時、何を思ってか、膝を折り曲げて正座で滑ることを思いついてしまった。

その時着ていたのは、短パンかスカート。

もう、次に何が起きるか分かった読者さんも多いのではないだろうか?

そう。当然、剥き出しの膝小僧は、両方とも滑り台との摩擦で擦りむけてしまった。

多分、泣いたんじゃないかな? (私が泣くと、父は泣くなと言った。6歳頃にはほとんど泣かなくなったが、3歳はまだたまに泣いたこともある。)((コメント:泣けるって、自分の状況と感情を直視して表現できる、人として大切な行動表現なので、泣けなくならないのは大切よ。))

お父さんのところに行き、肩車か抱っこをねだったのだろう。

一回は断られてしまった。

以前の肩車してもらっていた時期よりも私が大きくなってきたから、肩車はもうできないと言われてしまったことがある。(この時か他のことあるごとに肩車をお願いした時かは正確には覚えていない。)
いずれにせよ、これは抱っこしかしてもらえなくなった年齢くらいだったと思う。
(引っ越した時期と大体同じ時期なので、肩車は父じゃなく母になったのはこの辺、父は私を持つならば抱っことなったのはこのくらいの時期だった。そして、3歳くらいの時に父に自分で帰宅も自分の足で歩けるようにペース配分をするように言われたことがあった。足が悪いから抱っこはできないと言いつつ、私が冷静に色々理由を説明して説得すれば、最終的には短時間抱っこしてくれた。もう無理と途中で下されることも多かった。学年で一番短身の私がいつも走るのが速かったのは、幼少期からそこまで抱っこに頼らずに、自分の脚で歩くよう言われることが多かったこともあるかもしれない。最後の文は憶測。)

父に片腕で抱かれているのは覚えている。

私が何を言ったか覚えていないが、父はワンセンテンス「じゃぁ、もうやるな(then don‘t do it again)」とだけ言ったんじゃなかったかな?

苦笑

まぁ、どこもきっとそんなものだろう。

田舎でよく聞いた「唾を付けておけば治る」に似ているのだろう。

よく自然科学館に行っていたので、この日の出来事のおかげで、摩擦を心底理解したのはまだ3歳前後のこの時期だった🤣 この日からそう遠くない日に自然科学館で遊びを通して摩擦という言葉を知った。この時、この滑り台での出来事が「摩擦が原因だったのか!」と大きな発見と納得をした記憶は今でも新しい。(母が遊びながら、現象をいつも補足説明してくれていた。詰め込みとかされず、そもそも勉強せずにただ楽しく遊んでるだけで、色々楽しく知れた。子供はお母さんと一緒に遊ぶのが大好きだ。遊ぶこと自体大好き。そして、好奇心を満たすことも大好き。これら全てを目一杯充実させながら、第二の家のように入り浸って遊んでいる自然科学館の様々な遊び道具(体験・学習道具?)に母を連れ回して、一緒に遊ぶのはとっても楽しかった。友達も一緒に連れて来て遊ぶこともあった。)

なんか、ただの記憶の短いエピソードというのもなんだから、滑り台での楽しいエピソードを一つ。

ローラー滑り台

家から大分車を山方面に走らせた所に、斜面を活かした、とってもとーっても長いローラー滑り台があった。

初めての時こそ、お母さんの膝の上か股の間に乗せられて、一緒に長い長い曲がりくねったその山の斜面を右に左に大きく蛇のように横断するように聳える(そびえる)滑り台を一緒に滑った。

しかし、私は永遠と「もう一回」と何回滑っても、飽きることなくめちゃくちゃ楽しみながらその巨大ローラー滑り台を滑っていた。もしかすると、日が暮れるまで、壊れた無限ループ再生のように、何度も何度もそのローラー滑り台を滑った。

普通の滑り台と違う、体の下のローラーの感触も好きだったし、距離が長くて曲がりくねっているのも楽しかった。加えて、やっぱり長い滑り台はスピードが出る😊 滑り台の面を金属ではなくて、ローラーを使用することで、スピードを抑えつつ、落下事故も予防していたのかもしれない。とはいえ、子供にとってはハイスピードで、めちゃくちゃ楽しい滑り台😍

この日何度滑っても、まだ滑り足りない😅 もう少し年齢が上がって、取り壊しになるまで、何度も何度も母の運転でこの公園に連れてきてもらった。

この思い出の公園の名前も、巨大ローラー滑り台以外の遊具のことも、実はあんまり覚えていない。

ただ、本当に世界最高のローラー滑り台だった。自然を活かして、共存する作りも良いよね〜😄

(余談だが、金属のように摩擦の生じないローラー滑り台では、正座で滑っても膝が剥けることは無いよ〜)

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