「京の都に時を越えて」第2話〘ニセ札と本物〙
まさか、またいたりしないよね。あの美貌のおかしなオノコは。そんな2回も同じ場所で、会うわけないし。
京都特有の熱気に、路も蒸される6月の午後。
昨日と同じように上七軒に向かって、紬は北区の道を歩いていた。
「あっ、キミ待ってたよ!」
思いがけない場所、上七軒にまだ踏み込んでいない平野で、その明るい声が飛んできた。
振り向いた紬に、奏向は手をふってくる。
昨日アイスとカップ麺を買ったコンビニ前で。
「えーと、私、別の店に……」
奏向は紬の袖を引っ張る。
「ちょっと待って。この世界での食べ物の買い方がわかんないんだ。教えてくれないかな?」
「何言ってんですか。あなた、ふつーにここの人なんでしょ?」
「うちの世界、お金が全部デジタルなっててね。15年前の年月日で請求残るのもまずいし」
「ええー……またおかしな設定を」
「だからお札ってヤツ作ってきたんだ。コレで買えるんだよね?」
奏向は、札を紬の目の前に出した。それは見慣れた札に見えるが……。
「作って……きた?」
紬は悲鳴をあげそうになった。
「ダメダメ! それ、ニセ札だから捕まる!」
奏向は首をかしげる。
「つかまる? なんで?」
「ちょっと天然もいい加減にしてくださいよ!」
「ヘンなの。これ本物なのに」
「一般人の造るお金を、本物とは言わないです」
「完コピで作ってきたんだよ?」
はあー。紬の口から、露骨なくらいのため息が出た。
「頭おかしくなりそう。他の人あたってもらえますか」
切れ長の目が、紬を見た。
「いーや。キミでないとダメなんだ」
「え?」
紬は不覚にもときめいた。
やっぱりこのひと、私のこと知ってるのかな。いや、怪しすぎる。
「なんでまた、私でないとダメなんですか?」
「ん?」
奏向の顔に、動揺が表れた。
マイナスとプラスが同時に混ざるような、不思議な視線。
一瞬間をおいて、ごまかすように言ってきた。
「あ! オレふつうの買い食いより、学校帰りの買い食いしたかったんだ。今から大学連れてって!」
「は!? 私いま授業終わって帰ってきたのに!」
「オレ一回、キャンパスって入ってみたかったんだよね」
「べつにキャンパスって誰でも入れますよ……。あなたハタチくらいに見えるから自然だし、ひとりで全然大丈夫」
それを聞いた奏向は、明らかに落ち込んだ。
「一緒に行きたいのに」
紬は頭をひねる。なんなんだろうこれは。なんでそんな私にこだわる?
「あとハタチでなくて18だし」
「その2才差、わりとどーでもいいですよね……」
18歳、同い年か。
「授業っていうもの、一緒受けてみたいなぁ」
子犬のようなまなざしで、紬をちらっと見てくる。
ああ、今日3時限目で終わったのに……。
「おおーこれがキャンパス! たのしみ!」
結局紬は5時限目、大講義室の扉前に、おかしな男子をつれて来ることになってしまった。
「教室ではそんな大声出さないで下さいよ。とくに途中から潜り込むんだから騒がないで」
「はーい」
ついに、このひとのペースに巻き込まれてしまった。取ってもいない授業を受けるハメに……。
広い講義室に、中年教授の声が淡々と響く。
「で、我々物理学者は、時間を移動するということについて様々な研究をしてきたわけです」
授業は、物理学の聞いたことのない科目だった。
文学部の紬にはさっぱりだったが、なんとなくSFな内容にも思えた。
「この宇宙にある物体は、時間や空間を円を描くように動いていますが、最終的には、それまで描いてきた過去のある地点に到達することができ、時空を移動することは学問上可能です。が、この時間的閉曲線に頼らずに時空移動する理論を考えてみると…」
時空を移動することは学問上可能、とか言ってる?
まあ、どうせ学問上、よね。
紬はそれなりに聞きながら、聞き流す。
そのとき、となりに座っている奏向が、座席の後ろに伸びをしながら突然小声でつぶやいた。
「あーつまんない。思ってたのとちがーう」
ええーこいつ……せっかくわざわざ戻って大学連れてきてやったのに。
紬はしかめた顔で奏向を見た。
「うーん。授業ってタイクツ。さっさと買い食い行こっか」
半あくびをしながら、奏向は紬に笑いかける。
なんてマイペースなんだ。
紬はあきれた。
「あれ、紬?」
奏向をつれて大講義室を出た時、サークルの友人秋実に話しかけられた。
そういえば秋実は、理系の学部だったな。
秋実は紬に耳打ちした。
(ずいぶんイケだね)
(でも、マズいんだこのひと)
(え? 知り合いなんでしょ?)
(なんというか……素性見極めてから報告するよ)
(……なんか大変そうだね)
(とてもね……)
「さ、帰ろう」
紬が振り向いた時、大講義室に遅れて入っていく秋実の後ろ姿を、奏向がじっと見ていた。
なんだろうこの表情? 秋実は背が高くて割と整った顔だけど、ひとめぼれって感じじゃないな。
そういう恋愛感じゃない、なんだか、懐かしそう?
講義室の扉が閉まると、奏向は顔を紬に戻した。「きみの名前、つむぎって言うんだね」
「!」
「何その、名前知られちゃった、みたいな顔」
「いや、不覚」
「ひどいなーそれ」
奏向は楽しそうに笑った。
ポプラの樹が青々と続く道。二人で大学のなかを歩く。
「学校での友だちの作り方って、どうやるの?」
「え、同じゼミとかサークルとか、そういう集まりでですよ」
「ゼミ? サークルはわかるけど。さっきの女の人とは?」
「秋実? 私の入ってるサークルで」
「へえ、サークル入ってるんだ?」
「入ってますよ。『京の食サークル』っていうのに」
「ふだんコンビニばかりなのに、食に興味あるの?」
「ええ……ひどいですね。まあ、たしかに、皆でご飯食べに行くだけのサークルだけど」
校舎の間を通り抜け、門が近づいてくる。
そういえばさっき会った時任秋実も、高校生で京都に引っ越してきたから、京都弁は話せないんだっけ。
家が京都でも、そういうひともいるか……。
彼が標準語設定でも、ウソついてるとは限らない。他の話もあまりにも荒唐無稽なのだけれど、どうも自然に聞こえてしまう。
それは美男子だからひいきめになるだけで、自分の直感でもなんでもないんだろうか?
「オレ怪しいよね、キミから見たら」
「それはもう……」
今思ったことと真逆、の苦笑を紬は作ってみせた。
石畳から、アスファルトの道に変わる。
カフェ、カレー屋、古本屋、虎の巻販売店。両脇に学生御用達店がずらりと並ぶ。
あれ、つきおうてるんかな?
いや、女地味すぎやろ。
向かいから歩いてくる女子大生たちの、品定めのつぶやき。紬は思わず、うつむく。
「でもその怪しいオレに、こうして付き合ってくれるんだ?」
鈍い奏向も、さすがに自分たちのことだとわかったらしい。かばうような微笑みが、向けられている。
つきあってるとか言ってるで?
うそや。あ、うちらの聞こえたんかな。
なにがええんやろな、あんなん……。
不穏な声が、遠ざかっていく。
「……私は地味だけど、あ、いえ。放課後の食べ歩き、くらい叶えてあげてもいいですよ」
「ありがとう! おごってあげるね」
「いや、そんなニセ札でおごられたくないです」
「えー、ニセじゃないのに」
「ホントそんなヤバいものは捨ててもらって。アイスくらいならおごりますよ」
「うーん。紬におごりたいんだけどな」
奏向は、本気で残念そうな顔をしている。
やっぱり、なんだか憎めないんだけどね……このひと。
男子学生たちが開けた食堂の扉から、少し早い夕ご飯の香りが漂ってくる。
紬の御用達コンビニで、おすすめしたチョコアイス。
西大路通りでそれを開けようとした奏向を止め、小路まで引っ張ってきた。
「大通りではさすがにやめよ!」
「うん? そうなの?」
「あと、平野神社や天満宮の周りでもちょっとね」
「ああ、不謹慎かー」
ひやひやしながら結局上七軒で、やっと開封を許すことにした。
「わー、学校帰りの買い食い、だ」
「良かったですね」
このひとほんと嬉しそうだな……。
紬もバニラアイスの袋を開く。
ま、今日は共犯者がいるから、恥ずかしくないか。
アイスは口のなかをひんやり潤す。
「ん?」
アイスにかぶりついた奏向の顔が曇った。
「これ、甘すぎ!」
ちょっとコイツ、授業に続きまたしても……。
紬のこめかみにピクと筋が入る。
「おごられてるのに随分ですね……こういうときは、ウソでも美味しいって言わないと」
「ん? ウソは言えないよオレ」
「いや、こういうときは、ホワイトライって言ってね、相手が気を悪くしないように」
「よほどのことじゃなきゃ、ウソ言うのやだ」
この性格、ほんとに不登校児でもおかしくなかったかもな。
6時も過ぎ、まだ太陽は傾きかけているところだが、奏向と一緒でなければ、バスで帰ってきている時間帯だ。
そう思った自分の頭に、紬は驚く。
え? このひとが一番あやしいんじゃなかったっけ?
たしかに、暗く潜んだものは彼からは感じられないけど、にしても、昨日あんなに警戒してたのに。
「ま。正直味は甘すぎるけど、キャンパス帰りの買い食いっていいよね」
「大学生はどっちかというと、ファミレスやカフェとか行きますけどね」
「そうなんだ。でも紬はひとりで買い食いしてたじゃん」
紬はアイスを吹きそうになって、手で押さえた。
「ああ、ダイレクトに言わないで……。だって昨日もここ人通り少なかったし」
「女子大生がひとりで買い食い、っていうのは、気恥ずかしいツボなんだ?」
「あーもう。今日はふたりだからいいでしょう、そういうことにしといて下さい」
「うん。オレは全然気にしない」
和菓子店、和風旅館、和食のお店、京都らしい小路の坂をふたりで歩く。今日は着物をきた女性とすれ違っても、気にならない。
なんだかんだいって、奏向は紬より先にアイスを全完食した。
「ほんとは美味しいんじゃないですか?」
にんまりして紬が聞くと、奏向は首を横にふる。
「甘すぎるけど、紬におごってもらったから残したくなかった」
「……」
失礼さもストレートだけど、こういう言葉もストレートなんだったら、SFのメンズも悪くないな。
頬が上気しているのを、紬は自分でわかっていた。
朱の日差しが、石畳を照らしている。
「奏向……さんの世界で、奏向さんはどこに住んでるんですか?」
「ん? いろんな土地で仕事してる。でも実家は京都だよ」
「じゃあやっぱり、未来の世界ってやつですか」
「うん。ここより15年後」
相変わらずイタさ満点だが、それにすこしずつ慣れてしまってきている自分が、紬は怖い。
今日、バスで、違うルートで帰らなかった自分は、ほんとはまた、このひとに会おうとしてたのかもしれない。
どうしても悪いひとには思えない、確かめたい。そんな気持ちが、心の中にきっとある。
「京都の、どこに住んでるんですか?」
その質問を聞いた目は、輝いてきた。
「オレに興味出てきたかな?」
「いや、その」
「実家は西陣だよ」
「ふうん……」
彼も、このあたりに住んでたのか。
「でもごめんね、今は、家につれてってあげられない」
「えっ、何言ってんですか、そんな意味じゃ」
あせっている紬を見ながら、奏向は微笑んだ。
日が傾きはじめていた。上七軒の坂を下りきる手前で、奏向は足を止めた。
「ここで、お別れ」
「え?」
こんな中途半端な道で? 交差点まだ先なのに? 西陣に行くんじゃないの?
「あまり大きな通りに出ると目立つから」
「目立つ?」
「アイス甘すぎたけど、一緒食べれてうれしかったよ。放課後の食べ歩きの夢、かなえてくれてありがとね」
奏向は笑顔で、小さく手をふった。
そして、そのまま消えた。
「は……?」
消えた…………?
足元に、残りひとくちのアイスが、ぽとっと落ちた。
紬の口は、丸の形に開いていた。
こいつ、本物、だった……。
第三話へ
【各話へのリンク】
第1話
第2話
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第3話
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第4話
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第5話
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第6話
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第7話
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第8話
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第9話
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第10話
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第11話
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第12話
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最終話
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