「京の都に時を越えて」最終話〘時の彼方〙
あわい桃色の着物、すがすがしい紺色袴。
卒業式の講堂。
無事、この日を迎えることが出来た……。
乗り越えたんだ、大学4回生で自殺するいまわしい運命を。
黒い筒を、しっかり両手で握る。
秋実の兄の車で、時任家に着いた。
「わあー、きれい!」
奏向は、輝く瞳で紬を見上げている。
「かなたくん、一緒写真とろっか」
「うん!」
この着物と袴。3年前君が、私に贈ってくれたんだよ?
いまはまだ6歳の奏向と自分にインカメラを向けながら、心の中でつぶやく。
奏向手製の着物と袴から、奏向手製の部屋着に着換えた。
ベッドに座りながら、ふうと息を吐く。
ひとやすみしながら、スマホで撮った画像を見た。
卒業生の仲間どうし撮った写真。袴の紬と小さな奏向の写真。保存の星マークをつける。
夕方からは、西陣の小料理屋でゼミの友達と打ち上げ。
その後、四条河原町に向かい、京の食サークルのメンバーで打ち上げ。
二次会の木屋町、三次会の先斗町にも繰り出した。
バスの最終には、もともと間に合わないつもりでいた。西陣へ向かうタクシーに、秋実とあいのりしている。
「4年間、楽しかったな」
紬のつぶやきに、アルコールの抜けない目で秋実はうなずく。
「ほんとにー。紬が実家帰んなくてよかったよぉー。かなたなんか、あばれてわめきそうー」
酒くさい息でからんでくる。
「ああ、かなたくんストレートだもんね」
酔っぱらいの肩を、紬は笑顔で叩いた。
とろんとした顔で、秋実がのぞきこんでくる。
「なんかーつむぎとかなた仲がよすぎてー? かなたに会いに来てるんじゃないかーってくらいにー」
一瞬否定できない自分に、紬は苦笑いした。
「大丈夫。ちゃんと秋実にも、会いにいってるから」
「あはは。にも、ってなんだよーおこるよぉー」
焼肉臭のついた髪の毛を、紬の横顔に押し付けてくる。
深夜のネオンが、タクシーのそばを白く走り抜けていく。
わたしがこれからも住む、京の都。
となりの人が眠ってしまったそばで、窓から街をながめつづける。静かな充足。
寝息をたてている秋実に、問いかけてみる。
「かなたくんが将来、私とつきあったらどうする?」
運転手がちらりと紬を見た目が、ミラーに映った。
眠っているとわかっている友達に聞いた言葉は、他人から見ても意味深なんだろう。
「むぐ……ゆば……」
意味のない寝言に、思わずくすっと笑う。
大学のはじめ紬と一緒いた彼って、かなたに似てる!
きっともう、数年で気づくんだろうな。奏向が成長してくほど。
叔母のきみは嫌かな。こんな年上の恋人なんて。
でもね、君の甥であっても、私がうんと年上でも、奏向は奏向なんだ。
病気になってすさんで、周りに嫌われて、なにもかもうまくいかなくなって自殺。
そんな終わりになるはずだった私を、助けてくれたひと。
彼を見守れない土地に、戻るわけがない。
先に着いた時任家の前。
寝ぼけている秋実を起こす。呆けて多く出している千円札を、財布に戻してやる。
「紬もぉうち泊まってけばぁー?」
「今日は帰るよ。どのみちこれから、あきれるほど末永く、遊びにくるんだから」
うん? そうそう、あきれるほどね? すえながーく、ねー。
親友であって、大事なひとの叔母が、見慣れた玄関に千鳥足で入っていく。甥っ子に似た長身の背中で。
着物のショールームの前に、タクシーを止めた。降りて、紬は春の夜の息を吸う。
これからもここに住める。
この店内で、つむぎの着物を自分にかけてくれた時の奏向のまなざし。今でも、はっきりと思いだせる。
ほろ酔いが心地よく残る足取りで、階段をのぼった。
部屋の前に来ると、扉の新聞受けに何かがはさまっているのが見える。
「!」
郵便は普段、玄関ポストにしか来ない。わざわざここに持ってくるのは……
『時任奏向』
封筒の裏に、おおらかな文字で書いてあった。
表には、衣谷紬様、と。着物柄のような透かし模様の入った封筒。
とるもとりあえず急いで部屋に入り、それを開けた。
『君の人生の節目だから、あえて手紙風に宛名を書いてみました。
紬、大学卒業おめでとう。ファッション業界に就職、おめでとう。
君が頑張って生きてくれたおかげで、運命は変わった。
今オレは君と恋人どうしになってる。ソウルメイトと一緒いられて、すごく幸せです。ありがとう。
これからも永遠によろしく』
便せんと一緒に、写真が入っていた。
上七軒。
三十代前半に見える紬と二十歳前後に見える奏向が、楽しそうに腕を組んで石畳を歩いている。
「ここは景観保存地区だから、ほとんど変わらない」
「良かった、わたしこの町好きだから」
「オレも、レトロな京都が残ってて嬉しいよ」
なつかしい会話がふと、よみがえる。
奏向の言うとおり。
二人が出会った町上七軒は、ほぼ変わっていなかった。
写真の中の紬が着ているのは、奏向からもらった未来の流行服のうちの一枚。
少し色褪せたその服は、それが長年大事に着られてきたことを物語っている。
奏向の胸元に下がっているのは、紬貼りの小さな長方形。
少し色褪せたその紺は、それが長年大事に首に掛けられていたことを物語っている。
未来の鮮やかな解像度。輝く二人の笑顔。
紬はそれを、白い棚の上に立てかけた。
飾られている数々の思い出、その写真達がいつか辿り着くゴールの姿が、そこに加わった。
各話へのリンク
第1話
https://note.com/lunestella/n/n1f60997fcaa8?sub_rt=share_b
第2話
https://note.com/lunestella/n/n841da540e8fd
第3話
https://note.com/lunestella/n/n4fb09b3362c0
第4話
https://note.com/lunestella/n/n2277f6441660
第5話
https://note.com/lunestella/n/n7b2b9357729e
第6話
https://note.com/lunestella/n/n81a14635fb7d
第7話
https://note.com/lunestella/n/n3485ce817629
第8話
https://note.com/lunestella/n/n2fa77397bbc0
第9話
https://note.com/lunestella/n/ncd737b2f5f41
第10話
https://note.com/lunestella/n/nb2a9e6c494b7
第11話
https://note.com/lunestella/n/n9f674af2e08f
第12話
https://note.com/lunestella/n/n4b7fe04557f5
最終話
https://note.com/lunestella/n/n6d81eee4e6eb
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