【素敵な出会い】生きてていいんだ。自分がいる意味もあるのかも。

今日病院で「カッコいい車椅子ね」と声をかけてくれた女性がいた。

私「え? そうですか? 嬉しいです。」

こう答えた私は、声をかけて嬉しいと思いつつ、乳腺外科で医師に言われた「車椅子カッコいいね」を思い出して、もしかしたらただのお世辞じゃなかったなんてことあるのかな? と考えていた。

この女性、以後ブルーさんと呼ぼう。理由は後述するが、決して気持ちがブルーという意味ではない。むしろはつらつとした明るくて前向きな方。

ブルーさん「私車椅子でキュッと回れるようになったの。それを家族に伝えたら、なんて言われたと思う?」

私「え、なんて言われたんですか?」

ブルーさん「そんなことしてないで、早く退院してくださいだって。」

これで話にスッと引き込まれた。(ウケるゾ)

同時に、仰天しながら共感もした。患者が前向きに達成感を感じて楽しめることを見つけたのに、そんな言い方...... でも、早く退院して欲しいのは当然だよな。個室だったのかな? 個室代高いよなぁ......

彼女はこうも続けた「うん。凄くかっこいいわ。カッコいい車椅子を華麗に運転している姿を見て元気をもらえる。私もそうだし、きっと沢山いると思うわ。これからも颯爽と車椅子を運転してね。」

この瞬間、自分にも生きている意味があるのかもしれないと思えた。

純粋にとても嬉しい気持ちになった。

彼女は続けた。「私ね、車椅子をキュッとその場で回転できるようになったの。最初は腕の力もないし、全然押せなかったの。でも、ほら。動けないとトイレに行くにもピロリンて(ナースコール)鳴らさないといけないでしょ。だから、私頑張って練習したの。」

私は相槌を打っただけだったけれど、自分がリハビリしていた時のことを思いながら、トイレの時に緊急事態じゃないのにナースコール押すのハードル高くてかなりの葛藤があったことを思い出しながら深く共感していた。

「ほら、今コロナで〇〇も行けないないし、面会も禁止だし。でも、自分で楽しみ見つけないとね。だから、私車椅子の練習したのよ。」

私は大きく頷きながら言う「楽しみ見つけるのって大切ですよね。」

言葉での短文以上に強く共感していた。様々な思いや記憶が相まって、言葉以上に深く共感し、ちょっとしみじみとしていた。

「ほら、家族も本人が生き生きしていた方が、気持ちも明るくなるじゃない?」

「ほら、オデコに“い・た・い”って書いてあるわけじゃないじゃない? だから、私達の態度で雰囲気変えられるじゃない。どよんとしてても何もならないから、こっちが積極的に楽しいこと見つけて楽しまないと。」

私の服を見て、「綺麗なブルーのジャケット💕私青が大好きなの。だから帽子もシャツもブルーなの。」

とっても綺麗な色で素敵だわ。素敵だと思って、つい声をかけてしまったの。」

私「いえ、むしろ声をかけてくれてありがとうございます。私の方こそ元気出ました。」(ちゃんと伝えたつもりだったけど、どういう言葉で言ったっけ?キレイな帽子だと言いたかったのに、当てつけっぽい言い方になるのが嫌で言葉を飲み込んだ。こういう時は言おう!)

ブルーさん「お互い大変だけど、頑張りましょうね。」


私「お互いにこれからも頑張りましょう😊」

不織布マスクも淡いブルーの彼女は、私にありったけのエネルギーを注入してくれた。

こういう、思いがけない出会いにも人って救われますよね。

皆んな潜在的には繋がりを求めてますよね、きっと。特に病院の中では患者同士特に繋がりを求めてると思う。

お互い待ち時間中に軽く会釈をして、お互いが微笑んだところから生まれた短時間の会話だ。それでも、私は元気も勇気ももらえたし、救われもした。

たまには周囲を見回しながら歩いたり、待ったりするのもとてもいいことだと思う。

スマホ時代には、確かにスマホさえあれば退屈はしない。いつでもどこでも効率的に何かできる。

でも、ふとした瞬間に生まれる出会いや絆を断ち切ってしまっている気もする。(ネットやアプリから生まれる出会いもあるのも事実)

たまには、携帯を手放すことも人として生きるためには必要不可欠なのかもしれない。

今を大切に生きよう。

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