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「京の都に時を越えて」第12話〘奏向と一緒〙

 晴れた七月の朝。
 紬は、西陣の小路を歩く。かすかに聴こえてくる、はた織りの音。

 もうすぐ七夕か……。

 木目の壁。時任家のインターホンを、ゆっくり押す。

「いらっしゃい」
 秋実の兄が、玄関を開けてくれた。
「こんにちは」
「秋実まだ仕度してるから、リビングでくつろいでて……おっと!」
 笑顔の奏向が、父親の足元にパタパタ走ってきた。いつも、紬の声を聞きつけるなり駆けつけてくる。
「つむぎちゃん、おはよ!」
「おはよー。かなたくん元気だった?」
「うん! 元気!」

 履き慣れた来客スリッパで、リビングに足を踏み入れる。
 紬がソファに座ると、小さな体も飛び乗りながらそばに座った。
 しっとりとしたベージュの革張り。

 脳裏に、14年後であって半年前の、切ない記憶がよみがえってくる。
 今となりに座っているのは、14年前のあどけない彼。

「あ! きょうのつむぎちゃんのふく、かわいい!」
「えっ、服?」
「こんいろとみずいろとしろ、きれい」
「すごいねーもう服のことわかるんだ」
 奏向は、満面の笑みで紬を見上げる。紬の目尻も、思わずゆるむ。

 突然、ゆりかごの中の赤子が大泣きしはじめた。
「あーあ。玲香ぐずりはじめた」
 奏向の父が、リビングにあやしに来る。

 妹がブラコンなのも、この頃から変わらないのかな。さすがに乳児なら気のせいか?

「おまたせー。さ、行こっか」
 秋実がリビングの扉を開ける。その時、奏向が突然言った。
「ぼくも!」
「え? かなたくんも行くの? どこに行くか知ってるの?」
 紬がそう聞くと、奏向は首をかしげた。
「ん? どこいくかわかんないけど、ぼくもいく」
「神社に行くんだよ、かなたにはつまんないよ?」
 秋実は止めようとしたが、奏向は行くと言ってきかない。

「まあ、紬ちゃんに迷惑かけないように、秋実が見張ってれば大丈夫だろ」
 秋実の兄つまり奏向の父は、OKを出した。
「しょうがないなぁ」
「いいじゃない、かなたくんこんなに行きたがってるんだし」
 すでに玄関でくつをはいた奏向は、足踏みしながら待っている。
 ヒートアップする玲香の大泣きに見送られながら、玄関を出た。

 紬と秋実が左右から、奏向と手をつなぐ。三人で歩く今出川通り。

 私と秋実は七夕の短冊を書きに行く。
 去年奏向と二人で行った晴明神社に。また小さな彼とこうして訪れるなんて、不思議だな。

 信号待ちで、秋実がじっと服を見てくる。
「紬、最近おしゃれになったよね」
「そう?」
 そういえば私、自分が地味だなんてこと気にしないで、いろんな服を着るようになった。
 奏向作の服は、何に合わせてもサマになる。自分が新しく買ったアウターにも。
「そうそう、つむぎちゃんおしゃれー」
「かなたには服なんてわかんないでしょ」
「実は秋実より先に、ほめてくれてたんだよ」
「ええーそうなの? 私の服には何も言わないくせに!」
「あきみちゃんのふく、ふつうだもん」
「ほんとストレートだなーこの甥っ子は」
 秋実は苦笑いし、紬は遠慮せず笑った。

 まあ、たしかに秋実の服のチョイスは平凡だ。そこは叔母と甥、全然似てない。
 奏向って、子供の頃から服のセンスあるんだな。
 一緒、同じ空間でいつか仕事を……。

「わー、すごいねー」
 星マークの付いた神社の鳥居から見える笹に、奏向は目を輝かせている。
「この紙にお願いごと書いて飾るとかなうんだよ、かなたくん」
「ふーん」
「あ、まだ字は書けないかな?」
「かけるもん」
 小さな手が、笹のなかの星型の短冊を指さした。
「ぼく、あのおほしさまにおねがいかく」

 一年前、奏向が星形の短冊に、
《紬が丈夫な体になりますように》と書いてくれたことを、紬は思い出す。

 奏向は机の上になんとか届く手で、字を書いている。紬はその手元をちらっと見た。

《つむぎちゃんとずっといっしょいられますように》

 紬は去年、ここで書いて奏向には隠した、一年前の自分の短冊を思い出す。

《奏向くんとずっと一緒いられますように》

 ……やっぱり、ソウルメイトなのかな。

 去年の私の願いもかなってるはず。
 こうして小さな奏向と、一緒にいられる。
 去年のあのひとの願いもかなってるはず。
 私の心身は安定している。
 十四年後だろうが何年後だろうが、またきっと再会できる。 

 短冊に書いた、今年の願いごと。

《大事な人とずっと一緒いられますように》

 その名前を書けなかったのは、秋実に見られると困るから。
 紬にとっては、去年の短冊とまったく同じ言葉だった。

  大学2回生のあいだ、紬の料理の腕は、ほぼ0の状態から飛躍的に上がった。

「おいしー!」
 持っていったケーキを、奏向が口いっぱいにほおばる。

「紬うまいじゃん」
「うちの嫁より上手、ここだけの話」
「その嫁にしっかり聞こえてますけど。いやほんと美味しいよね、あ、もう玲香また泣き始めた」

 青年の奏向と会えなくなってから、紬は時任家にひんぱんに出入りしていた。
 秋実とは当然気が合う、兄夫婦も優しい、何より、

「つむぎちゃんまたつくってきて!」
「コラ、かなた、図々しいぞ」
「いいんですよお兄さん、また持ってきますね」
「やったぁ!」
 両腕をあげて喜ぶ奏向。
 その無邪気な笑顔を、見ていたかった。

 もしフードプロダクターが壊れても、手作りしていこう。そう紬は心に誓っている。


 単位もおおむね取れ、時間が出来てきた大学3回生から、紬は服のショップでバイトを始めた。
 日に日に、おしゃれだと誉められることが増えていった。

「衣谷さん、ほんま接客うまいわ」
 数着買っていったお客の背中を見ながら、店長が満足そうににんまりしている。
「いえ、そんな」
「よう働いてくれてはるし、来月から時給あげとくな」
「ありがとうございます!」

 ファッションと自分が、日に日に親しくなっている気がする。
 将来は服の仕事へ、そしていつかは、デザインを……。

 ショッピングモールの廊下。
 クリスマスツリーの電飾が、かわるがわる赤や黄色に光っている。

「これのサイズ違い、ある?」

 一人で店番していた夕方。服をたたんでいた紬の背後から、少し生意気な女子の声がした。紬は笑顔で振り向く。

「あ……」

 玲香が立っていた。
 蛍光黄緑のダウンコート、淡いゴールドのパンツ。あいかわらずラメのアイメイクをしている。
「兄に頼まれたんで」
 少しだけすねた表情をしている。

 思いがけない訪問者に、紬は食いついた。
「奏向君は変わらない? まさか捕まったりしてないよね?」
「捕まってないけど、2年の監視付きになってる」
 ああ……。誕生日のあと……。やっぱり私、ムリさせてしまったんだきっと。

「ま、元気だよ兄は。来年監視無くなるし」
「そうなんだ……良かった」 
「でもまた食らうわけにいかないからね」
 ほとんど過去に来てない私が、様子見頼まれたってわけ。
 そう玲香は付け足し、店を見渡した。
「ふーん。レトロだけどいい店じゃん。もしかして、兄と同じ方面に行きたいとか?」
「奏向君から、聞いてない?」
「あんたの将来なんて興味ないし」
「私の未来、機械で見てたくせに」
「ふん。覚えてたか」
 玲香はにやりと笑った。

「これ」
 細長い腕が、持っていた袋を差し出してくる。
「私に?」
「兄からだよ」

 飾りリボンのついた袋を開けると、紺色のスーツが入っていた。
「まあ、兄にはいい報告できそうだ」
「え?」
「血色のいいあんたが、楽しそうに仕事してるってね」
 太いアイラインで紛れているが、玲香の目は奏向に似ていた。

 二人組のお客が店に入ってきた。玲香の服を見て、コソコソ何かつぶやいている。
「毎回こっちくるたび思ってたんだけど。あたしの服って浮いてる?」
「うーん。これはこれで、いいんだけどね」
「兄なら、こっちの世界でもなじむ服装してたんだろうな」
 玲香はあらためた顔で、自分の服をまじまじと見ている。

 商品の中から一着、紬はコートを選んだ。
「お客様、こちらご試着なさいませんか?」
 営業スマイルで玲香に言う。
「え、いいよ……兄からもらった小銭しかないし」「今着ているものも素敵ですけれど、きっとこちらもお似合いになると思いますよ?」
 紬はキャメルのロングコートを玲香の肩にかけた。全身鏡に、少し驚いた顔がうつる。
「へえ……センスいいんだね」
「お客様のお兄様には、かないませんよ」

 紬はそのコートをレジに持っていった。バーコードを通し、タグを切る。
 後でレジに、私のお金入れとくか。

「このショップに紳士服はございませんので、お客様に、お返しのお品をお渡ししますね」
「!」
「来年、あのスーツで就活頑張る、って伝えて。奏向君に」
「……これに着替えてっていいかな、ここで」
「はい、もちろん」

 ショップの袋に蛍光黄緑のコートを入れ、玲香に渡す。
 紬は小声でつぶやいた。
(時空警察に捕まらないようにね)
 玲香は少し微笑んだ。
「大丈夫。あたしはめったにこの世界には来ないよ」

 兄みたいに、ソウルメイトがこっちにいないからね。

 そうつぶやき、玲香は帰っていった。
 アクセントに変わったゴールドパンツの脚を、ロングコートのすそから程良くのぞかせて。


 家に帰る紬を毎日迎えてくれるのは、白い棚に飾られた写真たち。
 18歳から19歳へ移り変わる時を、たくさんの思い出が、短く濃く駆け抜けた。

 学ランとセーラーで撮った新京極
 揺らめく短冊の前に並んだ晴明神社
 つむぎ織を肩にかけたマンションの一階
 浴衣姿で山鉾に盛り上がった祇園祭
 袴と着物を体の前に合わせた誕生日
 最近は、小さな奏向と撮った写真も飾ってある。

 その下の段には、つむぎのミニ着物が置かれてあった。紬は、それを手のひらに乗せて眺める。

 19歳の誕生日。
 奏向は、どうしても自分を呼びたい時は呼べ、と言ってくれた。
 その時は警察から罰を受けたとしても必ず来る、と。
 それを聞いたから私は、逆に強くなれた。

 これから彼と再会するまでの13年間、様々な世界の人たちと出会う。彼以外の男性といることだって、あるかもしれない。
 不安定な長い年月。
 会いたさに苦しむ時も、彼を呼んだりしない。恋愛できる年になるまで、待つ。

 つむぎ貼りのペンダントを贈ったかわりにやってきたミニ着物、を白い棚に戻した。
 赤いボタンを押して、夕ご飯を作る。
 
 この小さな着物だけじゃない。フードプロも、服も、写真も、記憶も、すべてが私の宝物。

 口のなかで肉じゃがが、ホクホクと溶けていく。
「うん、おいしい」
 テーブルから見上げる、白い棚の写真。
 
 奏向と一緒に、ご飯をたべる。






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各話へのリンク

第1話

https://note.com/lunestella/n/n1f60997fcaa8?sub_rt=share_b

第2話

https://note.com/lunestella/n/n841da540e8fd

第3話

https://note.com/lunestella/n/n4fb09b3362c0

第4話

https://note.com/lunestella/n/n2277f6441660

第5話

https://note.com/lunestella/n/n7b2b9357729e

第6話

https://note.com/lunestella/n/n81a14635fb7d

第7話

https://note.com/lunestella/n/n3485ce817629

第8話

https://note.com/lunestella/n/n2fa77397bbc0

第9話

https://note.com/lunestella/n/ncd737b2f5f41

第10話

https://note.com/lunestella/n/nb2a9e6c494b7

第11話

https://note.com/lunestella/n/n9f674af2e08f

第12話

https://note.com/lunestella/n/n4b7fe04557f5

最終話

https://note.com/lunestella/n/n6d81eee4e6eb










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